16:ドタキャン
懐かしい思い出を夢に見る。
少女が一人高台で遠方を眺めていた。
視線の向こうにはバグの侵攻を食い止めるための『壁』/一度破壊され、補修されて色違いになったそこは、彼女にとっては苦々しい思い出の場所だったのだろう。
侵入するバグ/阿鼻叫喚の地獄と化した居住区/流れ弾でたやすく失われる人命――戦闘の余波で人が死ぬ……そう聞いている。
「マスターのばあさん。そこにいたのか」
「とうとう名前負けせんようになったな、キング。このわらわ、敗残兵のランク2に何のご用かね」
長年アリーナのトップに君臨し続けてきたのが、この少女にしか見えない子供であると知ればたいていの人間はまさか……と笑い/そして真実を知って青ざめるだろう。
キングはマスターに話しかける。
長年アリーナのトップランカーとして君臨してきた輝かしい戦歴に、唯一傷をつけた男=ランク1『キングスレイヤー』へ、ランク2『マスター』は笑う。
引き締まった肉体/高額な
ただ唯一、白い手袋だけが完璧な美貌に傷を添えていた。医療技術に詳しいものならばわかる。かつてはどれだけ優れた美容整形手術も、指の関節部分に刻まれた年輪のごとき皺までは除去できなかった。義肢化された指に残された皺は、自分が老人であることを忘れないための戒めだという。
キング=苦苦しい顔つきになる。
「王位奪還戦をやらないと聞いたぞ。俺としちゃクリスマスプレゼントを待ちわびるジュニアスクールの子供の気分だったんだが」
「……無理を言わんでほしいね、キング。……確かにわらわの肉体は、今もなお全盛期の能力を有しているが……魂の老いだけはいかんともしがたい。
長年守り続けてきた王位を挑戦者に譲り渡して、わらわの心にあるのは屈辱と憤怒ではなく。
世代交代がなされて安堵する心だ」
そうか、とキングはため息を吐いた。
「俺としては、ランク2のミストシャドウに挑む時や、トップランカーだったマスター。あんたと戦ってる時が一番バチバチして楽しかったんだがね。寂しくなるな」
「わらわは40歳の頃にトップになり。自分を乗り越える若者を30年は待った。
……肩の荷が下りた気分さ」
マスターの眼差しは遠くを眺めている――かつて『壁』が破壊された際、民間人が残っている区域で戦闘を行うように命令された過去の悔恨を思い出しているのだろう。キングは『壁』を見ながら呟いた。
「簡単に王位を譲る気はないが……30年は長すぎるな。ところで婆さん、引退はするの?」
「このわらわは肉体だけは若い。100歳までは肩を並べて戦ってやるさ」
「……勘弁してくれ婆さん。半世紀以上の戦闘経験と全盛期の肉体を維持した老兵のあんたを倒せないと俺に挑めないとか……人の楽しみを奪わないでくれる?」
「なら。育ててみる気はあるかね?」
キング=予想していない提案の言葉に首を傾げる。
「パイロットは死亡率も多い。バグとの最前線を戦う必要があるのに、この世の王たる企業はアリーナのもたらす収益ばかりに目を向けているばかりよ。
腕の立つものには雄飛するチャンスを与えてやりたい。どうせ暇になるであろ?」
「あんたが引退してくれないからね」
長々とため息を吐くと、キングは少女めいた老婆を恨みがましい目で見つめた。
「俺に
「ぬしには名伯楽になれる才能を見出したのじゃ、自信を持て。おぬしは導く才能がある」
指導者、指導者か――確かに自分は相手の試合を見れば癖/改善すべき点/つくべき弱点――様々な要素を見抜く才能がある。これまではその才能を倒すために使ってきた。
それらを生かせれば、芽吹かぬまま終わる才能を芽吹かせる手助けができるのかもしれない。どうせ暇になりそう、というマスターの意見も頷ける。
最底辺のパイロットから数年でトップまで駆け上がった。何年かすれば世代交代し、自分に挑むパイロットも出るだろうが、それを黙ってみているのもつまらない。
強者との闘いが何より血沸き肉躍る/それにかつて指導した弟子が自分を乗り越えていく様も、面白かろう。
願わくば、自分を踏み越えて勝ち上がり、玉座の自分を引きずり落とすような優秀なパイロットが現れますように……。
「……また、懐かしい夢だったな。ってなんだよ、こんな時間に」
『キングブッカー』ことキングは、朝の陽ざしがカーテンの隙間から差し込む早朝に……突如としてけたたましく鳴り響く呼び出し音に顔をしかめた。
昨日まで次の試合運びに関する修正案を検討して、まだ瞼に眠気が残っているというのに。
薄目を開けて、空間に表示されるディスプレイを除けば、そこにはマッチメイカーからの着信とあった。
「……繋げ……どうしたよ、マッチメイカーのおっさん。この時間帯まだ眠いんだけど」
『キング……私を通じてリザからあなたに連絡を受けました』
キングは、マッチメイカーの言葉に含まれる焦りと苦渋に、何かよからぬことが起こったのだと悟った。
「……どしたよ」
『リザが……『スマートボア』が……今回の『キングブッカー』との勝負を棄権すると、そう言ってます』
キングはしばしの沈黙の後、重々しく口を開いた。
「試合の二週間前にドタキャンいれるような根性なしには見えなかったんだがな」
『……私もそう思っていたのですが……すみません』
「いや、同意見だ。そんな風には見えなかった……なんだ、何があった?」
キング――瞼に残っていた眠気のすべては、マッチメイカーからの一言ですべて消し飛んでいる/跳ね起きるように立ち上がり、服装を整えると、そのまま車両に乗りつける。行き先を指示して自動運転に任せ会話を続けた。
『わかりません。ただ何を言っても『もう無理だ』としか。……すみません、キング。彼女と直接会って事情を聴いていただけますか?』
「今腕によりをかけて急行中だ。……それで、アリーナの運営委員会はもちろんリザに接触する不審人物はいないと言ってるんだよな」
『それは保証します。リザには不審人物は一切接触していませんし、おかしな脅迫メールを受けたなんてこともありません』
以前、リザはソルミナス・アームズテック社と接触を受けていた。そのために企業から『キングブッカー』との試合を降りるように脅迫を受ける恐れがあったため、アリーナはリザに隠密裏に護衛をつけていたりする。脅迫が行われていたならば、ソルミナス・アームズテック社に対して多大なペナルティが支払われていたはずだが。
何が原因だ? と思考していたキングだが……自動操縦に任せていた車両が、渋滞に巻き込まれているのだと周囲を見て気づいた。
「渋滞? このクソ忙しい時になんだってんだ」
検索すれば近くで工事を始めているため、車線が狭くなっているらしい――キングは苛立たし気にうなると、車両を自宅への自動帰還モードに設定してドアを開ける。
距離はそれほどはない。歩いて向かうほうが早そうだ。
リザの住まいは
『キング。今運営委員会に掛け合ってリザの現在位置を割り出しました。そちらに向かってください』
「プライベートとかどうなってんのかね。わかった」
マッチメイカーの言葉にうなずく。
自然が多く残された自然公園の丘は、都市内部を一望できる高さになる。キングは、そこで目当ての相手を見つけた。
リザがいた。私服で手すりに腰かけている。
「……リザ。話は聞いた。何がいったいどうなったんだ?
「……キング」
ふるり、と肩を震わせながら、
「……あたしは、もう。だめだ……」
かつて昔、幾度も戦場で見た=絶望と諦観にまみれたリザの眼差しに彼は言葉を詰まらせた。
絶望で闘志が萎え、戦う力を完全に失い自信を完全にへし折られた彼女がそこにいた=ほんの数週間前の、自信と活力に満ち溢れた姿からは想像もできない。
彼女は、もうだめだ。
キングにわかるのは……彼女はパイロットとして半分死んでいるという事のみだった。
「何があった」
その質問の言葉にリザは唇を噛み、何があったのか、すべて話した。
「マッチメイカー。リザと話して事情を聞いた」
『どうでした? 試合には間に合いそうでしたか?』
キングはしばし口を噤んだ後、言った。
「無理だな。……彼女はもう、戦えない。戦わせられる精神状態じゃない」
『……わかりました。事情は後で聞きますが、どうしますか?』
マッチメイカーも事細かな説明を聞きたかったが、アリーナの運営委員会として興行に穴をあけるわけにはいかない。すぐに代理を探すか/中止の決断を下す必要があった。
「次の相手の当てはあるか?」
『……『ブルーローズ』を考えていました。『スマートボア』に次ぐ期待の新星でしたから、いずれ声をかけるつもりでしたよ』
「やれやれ。図らずもギリー宣伝部長殿の思惑通りか。……ソルミナス・アームズテック社の仕込みだったら恐ろしかったが」
キングは鉛のようなため息を吐いた。
リザから事情を聴き、彼女が戦えなくなった理由は十分に納得いく。あの精神状態で、繊細で適切なコントロールが必須のショーなど、何度挑戦しても実行できないだろう。
もしこれで何者かが悪意を持って罠を張ったというのならばまだあきらめもついた。
だが……そうではない。あまりにもめぐりあわせが悪いゆえに起きた事件だった。
「……救われねぇ。
……ギリー宣伝部長に連絡してくれ。あんたの申し出を受けるが、試合まで時間がない。『キングブッカー』が負けるのは確定演出だが、劇的な試合展開にはならないだろうが、それでもかまわないか? とな」
『了解しました』
まぁ、ギリー宣伝部長は申し出を受けるだろう。
彼からしてみれば万々歳か。リザとの勝負で引き分けになったものの、リスクを負うことなく最初の望み通りの形になったのだから。
キングは自宅へと戻り始める。
『ブルーローズ』は有能なパイロットだが、彼女の才能を引き出すような劣勢と劇的な勝利の演出を考え、練習をするには時間がなさすぎる。
いろいろな意味で退屈な試合になりそうだ。
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