22:さいわいあれ



「……兄は。どうなりますか?」

「ソルミナス・アームズテック社と連絡も取れました。今回のことは彼の独断。金の卵を産む『キングブッカー』も今後は八百長をやらなくなりますから……その損失の穴埋めを要求されるでしょう。彼の残りの人生は暗然たるもの――それで終わりです」

「わたくしは?」

「会話ログは記録しております。あなたは真剣勝負シュートに懐疑的だった証拠もありますからね。

 事情聴取を受けて、無罪放免でしょう」


 そう言うと、マッチメイカーは一礼してその場を去っていく。

 周りが今回の掟破りに対して後始末のためせわしなく動く中、セレンは全身にひどい虚脱感を抱えながら近くの椅子に腰かけた。



 何もかも失った。

 ギリー宣伝部長に巻き込まれたとはいえ、ソルミナス・アームズテック社は自分のことを許すまい。

 アリーナの運営委員も、金の卵を産む『キングブッカー』に真剣勝負を挑んだ自分を戦いと収益の動くランクマッチには出させないだろう。

 パイロットとしての前途は甚だ暗くなったといっていい。



 だが、それよりも……自分の良かれと思ってやった行動が、結果としてリザを深く傷つける結果となった――それが、何よりもショックだった。 


 何もかも失った。

 これから自分はどのようにして生きていけばいいんだろう――そう思った時だった。


 リザが目の前、少し向こう側で立っている。彼女はなんと話したものか困り果てた様子だったが、意を決したように叫んだ。


「セレンッ! ……試合、お疲れ様。……ああ、その。うん、あたしと……話さないか?」

「リザ? ……え、でも。どうして? わたくし、あなたに」

 

 知らず知らずとはいえ、ひどいことをしてしまった。

 この数日間ずっと連絡も取れなかったし、きっと嫌われているものだと思っていた。

 二人の間に存在していた友情は、生まれの差によって生じた経済格差によって分かたれてしまった――そのはずだったのに。


 リザは少し照れ臭そうにしながら、おずおずと口を開いた。


「いや……あたしも。セレンのしてくれたことはどうしようもなくショックだったよ。でも……キングはあたしに言ったんだ」





「おねがいだ……キング……逆恨みってわかってる、憎むべきではない人を憎んでるって承知の上だ! でも、頼む……!

 セレンに、思い知らせてやってくれ……!」

「やだよめんどくさい」


 ……リザは、最初、キングが何を言ったのかわからなかった。

 今めんどくさいって言った? 傷ついている女の子に対して冷酷に突き放すようなひどい言葉を発したのか? 見放されたという気持ちで、傷ついた心に塩を塗り込むような言葉に震え、また涙の衝動が目の奥底からこみあげてくる。

 キングは後ずさるリザに対して、短く答えた。


「彼女のやったことに腹を立てるのは分かる。だがな、復讐や反撃を他人任せにするなよ」

「で、でも……」

「……お前に、キングブッカーの俺と戦えとは言わん。そんなメンタルで戦えるとも思えんしな。

 だが、『ブルーローズ』に対する反撃は自分自身でやれ、俺に頼るな」


 ……リザは突き放されて俯く。


「あたしは……もうパイロットをやる理由がねぇんだ」

「好きにしな……といえないのがパイロットのつらいとこだよなぁ……」


 いまだに暴走した無人兵器であるバグとの闘いは続いており、拡張骨格オーグメントフレームを運用できるパイロットの資質を持つものは稀だ。やめたい、と言って容易に辞められるものでもない。


「だがな。……リザ。お前は『ブルーローズ』の立場になって考えてみたことがあるか?

 友達が夢を追っている。その手助けをしようと思って募金箱になけなしの金をぶち込んだ。募金の使用用途も明確で誰かの助けになる立派な事業だ。

 そう思っていたら、なぜか友達が自分と絶縁をした――……まぁ訳わからず混乱もするだろう。

 リザ……お前はしばらく休め。今は昂って平素な気持ちで『ブルーローズ』と向き合えまいが……一度腹を割って話してみろ」

「で、でも……」


 顔を、合わせづらい。

 この数日は彼女からの通話要望やメールなどすべてシャットしている。

 そんな内心を見透かしたようにキングは答えた。


「彼女は友達じゃないのか?」

「違う!! あたしはっ!!」


 反射的に怒鳴り声をあげる。


「あたしは……セレンの友達でいたい。けど……ほんとに、あたしなんかが」


 強い引け目がリザの心を縛っている/四級市民レッド一級市民ブルーと友達になっていいのだろうか。

 そんな弱気のすべてを見抜いたように、キングは、つまらないと言わんばかりに答えた。


「……なら、無理なんじゃねぇの?」

「……」

「お前の気持ちを想像もせず、山ほどの大金を募金箱にぶち込んだ。

 そのあとお前が惨めな気持ちだと考えもせず、心情的に上の立場をとって踏みにじる、そういう女かもしれないんだろ?」


 セレンと友達でいられるのか? という迷いは確かにある。

 けれどキングの言葉を受け、リザの中でむくりと怒りの気持ちが膨らんでいく。


「マッチメイカーも言ってたろう。お前と彼女じゃ生まれも育ちも違う。

 今回みたいにお前の気持ちを想像できず、お優しくお恵みくださって、そして惨めな気持ちになるだけさ」

「ちがう……」

「何が違う? お前は『ブルーローズ』の友達にふさわしくないんだろ? 自分でそう決めたんならそれでいいじゃねぇか。

 あの女なんざ、たまたますれ違った赤の他人。人間はいくらでもいる。あの女以外の友達をよそで作ってさっさと忘れちまいな」


 否定されるたび心の中で拒絶が湧き上がる。

 確かにセレンは、対等の友人相手に正しくないことをしたかもしれない。けれどいいところだっていっぱいある。


「やめとけやめとけ、あんなクソ女」


 彼女とそれほど関わりのない人間に否定されたくない――そう考えれば腹の奥底から自然と怒りが湧き上がった。


「違う!! 違う違う違う!! あたしの……あたしの大切な……!!」


 キングは、大きなため息をついた。


「……怒ったな? 

 ならばお前にとって、セレンは怒るだけの価値がある存在だという事で。

 お前が今何を言おうとしたのか、俺にだってわかる」

「あ……」


 喉をついて出ようとした言葉――大切な友達だ、と叫ぼうとしたところで、掻き立てれた怒りによってリザは自分の本心を引き出されたのだ。

 ……キングはとてもやさしい顔をしていた。


「今度はそれを、相手の前で言ってやりな」


 繰り返される否定と罵倒がなければ、リザは自分の心に潜む本当の気持ちに向き合うことができなかっただろう。

 一仕事終えて大儀そうに肩を鳴らし、キングはその場から去っていく。


「あ、ありがとう……キング」


 思わず感謝を言うリザに、キングは面白そうに笑った。


「俺って教師に向いてるのかね。マスターに聞かれたら笑われそうだ」


 誰かに気づきを与えることが教師、指導者の役割ならば、キングはまさに相応しい。


「あたしは、向いてると思うよ」


 感謝と賞賛の入り混じった言葉に、キングはいやそうな顔をした。

 優れた資質と思うけど、本人にとってはあまりうれしくないのかもしれない。





 連れだって歩くリザとセレンの二人は、そのまま無言で――バグの侵入を防ぐ外壁の見える丘にまで歩いて進んだ。

 企業の人間から見放された地であるスラム街には再開発の手が入っている。瓦礫の撤去は完了し、これからは貧民にも生活の糧を与える学びの場ができて、自活を手段を与えていくだろう。

 ランニングコストが大きく旨味が少なかったためにどの企業も手を出さなかったが、最初の問題が有志の手によって解決したなら、再開発を続ける意味は大きい。

 学問を学んだ技術職の養育もだが……企業にクリーンなイメージを付与できる。

 きっかけはリザとセレンの二人だが、あとは坂道を転がるように少しずつ事業全体の勢いがついていくだろう。 


「セレン。あたしと一緒にバーガーショップ行った時、うんざりしてたろ?」

「え? ……あ、あの。そんなことは」

「隠さなくてもいいさ」


 セレンはリザのつぶやきに思わず聞き返す――内心で渦巻く焦りの心。


「相手の顔色をうかがうってのはガキの時からの基本技能でさ」

「その……ごめんなさい」

「いいよ。もう気にしてないんだ。

 あたしが気にしてるのはもっと別のことだ。……セレンには借りができちまった」


 セレンはその言葉になんと答えたものか言葉を詰まらせる。

『いいのよ、別に』=本当のところを言うと、セレンにとってはあの金はそれほど惜しくはない。散財する趣味もないし、パイロットとして戦えば十分に稼げる。失った金額も、株式投資で手堅くいけば問題なく取り戻せる。

 けれど、リザにとってあの金額は目玉が飛び出るほどの高額だという――同じ経済感覚を持っていないことがこんなにもつらいなんて、とうつむいた。


「……何も言わないところを見ると、あたしがどういう理由で音信不通だったのかもわかったみてぇだな」

「……ええ」


 キングとの戦いで、二人の間に存在する絶望的な経済格差に気づいた。

 お互いにお互いのことを気遣ってはいるものの、余計な感情が邪魔をする――だからリザは自分から一歩、ぶしつけなぐらいに踏み出してみた。


「なぁセレン。あたしのこと好きか?」

「ふぇっ?!」

「なおあたしはお前のことがけっこう好きなんだわ」

「ふえええぇ?!」


 突然の発言に耳まで真っ赤になるセレンであったけど、同様にちょっと照れているリザは、それでも、ずい、と間合いを詰める。


「だからこそ……あたしは、自分が四級市民レッドで、その差の大きさに苦しんだりもしたし、ほんとにセレンと友達でいる資格とかあるのかとも悩んだよ」

「そ……そんなこと、ありませんわよっ! わたくしは、友達を自分で選ぶことぐらいできますものっ!」


 首を振って全力でリザの懸念を否定するセレン。

 リザは頷いた。


「……募金の金に気づいて数日は頭んなかぐちゃぐちゃのめちゃくちゃでなにも考えられなかった。

 けれど、あんだけ音信不通をかまして、寂しくなったからまた会いたいって……何勝手なこと考えてんだって自分自身に呆れたよ」

「いえ、いいえっ! わたくしこそごめんなさい! ……善かれと思ってやったのは本当ですの。でもあなたを傷つけたいなんて思ってはいませんでしたっ……あんな大きな金額を動かすなら一言相談ぐらいしておけば良かった」


 お互いに手を取り合い、見つめ合う。


「さみしかったんだ、セレン」

「わたくしもよ、リザ。だいじなお友達」


 結局のところ。

 お互いのことを大事に思い合うがゆえに感情のがんじがらめにあって二人は動けず。

 けれど、一歩だけ踏み出せば、お互いのことを大事に思い合っているから、仲直りは簡単で。


 大切な友人との仲を再び取り戻せた二人は穏やかに抱き合いながら、安堵のあまり泣きじゃくって座り込んで。

 夜が明けるまで一緒に過ごした。





「あの様子なら、まぁ問題なさそうだな」


 キングは車両の窓から二人が手を取り合う様に、これ以上は野暮よな、と考えて車をゆるゆると発進させた。

 二人のことが心配で一緒に座っていたマッチメイカーに声をかける。


「まぁ、いろいろとトラブルはあったが二人の仲は心配ねぇだろう」

「……」


 車両を自動運転モードに切り替えてキングは一人呟く。

 マスターに乗せられ、『パイロット』の見どころのある新人を……八百長試合に乗せる形で指導し、改善すべき点を洗い出し、戦闘能力をさらに洗練させる=それこそが、『キングスレイヤー』の仮の姿、『キングブッカー』がアリーナの運営委員会と交わした契約であり、マッチメイカーはその目的のために派遣された人材だ。


 最初こそ、ランク1『キングスレイヤー』に戦いを挑む実力ある若手を育てることが目的だった。

 その最中でキングのアセンション能力『教導機アグレッサー』に目覚めたのは、人生最大の誤算である。

 他者の実力を底上げする名指導者としての才能、指導したパイロットのアセンション能力覚醒を後押しする異能力……そして。自分の教えの中でアセンション能力に目覚めたならば、『授業料』として相手のアセンション能力の二割ほどの力を模倣できるようになる。

 


 自分を倒せるようになるパイロットを育てるはずが……育てれば育てるほどに『キングスレイヤー』は他者のアセンション能力を獲得し、手が付けられなくなる。


 だが最初こそ、手段のために目的が遠のく本末転倒な展開に頭を抱えたものの……途中から、それが苦ではなくなっていく。

 

 自分の敗北を演出する『キングブッカー』をやり続けて……彼は、ようやく子供の頃に見た道化師の心に触れたような気がした。

 観客の喜ぶ顔こそが何よりの報酬で。

 遠ざかっていく彼女たち二人の友情の橋渡しができるなら、キングブッカーとしては良い幕引きだったろう。

  

「いい気分だぜ、よぉし。マッチメイカーのおっさん。今日はおごるぜ、どこぞへと飲みに繰り出そう」

「……」

「なんださっきから押し黙って」


 先ほどから肥満体を助手席に押し込めた中年男――満足げにほほ笑む彼に視線を向け……『キングスレイヤー』は呻いた。


「……こいつ……前から百合好きだとは知っていたが……尊さが限界突破して気絶してるだと……」


 あきれ果てながら馴染みの酒場にハンドルを切り、自動操縦に切り替える。

 この男も、彼女たち二人の友情を祝っての乾杯なら、喜んで付き合うだろう。


 生まれも育ちも違う二人の末永い友情を願って、キングスレイヤーは車に積んでいたビールを開けた。

 二人の行く末に、さいわいあれ。

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