第5話
「はぁい、お待たせお待たせ~」
上機嫌な声を響かせ、砧さんが部屋へと入って来た。両手で抱えたトレイには、これまた可愛らしい、テディベアのイラストが描かれたカップが3つ。その横には、ハートや星を象ったクッキーの山。砧さんは、それをあろう事かグランドピアノの椅子の上に置いた。自身は部屋の隅からわざわざパイプ椅子を引っ張り出してきて、そこに腰を落ち着ける。
「今日はキリマンジャロの気分だったんだけど、お口に合わなかったらごめんね。ついでに今朝焼いたクッキーも一緒にどうぞ」
にこやかな笑みを浮かべる砧さんに会釈を返す。その横で、篠森が深く息を吸う音が聞こえて来た。
ちらと目を向けると、レンズの奥以外はしっかりと微笑みの表情を作っている。
「可愛いクッキーですね。ご馳走になります」
猫撫で声と仕事モードの中間のような声で、そんな言葉を放つ篠森の心の声が否応無しに聞こえて来る。
『乙女か!』
恐らく、そうずれてはいないだろう……。
俺は仕切り直す為に、一度立ち上がった。懐から名刺を取り出し、改まって挨拶をする。
「改めまして、来英出版の君島です。本日は、わざわざお時間を……」
「あ~、僕ねぇ、そう言う固いの苦手なんだよね。とりあえず、名刺だけ貰っておくのでいいかな?」
「あ、はぁ……」
四の五の言う暇も無く、素早く手の中から名刺を掠め取られてしまう。
「達也君の名刺なんて、ファンとしては垂涎物だからねぇ。今度のコンサートの時に、譜面台に置いて弾いてもいいかな?」
「いや、その、それは、どうぞご自由に……」
――まずい、完全にペースを持っていかれてる……
「砧さん、同じく、来英出版の篠森です。本日は君島共々、宜しくお願いします」
篠森が俺の前にずいと歩み出て、砧さんに名刺を手渡した。
「ありがとう。へぇ、篠森秋絵さんね。僕ね、砧さんって言われるの、あんまり好きじゃないんだ。最近外国にいる事が多いからかな? 向こうはみんなファーストネームだしね。だから、良かったら雅の方で呼んでもらえる?」
「はい、分かりました、雅さん、改めて宜しくお願いします」
「あと僕、綺麗な顔の女の人ってあんまり覚えられないんだよね。次会った時に忘れてたらごめんね」
「いえ、お気になさらずに。本日は宜しくお願いします」
恭しく頭を下げ、篠森は自身の椅子に戻り、腰を下ろした。横目で見た同僚は、綺麗な顔の女の人、に反応したのであろう表情をしていた。篠森に合わせ、自分も座る。
「いただいても?」
「どうぞどうぞ」
隣から漏れ出た声は、先程よりも若干甘味を増していた。コーヒーに砂糖を入れる趣味は篠森には無い。声の甘さの理由を思い浮かべても、先程の雅さんのお世辞くらいしか思い浮かばない。
篠森がコーヒーカップに手を伸ばす。俺も倣い、カップを手に取る。一口啜ると、深い匂いが鼻を抜けていき、少し遅れて強い、だけども心地いい苦味と酸味が舌に広がった。
――美味い。
キリマンジャロと言われても俺にはピンと来ないが、確かにこのコーヒーは美味かった。
「砂糖とかミルクとか入れなくていい?」
雅さんはそう言いながら、自身のコーヒーにミルクを少し、角砂糖を3つ入れた。
「よくさぁ、コーヒーに砂糖やミルク入れるなんて邪道だ、とか言い出す人いるでしょ? あれ意味分かんないよね? 素材の味がどうこうとか言いたいんだろうけどさぁ、じゃあお前は刺身に醤油を付けないのかって、蕎麦に麺つゆは必要無いのかって。思わない? 人それぞれ好みがあるんだからさ、身体壊さない程度に、好きなように、好きな味付けで食べたり飲んだりすればいいと思うんだよ」
ティースプーンでカップを掻き混ぜながら、頬を膨らませてそんな能弁を垂れる雅さんは、実年齢よりも幾分、いや随分、幼く見えた。
「そんでさ、今日ってあれでしょ? 僕の事取材に来てくれたんだよね?」
「はい、そうです。今度、新たにまたジャズクラシックのCDをリリースされると伺いました」
「あー、その話? あれはこないだのライブの時一発録りした奴だからさ、正直色々失敗してて世に出すのは恥ずかしいんだよね。そんな話しか出て来ないよ?」
「いえ、その宣伝も兼ねまして、雅さんの事を色々とお伺い出来たらと思っております」
「僕の事か。うん、じゃあさ、僕からも達也君にインタビューさせて貰っていいかな?」
「……え?」
「僕だけがやいのやいの聞かれるのって、何だか不公平じゃない。お互いに理解を深めた方がいいと思うんだ。っていうか、僕が達也君に色々興味があるからさ」
「俺……、いや、私の事ですか?」
「勿論です。それでは、相互インタビューと言う形にしましょうか。タツヤ君の事を知りたがっている読者の為に、雅さんがインタビューをして下さると言う形式でどうでしょう?」
「おい、篠森」
「いいじゃない。雅さんがそう言う風にしたいって仰ってるんだから。気持ちよく喋って貰うのも、聞き手側の務めでしょ? それに、実際君島君の事を知りたい読者さんも多いのよ。折角の新シリーズなんだし、方向性決まって良かったじゃない」
しれっと言い放つ同僚の後ろに、こいつを選んだ編集長のしたり顔が見え隠れする。
「記事にするかしないかは後判断でいいでしょ?」
「それもそうだが、お前随分と楽しそうだな」
「楽しいもん」
正直だがよろしくない。
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