第2話「能なし姫」
アザランド王国は、世界最大の面積を誇るウィザリード大陸の東に位置しており、世界でも有数の国力を持つ先進国家『十三大国』の一つにも数えられている。
他国から恵みの常春とまで称される温暖な気候がもたらす食料自給率の高さ。数々の天然資源の採掘場。発展した工業技術を持ち、目立った欠点のない十三大国最良の国家との呼び声も高い。
王国の象徴たるアザランド王城を擁する首都クーフィルから南西約九十五キロに位置するファネルアの森は、クーフィルに蔓延する蒸気と電気とガスの営みの残り香すら感じさせない深更の粘ついた闇と濃霧に埋もれている。
霧蜘蛛と呼ばれる巨大生物が吐き出す呼気が濃霧の正体だ。肉食性で凶暴な性格の霧蜘蛛は、大陸全土で忌避の対象となっており、めったなことでは森に足を踏み入れる者はいない。
しかし今日ばかりはこれまでにない人の賑わいを見せている。ミラ王女捜索隊が鳴らす重なり合った兵士の足音と霧に滲んだランタンの灯りの群れが森の中を進んでいた。
「今日は一段と霧が濃いな」
「霧蜘蛛が近くにいるんじゃないだろうな。あの『能なし姫』め……余計な仕事増やしやがって」
「あれが第一王女とは、この国の未来は暗いな」
「見た目と蒼脈法の腕前以外に、なんの取り柄もないからな」
「王族なのに、『仙法』と『気法』を主体とした近接戦闘スタイルなんてさすがは能なし姫だ。せめて『魔法』で後方支援だろ、王族は」
「精々見てくれに騙された哀れな連中との政略結婚の道具にしか使えんよ」
「あの能なしっぷりだとそれすら務まるか……」
「お前たちべらべらとしゃべるな。いいから周囲をよく探せ」
あちらこちらから上がっていた不平や不満は隊長の一声でかき消され、兵士たちは渋々としかし注意深く周囲の様子を窺った。
しかしそのすぐ傍で霧に混じって紫煙が立ち込めているのに気付きもしなかった。
ファネルアの森は、凶暴な蒼脈持ちの獣や蟲が生息しているため普段から人気がなく、煙など起こるはずもない。霧のせいで見分けがつきにくいとはいえ、匂いや火の爆ぜる音、視覚以外にも異常を探知する手段はいくらでもある。
本来であれば警戒すべき事態を前にして、兵士たちは誰一人としてこれを知覚していなかった。
「カイの言う通りね。本当に誰も気付かないわ」
紫煙の中心でミラは、好奇心に満ちた笑顔を浮かべながら通り過ぎる兵士たちを見送っていた。上着の左肩にある王家の紋章の刺繍は、白いバンダナを巻いて隠している。
一方で身の丈ほどもありそうな背嚢を背負った少女は、心臓を鎖で締め付けられたかのように不安を露わにしていた。
「ミラ様、あまり大きな声を出されては……」
「平気よアリア。そうでしょうカイ」
分厚い城壁をクラッカーのように粉砕したとは思えない小さな掌がアリアの頭を一撫でした。陽だまりのように温かい体温を伝えて、アリアを包んでいた暗澹とした不安が解いていく。
アリアが落ち着きを取り戻すと、ミラの視線は薪の前にあぐらをかくカイに向けられた。彼は、恨めしそうにこちらを一瞥してから手にしていた白い花から花弁を一枚千切り、薪に投げ入れた。十二枚の花弁が集まった姿は、鈴の形によく似ている。
「魔力漬けにされた幻鈴花(げんりんか)は、燃やすと幻惑効果、電気を流すと幻影を見せる効果を発揮するのさね。煙の中にある者を煙の外にいる者は五感全てで知覚できないし、煙そのものを知覚することも叶わない。この国じゃ珍しい代物だから効能を知ってるやつもいねぇしな」
カイ・アスカはミラ専属の薬学師である。薬と名の付くものは完璧に使いこなし、医術の知識も豊富だ。
「さすがカイだわ! これがあれば無敵ね!」
「つっても煙から出たら普通にばれるからおとなしくしといてくださいよ」
ミラは、真剣なまなざしを作ると、アリアの両手を包み込むように握りしめた。
「分かったかしらアリア?」
「あんたに言ってんですよバカ姫」
「……え? 私?」
「心の底から意外そうな顔しないでもらえるかね。腹立つから」
「あら、なんて口の利き方。私の側近は反抗期かしら。二十一歳にして訪れるとはずいぶん遅れているわね」
「バカ姫の相手を真面目にした俺がバカだったさね。仕える相手は選ぶんだったな」
敬意も払わず敬語も使わないカイに対してミラは腹を立てない。これがミラにとっての日常だからだ。ミラと二人の側近の関係は、主従関係というよりも昔からの親友である。
木登り・虫取り・ジャン国王の顔に落書き・泥遊び・武術の稽古。幼少の頃から一国の姫らしからぬ突飛な行動でカイとアリアを振り回してきたが、今回の騒動は今までのどれより大胆かつ奇想天外な自覚がある。
「アリアも妙だと思いました。ミラ様に、いきなり動きやすい格好で玉座の間に同行しろと言われた時には……」
アリアは普段着慣れているメイド服ではなく、ミラが用意したフード付きの外套と質素なシャツ。ひざ丈のキュロットにロングブーツという出で立ちだ。
カイは普段から愛用しているベージュ色の半袖の上着に、黒い丸首のシャツとズボン。履き慣らしたブーツ。ベルトには大振りな短剣が一振りと革製のケースがいくつも取り付けられている。焚火にくべている幻鈴花も、このケースから取り出したものだ。
「さて姫様、これで俺もアリアも国家反逆罪なんですが、何か言いたいことあります?」
「あら、姫の気まぐれに付き合うのが従者の務めよ」
偉そうに胸を張ってミラは、悪びれるそぶりを微塵も見せない。千切った幻鈴花の花弁を焚火にくべるカイの口から鉛のように重い嘆息が漏れ出した。
「あのね。そりゃ国家っていう後ろ盾があるからでしょう? 今のあんたに何があるって言うんです」
「決まっているじゃない」
ミラは、瞳を星空のように輝かせて右拳を突き出した。
「この美貌と拳よ! 気法を極めたこの拳で如何なる障害も打ち砕き、私は信念を貫くわ!」
「確かに姫様の蒼脈法は、気法以外も超一級品さね。あんたなら邪神だって一人で片付けそうさね」
二千年前、邪神と呼ばれる存在が人類を滅ぼさんとした。強大な力を持つ邪神に手も足も出ない人類。そこに現れた救世主が、天の神々が使わした尖兵『龍』である。
龍は、自身が持つ強大な力の源泉『龍脈』を龍以外の存在でも扱えるように劣化させて十三人の人間と一部の動植物に分け与えた。
その力は、蒼脈と呼ばれ、さらに人類は蒼脈を運用する方法として蒼脈法を創り上げた。
身体能力強化の仙法。破壊的なエネルギーを生み出す気法。そして身体から蒼脈を切り離して扱う魔法の三種類である。
邪神との戦いが終結した後、十三人はそれぞれ王となって国を創り上げた。これがアザランド王国も名を連ねる先進国『十三大国』だ。
「アリアもミラ様の見た目は美しいと思います。見た目だけは」
十三大国の姫君の中でもミラは、至上の宝玉と称され、大陸全土に轟く美貌は伊達ではない。
これで性格と頭が人並みだったら完璧だ、という評判も十三大国に轟いているが、こんなものは、美貌に嫉妬した者たちが流した根も葉もない噂。ミラはそう信じている。
「自分の大切なモノは拳で守り抜く。相手が誰であろうとなんだろうと殴って殴って守り抜く。姫とはそういうモノよ」
「その二つの代わりに脳みそどっかに落としてきたみたいさね……ちなみに誰の言葉っすか?」
「子供の頃、母上に読んでもらった絵本よ!」
「今すぐ出版社教えてください。抗議の手紙送りまくって絶版に追い込むんで」
「とてもいい絵本よ! 母上の自作だもの」
「あんたの母親かね。氷の女王と称されたあの人、そんな趣味あったんですか?」
アザランド国王の先代君主は、アザランドの歴史上、自国民にとって最も慈悲深く敬愛すべき女王にして、敵には最もおぞましく絶対零度の女王と称されたミーシャ・クーフィル・アザランド。
若くして病に倒れ、ミラが十歳の時この世を去った女王にそのような趣味があったことを知る者は少ない。
もっともミラにとってのミーシャは、世間の評判と正反対のぽかぽか陽気みたいに優しくて温かい大好きな母上だ。
「寝る前に色んなお話を読んでくれたわ。私のお気に入りは、超絶美貌のお姫様が……あ、これ私のことよ。お姫様が龍に乗って戦うのよ。龍は、戦いの場所に合わせて最適な姿を変えた変幻自在の存在。心臓で生み出された龍脈の力を口から吐き出して敵を打ち倒すって――」
アリアの紅玉色の双眸は、すがるような暗い色をにじませた。
「ミラ様! 女王陛下の絵本はあくまで作り話です! さすがに今回の戯れは度を越しています。今すぐ城に帰り、陛下に誠意ある謝罪を。アリアも一緒に謝りますから」
いくら大好きなアリアの懇願でも今回ばかりは聞き入れるつもりはない。
「いやよ。もうあんな国には戻らないわ」
「どうしてですか!? 理由があるなら教えてください!」
――やっぱり、そう聞かれるわよね。
誤魔化し続けたらアリアがついてきてくれなくなってしまいそうだ。
それでは意味がない。
この旅の真の目的がいなくなってしまうのだけは避けなければならなかった。
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