17:6割ぐらいしか悪くないよ
「いやぁ、この度はお礼を申し上げます。社を代表してお礼を言わせてください」
「…………」
キングの意見通り……ギリー宣伝部長はこちらの要望にすぐさま飛びついた。
上機嫌そうな宣伝部長/不機嫌の極みである『ブルーローズ』――あまりにも差がある二人にマッチメイカーはどうしたものかと思案顔。
だが、契約は契約である。
マッチメイカーは『キングブッカー』との試合に対する契約書を取り出し、それを相手に手渡す。
科学技術が発達しても、ハッキングなど行いようがない昔ながらの紙の書類にはいまだに需要がある。ギリー宣伝部長が隅から隅まで嘗め回すように細かな内容を精査する。この辺は当然のことだろう。
「……マッチメイカー。一つお願いがあります」
「なんでしょうか、『ブルーローズ』」
書類を読み終わるまで沈黙していたマッチメイカーに、目の前で不機嫌そうな顔をしていた『ブルーローズ』――セレンが、腹の底の憎悪からこぼれ落ちたような声を発する。
「リザと……『スマートボア』とお会いできるように計らっていただけませんか?」
「パイロットのプライベートは明かせません」
マッチメイカー個人は女性同士が仲良くしているところを見ると伏し拝んでしまう性癖の持ち主だったが、私的なことにはきっちりと線を引く。キングから事情はまだ聞いてはいない。しかし彼の様子から余人が興味本位で聞いていいほど浅い問題ではないともわかっていた。
「……すみません、少し席を外します」
ある程度……マッチメイカーの反応も覚悟していたのだろう=セレンは立ち上がると軽く会釈して部屋を立ち去る。
「おいっ! 貴様、大事な契約のさなかに……!!」
「まぁまぁ……パイロットの方にとっては退屈な内容でしょうから。問題はありませんよ」
セレンの気持ちは彼にはよくわかった。仲たがいをした友人との仲直りのきっかけがわからず、藁にもすがる思いで、彼女と自分のわずかな接点を得ようとアリーナの運営委員に話しかけたのだ。
だがマッチメイカーにも立場はある。『スマートボア』の、誰かに会いたくないという希望は職員として守らねばならなかった。
……関連書類に不備がないかすべて確認を終える。これで『ブルーローズ』が『スマートボア』の代わりに戦う契約が締結された。アリーナの運営委員会にとっても『キングブッカー』の試合は金の成る木だ。どうにかして穴埋めしたいのだろう。
マッチメイカーは同時にリザのことを思った。
今回の一件で彼女は運営委員会に睨まれた。キングから聞いた彼女が折れた理由を聞けば大いに同情するものの、運営委員会が個人の感傷まで頓着してくれるはずもない。問題は今後、彼女がアリーナで上を目指すことが非常に難しくなったことだ。
もっとも……あの様子ではパイロットとして復帰するかどうかさえあやしいが。
「これで契約は完了しました」
「ええ、よろしくお願いします」
マッチメイカーとギリー宣伝部長は握手を交わす。
そうしたあと……マッチメイカーは定例の『警告』を発しておくことにする。
「それから、これは『キングブッカー』のマネージャーのまねごとをやっているわたしから……対戦相手に対して常に行っている申し送りなのですが」
「は? はぁ」
訝し気なギリー宣伝部長に、マッチメイカーは言う。
「彼……『キングブッカー』に対して、くれぐれも『
ギリー宣伝部長は退席した後、マッチメイカーの真意を考え込んでいた。
彼とて企業の宣伝として生き馬の目を抜くような暗闘を繰り広げてきた人間である。なぜ『キングブッカー』との
あの瞬間、小太りの運営委員の男から発せられたのは、間違いなく鬼気と称するものだ。
139戦139敗=どこに出しても恥ずかしい記録。
そのまま戦歴を最初のほうへとさかのぼっていけば……見慣れた名前がいくつも出てくる。
「これは……またすさまじい」
現在のアリーナ最高位ランカーの名前がいくつも軒を連ねている。
『キングブッカー』との一戦は多大な収益をあげており、彼と戦ったパイロットもその恩恵を受ける。で、あれば、これまで資金の壁に阻まれ、理想の
「……ああ、そういうことか」
ギリー宣伝部長は納得する――『キングブッカー』は素晴らしい
だがその能力は決められた手順を厳守することに特化している/そんな彼に
『キングブッカー』にはさしたる実力もない=それが明るみに出れば、これまで彼と戦い、苦戦の末に勝ちを得たパイロット全員の顔に泥を塗る結果となってしまうからだ。
知ったことか――ギリー宣伝部長はほくそ笑んだ。
かつて誰もが戦い苦戦を強いられた『キングブッカー』を真剣勝負で倒す。ある意味では最高の宣伝になるのではないか。
セレンにとっては望外の幸運なことに。
リザにとっては最悪に間の悪いことに。
二人はアリーナ運営委員会の廊下でばったりと出くわした。
最初セレンは待ち望んでいた好機が目の前を転がっていたことをすぐに飲み込めず/リザはどうか出会いませんようにと考えていた相手がいたことで、反射的に逃げ出した。
「ま、待ってくださいな、リザ!」
リザ=どうしてこんな間の悪い、と運命をつかさどる何かを罵倒したくなる。
彼女だって『キングブッカー』との試合を自分の都合で放棄したのは悪いとわかっている。データやメールなどで契約破棄の書面を後れれば良かったが、膨大な金銭の動く話なだけあって、直接面談する必要があったのだ。
「どうして逃げるの!」
セレンは自分を見た瞬間、脱兎のごとく逃げ出す彼女に胸が潰れるような思いになる。
これまで数日間の間、話をしたかった――どうして『キングブッカー』の試合を急に取りやめ、連絡の一切合切を行わず。電話の返信やメールのやり取りをしてくれないのか。
嫌われているのかも――そんな恐ろしい予想が現実となって背筋を這いあがる。
彼女を追いかけた。嫌われたなら、傷つけたなら、せめて話をしてほしい/悪いところがあったなら詫びる/せめて仲直りの機会がほしい。
リザはアリーナの施設屋上に迷い込んでしまい、逃げられないと悟ったか――両手を前に突き出して、接近を拒むようなポーズをとった。
「来るなぁ!」
「り、リザ……どうして、何があったの? わたくし、何をしてしまったの?」
以前リザと出会って、いつものように会話をして……それから、彼女はめっきり冷たくなった。
リザ――頭の奥底から湧き上がってくる怒りを感じる=ただしその怒りは理不尽で身勝手な――セレンに向けるべきではない感情だと自覚していた。
ああ、彼女は分かっていない。
この世には無償の善意こそが一番むごたらしい行為になることもあるのだ。
リザは笑った――ほほから涙が伝い、『愛しい/憎たらしい』という相反する感情を表現するような泣き笑いの表情になった。
「……別に? ……何にも悪いことなんかしてねぇのさ」
「なら、どうして」
「近寄るなぁ!!」
リザの激しい怒号に、セレンは思わず竦む。
「頼むから……今のあたしに近寄らないでくれ! あたしだってセレン……あんたが悪いんじゃないってわかってる!
でも頭でわかってても心は別なんだ! 今セレンの顔を見たら言うべきじゃないひどいことを言ってしまいそうでつらいんだよ!」
リザの言葉にセレンの混乱はさらに加速する一方――自分が悪いわけではない/しかし自分の顔を見れば罵声を浴びせかけてしまうのだという。
セレンが混乱しているようにリザも混乱しているとわかるけど、どうすればリザは話をしてくれるのか。目の前にいる相手なのに/数日前まで穏やかに友情と育んでいた相手なのに……手を伸ばせば届く距離なのに。
「リザッ」
「おっと……そこまでだ」
困惑の中で一歩踏み出そうとした瞬間だった――セレンの肩を誰かが掴む。
反射的に払いのけようと振り向くセレンは、男の顔を見てうなり声をあげた。
「……あなた、『キングブッカー』?!」
一気に視線が険しくなっていく。
セレンは一気に疑心が心の中で膨れ上がっていくのを感じた。
そうだ、どうして気づかなかったのだろう……自分と彼の試合で利益を得るものは、この男がいたのだ。
『キングブッカー』VS『スマートボア』の勝負が突然お流れになった――リザが自ら戦いを降りたと聞いたが本当だろうか?
兄でありソルミナス・アームズテック社の宣伝部長であるギリーはリザに試合をやめさせ、自分と『キングブッカー』との試合を成立させようとした。なら彼が 買収に応じ、リザとの試合を断ったのではないか。
リザが口ごもるのもそれならわかる。、ギリー宣伝部長は嫌味な上司だが実兄でもある。リザは試合を降りるように脅迫されたが、セレンの親族だからと気を使われたのではないか。
もちろん、セレンの頭の中を駆け巡ったのはなんら証拠などない身勝手な妄想の類だ。
それは自分が知らぬ間にリザを傷つけたのかもしれないという可能性から目をそらすため、『キングブッカー』を悪者に仕立て上げようという無意識の考えによるものだった。
人間は自分にとって都合のよいものを信じる。
リザとの仲を引き裂いた悪人を欲していたゆえに、セレンは叫ぶ。
「あなたね……」
「ん?」
「あなたが、リザと私を引き裂いたのね?!」
その言葉の意味が分からず数秒沈黙したキングであったが……理解するに至ると、ふっ……と笑いを漏らした。
ただし、面白いから笑ったのではない。
謂れのない非難中傷を浴び、腹の中から湧き上がる怒りをこらえるための笑いであった。
だが余裕にかけたセレンにはそんなことわかるはずもない――あざけられたのだと頭に血が昇る。反射的に拳を握りしめて殴りかかろうとし――
その動きのすべてに先んじて、キングの手のひらがセレンの肩を掴んで殴りかかる動作の出始めを抑え込む。
「う……?!」
「落ち着け落ち着け」
動けない。パイロットとして生身での格闘訓練を積んだセレンだが、相手に片腕一本で封じられた。
相手の格闘の技量は自分より遥か高みにいる。
「リザ。ここは俺に任せておけ。冷静に話ができる状態じゃない」
「お、おう。……悪い。あたしの友達なんだ、手荒な真似はやめてくれよ?」
キングの言葉を受け、リザはセレンに心配そうな視線を向けたが――そのまま足早に去っていく。
セレン=キングを親の仇のような険しい視線で睨みつける。キング=らちが明かん、と肩を掴む手を放して、リザとの間に割り込む位置にたたずむ。
彼を避けてリザを追いかけたい――だが、目の前の男から発される威圧感は、まるで眼前に山でも降って沸いたかのように強烈で、まったく突破できる自信がない。
「で……俺が、君とリザを引き裂いた、だって? 馬鹿言えよ、リザは次の試合の対戦相手だ。迷惑してるのはこっちだぜ」
「あなたがギリー宣伝部長にお金を積まれたからじゃないんですの?!」
キングは静かに目を細めた。
数日前……リザに何が起きたのか、話を聞いた/パイロットとして戦い続ける闘志をへし折るに足る出来事だった。
その元凶である彼女は、自分が何をしたのか理解もせず、自分以外の何かが悪いのだと叫ぶばかり――いらだちが湧き上がる。そのすべてを抑え込んで冷静さを装い、答える。
「……まぁ、リザの奴もいつまでもあんたを避けてはいられないだろう。次の試合後を待ちな。それが終わったら何があったか教えてやる」
キングはそう言いながら彼女に背を向けた。
今度の試合は『ブルーローズ』だが、彼女と劇的な試合展開に関して練習をする時間的余裕はない。
今までで一番退屈な試合になりそうだ――キングはそう考えながら背を向ける。
「待ちなさいっ! 教えて……わたくしが、わたくしが……悪いの?」
その問いかけに足を止めるキング――少し考え込んで、答えた。
「いや?
……あんたは、悪くない。
……だいたい6割ぐらいしか悪くないよ」
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