20:くやしい



「リザ。どうしてやめるって事になったんだよ」


 リザは泣き笑いの表情で遠くを見ていた視線をキングに向け、指先を四級市民レッドの住まうスラム地区へと指さした。

 多数の作業用車両が工事を始めている/幼い子供の生きていけない、零落した市民が細々と生きる社会の最底辺――そこに開発が行われている。

 崩れた瓦礫が取り払われていく/崩れた道路が舗装される――そのあとで何か大きな建物が建築されるようだ。

 

 だが、四級市民レッドの住む場所へと大金を投じて再開発しようなんて物好きはいないはず――その唯一だったリザは、笑っていた/何か譲ってはならないかけがえのないものを諦めてしまった……そんな絶望で満ちていた。

 一人の人間を、どうやればこうまで打ちのめせるのだ。キングは言葉をのむ、


「見てくれよ、キング。……あたしは、夢をかなえたんだ」

「スラムの子供を保護する施設の開発が始まったのか。それはめでたいが……どうして?」


 大企業がその気になれば、四級市民レッドの住まう区画の再整理などたやすいはずだ――しかしそれは長年なされなかった。

 なぜか?=資金を持つ大企業はそれぞれの権力争いに終始し、何ら利益など生み出さないスラム街に一銭も使う気がなかったからだ。


 そんな中、独力で子供が暮らせる場所をスラムに作ろうとしたのがリザだった。

 だが夢の実現には並みの稼ぎではおぼつかない――リザのパイロットとしての稼ぎを全部ぶち込んだところで雀の涙。

 だからこそ、キングブッカーとの八百長試合は彼女の夢を実現する第一歩になるはずだった。


「……ほら、見てみなよ」


 リザは少し前まで泣いていたのだろう――ウサギのように泣きはらした目をこすりながら携帯端末で画像を表示してくる。

 以前リザが見せた、保護施設建設のための寄付金を募るページ=目標を満額達成し、工事が実現したことを伝えている。


 キングは、そこでピンときた。

 あの大金はリザでは到底用意できない/たとえ臓器を全部売り払ったところで不可能だろう――それが可能な知り合いなどリザには一人しかいない。


「……セレンか」


 リザ=しばらく無言のまま俯いていたが……ゆっくりと頷いた。


「ああ。たまげたよ……あたしは前会った時に夢を話した。このクラウドファンディングもネットに公開されているなら見つけるのは難しくない。それである日、目ん玉が飛び出る金額が入金されてたんだから」

「……確認をしたのか?」

「見知らぬ子どもの未来を思って大金を放り投げてくれる人がいたらこの世界はもうちょっとマシになってたろうな。

 けど、そうじゃない。あたしは世のなかってのがもっと薄情だと知ってる。

 ああ……セレンに連絡をつけた。……『ええ、わたくしもあなたの活動に感動しましたの。いくらか寄付をさせていただきましたわ』……って」


 無理を、している。

 リザは、今、相当に無理をしている。

 キングにはそれが分かった=だがどう声をかけるべきなのだ?


「あっはっは……笑っちまうよな。いくらか寄付って……いくらか寄付って……こんな大金を、そんな風に?

 あたしはさ。この金額をためて子供の保護施設を作るってのを、生涯を賭して果たすべき大難事になるだろうってずっとそう思っていたんだ。

 それが……ブルーのお嬢さんに話をしたら、あんな莫大な金をぽんって放り投げてくれたんだぜ? すげぇーよな、金持ちって」


 痛々しい。

 見ていられない。

 リザは笑った。ほほから伝う涙にさえ、彼女は気づいていない。


「喜んでくれよ、キング! あたしは……夢を叶えたんだ! もう子供は朝目を覚まさずに永眠するんじゃないかって怯えながら眠る必要もないっ!! あたしも目的の金額まで貯めたんだ、戦う必要なんか……戦う……必要なんか……」

「もういい」


 キングは彼女の肩を掴んだ。


「もういい……もう無理をするな!」

「っ……」

「泣け。泣いてしまえ!!」

「うっ…………うぅ~~~~~~~~~~~~~!!!」


 その嗚咽は夢がかなったことへの歓喜――だが自分自身の手ではなく、他人の手で恵んでもらったことへの激烈な怒り/自分自身への失望に満ちていた。


「あ、あたし、あたし……!

 あたしは……く、くや、しいぃぃ!!」


 キングは彼女の背を抱き寄せながら無言のままでいる。


「なんだよ、それっ! あ、あたしの……あたしの生涯を賭してなすべき難事って……ブルーのお嬢様が、小遣い銭を募金箱に放り込むような気安さで叶う……そんな程度のものだったのかよ! 

 あたしだって……わかってる! セレンはただの好意で募金に大金突っ込んだんだ! 善意だって……悪気なんかないってわかってる!

 この大金があれば子供がみんな助かる……みんな幸せになる、のに……どうして……どうしてこんなに悔しいんだ!!」


 何も、かける言葉などない。

 夢がかなったことへの安堵/夢を掠め取られたことへの憤怒――相反する感情が彼女の中でぶつかりあって、どうすればいいのかわからないままでいる。


「夢を、生涯の夢を……お恵みくださったんだ、ありがとうって言わなきゃいけないのに……無理なんだよっ……! あたしには無理なんだよ! セレンの、セレンのことが憎くて仕方ない……っ!!

 あいつはいいこだから。あたしに手を伸ばしてこう言うんだ……。『気になさらないでいいのよ、リザ。あたしたち友達でしょう?』って……そういって――あたしたちが生涯お目にかかれないような大金を……親を殺してでも手に入れようとするような大金を……恵むんだ……あたしは貧乏だからそれを受け入れるしかない、そうすることで大勢の子供が救われるから……乞食のように、『おかわいそうに』って恵まれるしかない……」


 唇をかみしめる。

 ほんの数日前まではお互いを終生の友とみなしていた二人の関係は、その生まれによって無残にも引き裂かれた。


「逆恨みをするべきじゃない……ひどい言葉をぶつけるべきじゃない……頭ではわかってても心がもう無理だっ……! 

 大企業のお嬢様が小遣い金を募金箱に放り込む程度で救われるあたしたちっていったいなんだよ、虫けらか?! 仏心ひとつであっさり救われるならどうして誰も今まで……!! まるでゴミにたかるハエスクラップフライじゃないか……!! 友達なのに……友達でいる自信が、資格がない……やっぱり駄目だったんだ、レッドとブルーが友達なんか……無理だったんだ……!!」


 リザは、キングを見上げた。

 

「おねがいだ……キング……逆恨みってわかってる、憎むべきではない人を憎んでるって承知の上だ! でも、頼む……!

 セレンに、思い知らせてやってくれ……!」

  

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