第3話「反逆の理由」

「ドラグヴァン帝国。アリア、あなたの祖国が身柄引き渡しを要求してきたのよ。休戦協定の条件としてね」


 ドラグヴァン帝国。ウィザリード大陸の西に位置する十三大国の一つであり、アザランド王国の隣国でもある。東のアザランド、西のドラグヴァンとも称されており、両国は十八年の長きにわたり、戦争を繰り広げていた。長い戦争状態は両国をあらゆる面で疲弊させ、半年前ついに休戦並びに国交正常化の協定が結ばれた。

 ドラグヴァン帝国の名前が出た瞬間、三人の間に流れる空気が張り詰めた。特に強い反応を示したのはアリアで、動揺を隠せずにいる。

 アリアは十五年前、ドラグヴァン帝国からアザランド王国に亡命した。その身柄はアザランド城で保護され、以降ミラの側近として仕えている。


「え? 帝国が? で、でもなんでアリアを?」

「……分からないわ。でもお父様は身柄引き渡しに応じる気よ。でも私は御免だわ。大切な親友を今更帝国には渡せない」

「で、でもアリアが帝国に帰ればこの国は平和に――」

「アリア。貴女にとっての故郷はドラグヴァン帝国でもなければアザランド王国でもないわ。だからこそ私が新しい国を作るのよ! 他国の国民となれば、いかに王国や帝国でも手出しするのは容易じゃないわ。新しい国家をつくり、そして世界中に国家として承認させる。これがアリアを守るために一番だと思うの。そう、その新しい国こそがアリアと私と、ついでにカイの故郷になるのよ!」

「俺はついでかね?」

「喜びなさい。両手に花よ」


 主に向ける者とも思えない侮蔑と嘲りがカイの顔に浮かんだ。


「花じゃなくて馬鹿の間違いじゃないですかね」

「カイ。お父様は必ず追っ手を差し向けてくるわ。その追手で人体実験してもいいわよ。この前あなた言っていたわね。試したい薬が山ほどあるけど、治験の許可が下りないって」


 ミラの提案に、カイの表情は主同様の無邪気な悪意に満ち満ちた。


「アリア。俺たち従者の仕事は主君に付き従うこと。今回のこともきっと姫様の深いご配慮故。お付き合いするのが我々の務めじゃないかね?」


 身体を芯から底冷えさせる光をはらんだアリアの目が軽薄な面持ちのカイを映した。


「カイ、あなたはそういうところがありますね。現金主義。人道軽視」

「いやいや新しい薬を作りたいのはひとえに一人でも多くの命を救いたいがためさね」

「よーし反逆して新しい国家樹立にレッツゴー!」

「ゴー」


 陽気な二人の乗りに呆れているのか、アリアはがっくりと肩をおとして嘆息を吐いている。


「アリアは先行きが見えなくて不安しかありません。それに……ミラ様のお気持ちは嬉しいですけど、アリアが行かなかったら折角の休戦協定が――」

「大丈夫よ。あなたの代わりに適当な金品でも渡せば帝国の連中は納得するわ」

「そうでしょうか?」

「お互いが疲弊したからこその休戦協定よ。そうそう反故にはしないはずよ。何かあるとしてもせいぜい父上の面目が潰れるだけよ」

「それはそれで問題な気がしますが……」

「とにかくもう城を出ちゃったものは仕方がないわ。父上には愛想が尽きたのよ。私の大切なアリアを帝国に渡すなんてありえないわ」

「ミラ様のお気持ちはありがたいです……でも新しい国家をつくって、それを承認させるなんて簡単にはいかないと思います」

「その辺は考えてあるのよ。この地図をごらんなさい!」


 ミラは懐から古びた地図を取り出して、膝の上に広げた。アザランド王国領土を記した地図であり、峡谷の地形が赤いインクの丸に囲われている


「この地図は、旧文明が作り上げたとされる古代兵器『空中要塞スカイギア』の在り処を示した地図よ」

「……スカイギア?」


 アリアは、難解な数式を前にしたかのように首をかしげている。


「これはねアリア、邪神との戦いで活躍したと言われる伝説の空中要塞なのよ」


 空中要塞スカイギア。無数の武器を搭載した全長数キロの金属の塊が空を駆け抜ける。現代の技術では再現不可能な失われた技術。二千年前には数百機が存在し、当時まだ蒼脈の技を持たなかった人類を乗せて邪神と戦ったとされている。

 半ば伝説と化している古代兵器であり、現在では存在そのものが空想の産物ではないかと疑う声も少なくない。現物はおろか、その残骸一つすら残されていないこともこの説に拍車をかけている。


「そんなものがあるんですか。初めて知りました……」


 幼い頃から世話係としてミラに仕えてきたアリアだが、本来王族の世話係として必須の教養や学識は持ち合わせていない。地頭そのものは良いのだが、ミラの遊び相手以上の行いを許されなかったため知識の面では劣ると言わざるを得ない。

 そこに非常識で分別をわきまえないという評判のミラが加われば当然二人の評判は地に落ちることとなる。

 薬学師として大変に優秀なカイに出世の話が全く湧いてこないのも、ミラやアリアとの腐れ縁による評判の悪さによるところが大きい。しかし彼も薬学師としての出世より、二人との付き合いを優先する傍から見れば奇特な人物であった。

 アザランド王国きっての変わり者三羽烏。これがミラ・カイ・アリアの評判だ。けれど世間の評判ほど、ミラにとって無価値なものもない。アリアとカイがなによりも得難い価値のある大切な存在であることだけがミラにとっての真実だ。足りない部分はお互いに補えばいい。三人はいつだってそうしてきた。


「カイ。本当にそんなものがあるのでしょうか?」

「アリアー? どうして私をスルーしてカイに聞くのかしら?」

「そうさね。龍が作った兵器では……ってのが定説だが、これもあくまで実在していたらの話だ。今じゃ実在しないだろうって意見が主流かね」

「あら、心外ねカイ。スカイギアは実在するのよ。何せ母上があるって言ってたもの。ミラが困った時はスカイギアを探しなさいって」

「カイ……アリアたちはもう駄目そうです。アリアたちの運命はここで潰えた気がします」


 失望に沈むアリアを尻目に、ミラは地図の赤い丸で囲われた地形を指差した。


「この地図の場所は、邪神大戦の跡地ミディア峡谷よ」


 二千年前、人類を含む全生物を支配せんと牙を向いた異形の群れ、偽りの神々。人類を窮地に追い込んだが天から現れた真なる神々の尖兵たる龍によって殲滅された。邪神の遺骸は今でも各地で発見されており、中には微弱な生命活動を行っているものさえあるという噂だ。


「このミディア峡谷は、龍が邪神を討伐するために使った毒性の魔法で汚染されている未開の地なのよ。二千年経って毒性は薄れたとされているけど、それでも尚立ち入る者はいないわ」

「それでミラ様、ここへ行くのにはどれぐらい掛かるのですか?」

「そうね。こんな辺境には鉄道も通ってないし、というか追手がいるだろうから乗れないし、移動は歩きね。だとすると森を抜けるのに三日~四日。峡谷も同じぐらいと考えて……一週間も見ればいいかしら」

「え!? そんなにですか!? 蒼脈師のお二人でそれじゃあアリアなんて!」

「大丈夫。アリアの足の速さに合わせて一週間よ。だからこそ二人に旅支度をさせたの」


 いくらミラとカイが蒼脈法を使えると言っても、素早く動けばそれだけ相手に察知されやすくなり、捜索隊の注意をも引いてしまう。

 それにいくら素早かろうと最高速度で動き続ければ蒼脈の消耗も激しくなり、いざという状況が来た時、万全の状態で臨めなくなる。


「このミラ・クーフィル・アザランドは、すべて計画通りに運ぶ天才なのよ!」

「姫様、城壁ぶっ壊して逃走図るのは無計画っていうんじゃないですかね?」

「あら。それも計算の内よ。さて、アリアそろそろ夕食にしましょうか」

「はい。そうしましょう。今日の夕食はカイが用意してくれたんです」

「……え?」


 ミラの待望の眼差しは一転絶望に叩き落とされる。

 アリアは背嚢の中から萎びた紐で縛られた竹皮の包みを取り出し、カイに渡した。

 カイが紐をほどいて竹皮の包みを開けると、中には五センチほどの茶色い粒が十五個収められている。腰の短剣を鞘から抜き、紐を三等分に切ると、カイは茶色い粒を五個ずつと萎びた紐を一本ずつミラに渡してくる。

 食事と言ったのに出てきたのは、汚い紐と乾いたうさぎの糞のような物。嫌な予感が的中してしまった。


「カイ、食事と言ったはずよ。これは紐よね?」

「芋がら縄です。芋の蔦を煮込んで乾燥させて作る保存食ですよ」

「この茶色い粒は動物のフンかしら?」

「薬草を練り込んだ栄養満点の特製味噌玉ですよ」

「食べるものをよこしなさい!」


 何を怒っているのか分からないと言いたげに、カイは飄々としている。


「姫様やですね。食べ物ですよ。どう見ても」

「これのどこが食べ物なの!? ゴミと排泄物だわ! これを食べさせてどうしようというつもりなの!?」

「お腹すいてるっていうから出しただけさね」

「毒じゃないでしょうね!?」

「やかましい姫様さね。食わんなら返せ。人の親切を無下にしやがって」

「言われなくても返すわよ! こんな縄! うんち! ほらアリアも言ってやりなさ――」


 アリアは、飴玉を頬張る子供のような表情で、味噌玉を口の中で転がしている。


「やめなさいアリア! ぺっしなさい! ぺっ! 食糞なんて高貴な身分の者がすることじゃないわ!」

「ミラ様、せっかくカイが用意してくれたのに失礼です。それにしょっぱくてとてもおいしいですよ。アリアは好きです。カイ、これって確か塩漬けのソイビーンズをペーストにしたものですよね?」

「俺の故郷の伝統的な調味料を使った伝統的な保存食さね」

「二人とも! 缶詰やベーコン・ハムを用意するように言ったはずよ!」

「姫様、缶詰なんてゴミの処理が困るさね。ベーコンやハムだって栄養が偏ります」

「ゴミと排泄物を食べるよりましだわ! 食とは娯楽よ! 芸術よ! 見栄えも悪ければ味もさもしいものは食とは言えないわ!」

「見た目は確かにまずいが栄養抜群さね。食ってみなさいよ」

「栄養補給と食事を一緒にしないで! 前者は生存のための行為だけど後者は文化よ!」

「バカ姫の割には難しい言葉使いますね」

「カイ! あなたはいつもそうだけど栄養さえ取れれば味はどうでもいいという考え方を改めなさい! 文明人にあるまじきことだわ!」

「ミラ様、ワガママばかりではいけませんよ。カイが困ってしまいます」

「だってぇ!」


 風船草のように頬を膨らませていると、アリアは小さく両手を叩き合わせた。


「分かりました。アリアが料理しますからお任せください!」


 アリアの宣言が鼓膜に届いた瞬間、ミラは芋がら縄にかじりついた。


「い、意外と美味しいわね、この紐!」


 カイもガタガタと震える歯で味噌玉をかじりながら頷いた。


「で、でしょー。食べ応えもあるんですよ!」

「そうね! もうお腹いっぱいだわ! アリア、気持ちだけありがたく頂戴するわ!」

「……そうですか。それならアリアは別にいいですけれど……」


 実際の所よくはない。アリアは、平然とした顔で芋がら縄を食べ進めているが、ミラの舌は拒絶反応を起こしている。芋がら縄、歯ごたえがあるというより紐そのものだ。しかも塩辛い。味噌玉も辛い。さらに耐え難い薬臭さが口の中に広がっていく。

 食欲はどんどん失せていき、胃の中は殆ど空っぽなのに、もうお腹いっぱいだ。


「もう今日は寝るわ。アリア肩を貸して?」

「またですかミラ様。アリアの肩は枕じゃありません」


 ミラは、アリアの了承を待たず右肩にもたれ掛かった。


「こんなに寝心地のいい枕はないわ。じゃあおやすみなさい」


 心地の良い弾力と甘い香りに誘われてミラの意思は微睡の中へ溶けていった。

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