15:りっぱな、ゆめ


 タンク舐めてた――撃墜された回数カウントがそろそろ100に手が届く数字になったあたりでリザは口から疲労のうめきをこぼしながら操縦席に突っ伏した。


『ゲーッヘッヘッヘ!! ゲーッヘッヘッヘ!!』


 通信機越しに聞こえるキングブッカーの耳障りな笑い声=ムカつく。


『そろそろ休みにしようぜ!』


 その一言に『助かった』という安堵の気持ち/同時に『耐久タフ』のアセンション能力を用いている自分より元気いっぱいな様子に『どうなってんの?』と呻く気持ちを抱え込んだ。


「……あんたの前の試合、『サジ』もこんな訓練をやったのかよ」

『ゲーッヘッヘッヘ! ……あんまりぼこぼこにしたせいか、キレて睨まれたわ』


 こうして戦ってみるとわかる――キングブッカーは恐ろしいほどの手練れだ。

 前に彼が戦った『サジ』は劇的な勝利で観客を大いに沸かせた。だがそれは、実際には千に一つの勝利を観客の前で見せつけるため、前準備で繰り返した膨大な敗北の上に成り立った勝利なのだ。

 いまさらながら、八百長を成立させる男の腕前に戦々恐々とする。


「……とにかく、大震地旋回が厄介すぎる」

『タンク型の拡張骨格オーグメントフレーム乗りには必須の技能だからなぁ』


 鈍重なイメージのあるタンク型だが……キャタピラで走行するこのタイプには、他の脚部にはない大きな利点がある。

 右側キャタピラ=前進/左側キャタピラ=後退――それを同時に行うことで迅速な旋回速度を発揮できる。その高速旋回は、軽量機の速度にさえ十分に追従することが可能だ。

 リザの目下の課題=速力を落とさぬまま最も理想的加速を続け、タンク型の照準さえ振り切る速度で接近する。

 それには瞬時に移動コースを選び取り、速力を落とさず/バランスを崩さず、最短距離を最速で突破する技量が必要になる。


 動きが早くなっていると実感する。以前よりも上達しているとわかる。

 リザは腕をあげる自分自身が何よりも面白いと感じていた。


『……おっと、そろそろ時間だ。本日はここまで』

「……うーっす」


 やる気が漲った瞬間に聞こえてくる終了宣言に、リザはもやもやした気分になったが……すぐさま気を取り直した。

 これから友達と会う予定だ。


『リザ。『ブルーローズ』によろしくな』

「なんで知ってんの?」


 突如としてプライベートに深く切り込んでくる発言を受けてリザは狼狽したが、キングは通信機の向こうでため息をつきながら言う。


『お前に対してソルミナス・アームズテック社のほうから苦情が来ている。娘にまとわりつく不快な害虫を排除してくれってな』


 その言葉に、リザは自分の腹の奥底から冷ややかに燃えあがる激情の炎を実感した。

 ここ数日のデート……密会を経て、『ブルーローズ』=セレンの現状を事細かに知る機会を得た。リザも生活環境は良いと言えなかったが、セレンのほうも負けず劣らずひどいものである。

 友人らしい相手を一人も持たないなら、自分でもできる限り力になってやりたかった。

 同時に、『キングブッカー』にも反射的に身構えた。大企業の圧力を受けた場合、抗えるものは少なく彼もその走狗になるかもしれないからだ。


『気にすんな。俺も無視している』


 だがキングは大企業の無言の圧力を鼻で笑える類稀な例外なのだと知らしめるように笑った。


『だいいち、大の大人が自分で友人ぐらい選べないでどうすんだよ。だから気にすんな、好きにやれ。

 ――ただし。マッチメイカーから、ひとつだけ言伝を預かってる』

「最近セレンと一緒にいるあたしを見るとその場で両手を合わせて伏し拝んでくるあのおっさんが?」

『……えええぇぇ……?』


 通信機の向こうのキングブッカー=心の底からドン引きした様子の声。

『ちょ、ちょっと待ってろ』と言ってからどこかに連絡をして。

 しばらくの後で彼は嘆息をこぼして、口を開いた。


『リザ、お前は四級市民レッドで、彼女は一級市民ブルーだ』

「……なんだよ、いまさらわかりきったことを」


 彼も周りの連中と同じようにセレンとは住む世界が違うから、と親切顔して出会うのをやめるように言いたいのか。失望が顔に浮かんでいたのだろう、彼は、静かで、穏やかで……苦しみを突きつけるような眼差しで言った。


『住む場所、世界、何もかもお互いに違い過ぎている。

 いつか、その差異が、致命的ないさかいを引き起こすかもしれない。……彼女と接するなら、それだけは覚えておけ』


 相手の真剣な表情に、リザは喉奥までせりあがっていた反論の言葉を飲み込んだ。

 意味は分からない、けれども相手が自分を本気で案じて発した言葉というのは分かる。自分を案じているからこそ出た言葉を否定する気もなく。リザはただ黙って頷いた。





 マッチメイカーの忠告の意味を理解するのは、少し先の話だった。






 リザとセレンの二人は本当に馬が合った。

 リザにとっては成すべき事を果たすためだったパイロットとしての人生。

 セレンにとっては一族の出来のいい道具としての人生。

 そんな二人にとって、お互いは無味乾燥な人生に色合いを与えてくれる華やかな相手。


「それで、今日はどこに参りますの?」

「んー。……そうだなぁ」


 二人は武骨なパイロット用スーツを着替えて私服のまま街中を歩いていく。二人とも常人とは違う、アセンション粒子によって身体能力が劇的に増加したパイロットだ。セレンも大企業の令嬢だが、ボディガードをつける必要もないためそこは気楽なもの。

 二人が進むのは二級市民グリーンが住まうエリア。帯銃は許可されず、治安維持用の警備ドローンが空中を飛行して巡回している。

 何かあれば通報が行われ、ほんの数分で武装した警備車両がやってくるだろう。

 セレンにとってもこういうセキュリティサービスは慣れっこで、むしろ『装備が貧弱ですわね』と言わせるほどだ。

 もし、同じことを四級市民レッドの住まうスラムで実行しようとしたら、警備スタッフが過労死するだろう。

 リザは、大事な友人であるセレンを危険な故郷へと連れて行きたくはなかった。安全のこともあるが、彼女に自分の生まれを知られて軽蔑されたくない、と、そう思うぐらいにはセレンが大切だった。


「ここを歩いていくと高台に出るんだ。今日はそこに行こう」


 近くの販売機で購入したドリンク類/パンズに多種多様な野菜と鶏のもも肉を挟み、マスタードソースを注いだ携帯食――以前セレンと一緒にジャンクフード店に入って食事したのだが、彼女は一口だけんでから、おしとやかにほほ笑んで口をつけることはなかった。


 以降はセレンの舌にとって及第点/リザの舌にとって飛び切りのご馳走――である携帯食を下げている。


「……リザ、どうかなさいましたの?」

「いや……いや、なんでもねぇよ」


 頭の中に浮かぶのは、マッチメイカーの言伝だ。

 生まれも育ちも大きく違う自分たちに、いつか致命的ないさかいが起きるかもしれない――そんな忠告など嘘だと自分自身に言い聞かせる。

 確かに食生活だって大きな差異があったろう。でもそれがなんだ=素直に自分にとって、この携帯食がご馳走だといえば、セレンはそういうこともあるのか、と驚きつつも頷いた。食事でリザを下げずむような性根の娘ではないのだ。


「ついたぜ。ここなら……あたしの生まれたあたりが一望できる」


 視界の向こう側に広がって見える光景――倒壊したビル群/放置され続けた瓦礫の山々/巨人型バグによって破壊された『壁』に残る色違いの補修跡/時折遠雷のように聞こえる銃声。

 二人は仲良く隣同士に座り合った。

 こうしてお互いの事情を話し合っていたけど、リザは自分の夢を話すのはこれが最初だった。


「あたしは、あそこで住んでるだろう、あたしみたいな孤児が安心していられる、弱い立場の人を守る施設を作りたいんだ」




「……とても、立派ですのね、リザは」


『ブルーローズ』ことセレンは目を伏せ、耳のあたりが燃えるような羞恥心に震えていた。

 四級市民レッドとして生まれ育った彼女/パイロットとしての才能を知ると、孤児の保護施設建設のために戦いで得た金をつぎ込む高潔なふるまい=それに比べて自分はなんと恥ずかしい人生を送ってきたのか。

 セレンは両親に対して憎悪を抱いているが、それでも衣食住だけは世話してもらっている/高度な教育を与えられてきた/高性能な拡張骨格オーグメントフレームだって持っている=すべて勝ち得たものではない。

 そんな自分より、お世辞にも恵まれているとは言えないリザは、他人のために身銭を切って孤児を守ろうとしている。

 四級市民レッドの彼女の立場は弱い――しかしもっと弱い立場の子供のために働く姿勢は、一級市民ブルーの中でさえ見たことがない、敬意に値する高潔さだ。

 リザ=照れたように微笑む。


「なぁに。才能あるみてぇだしやれることやるだけさ。……セレンも、両親を殴りたくなったら呼びな、手伝うぜ」

「あら、ありがとうございます」


 セレンは友人の言葉に微笑みながら感謝する。

 こんなにもいい友人ができたのだ。



 自分もなにか、できることから始めよう。


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