第4話
「うっわ~、でけぇ家……、マジで儲かってんのね」
4日後、俺達は取材の為に砧さんの自宅へと足を運んだ。閑静な住宅街で、静かに、だが確かに存在感を発している、周囲の家々よりも二回り程大きなその家屋を仰ぎながら、篠森はぼやくように呟いた。
俺はと言えば、その大きな屋敷の主の資料を、頭の中で反芻していた。
砧雅、36歳。
幼い頃よりその才能を遺憾無く発揮し、数々のコンテストで入賞を果たす。16歳で、小早川弦へ弟子入り。二年後、高校卒業を機に18歳で単身ウィーンへ渡る。22歳の頃、現地で発売したクラシック・ジャズのCDが日本へ逆輸入、国内で話題となる。翌年、帰国。コンサートやライブを精力的にこなし、メディアへも多数露出。28歳で音楽事務所、MIYABIを設立。現在は若手ピアニストの育成や社長業もこなしながら、本人も精力的に活動中。
資料の上だけで見れば、才能溢れる人間の順風満帆な人生に思える。天才の生き様を感じ取れるのか、それとも貴重な苦労話が聞けるのか。どちらにしても、生半可な気持ちで話を聞くのは失礼だ。
「写真見たら、かなりイケメンのおじ様だったのよね。なのに独身、おまけに金持ちだなんて、売れ残ってるのが信じらんないわ。よっぽど性格に難があるのかしら?」
「琴の話では、かなり変わった人らしいが……、結婚してないのは、本業が忙しいからじゃないのか?」
「単に出会いが無いだけかもしれないって? ははっ、見初められちゃったらどうしよう、困っちゃうな~」
「万が一見初められたとして、お前が断るとは思えないけどな」
「万が一にも見初められる筈が無いと思ってる口ぶりね」
「お互い様だろ」
「なによ、私は、万が一くらいの夢なら見てるわよ」
「夢って言っちゃってんじゃねぇか」
「うるっさいわねぇ。減るもんじゃねぇんだし、夢くらい見せろっつぅの」
「好きにしろ。よし、そろそろ時間だな、行くか」
「うぃ~、さてさて、鬼が出るか蛇が出るか」
緊張で強張った神経を軽口で叩きほぐす。恐らく柊であろう植物の装飾が施されたドアの前まで行き、一度深呼吸をしてからインターホンを押した。
数秒の後、インターホンから快活な声が響く。
『タツヤ君?』
事務的な受け答えも無く、突然投げかけられた主語に思わず面食らう。
「は、はい、そうです」
『鍵開いてるから、勝手に入って来て。二階にいるから』
それだけ告げると、インターホンは任務完了と言わんばかりに沈黙した。
「ちょっと、いくらなんでも不用心過ぎない?」
「ああ、俺もそう思う」
「まぁ、勝手に入れって言われたんだから、さっさと行きましょう」
篠森に促され、ドアの取っ手に手を掛けた。中へ入り、玄関で慰み程度の挨拶を室内に向ける。
「失礼します!」
「入らせて頂きますよ!」
「は~い! どうぞどうぞ!」
玄関の目の前には大きな階段があり、声はその階上から響いて来た。
靴を脱ぎ揃えながら、篠森がぼやく。
「天才って、やっぱりこういうもんなのかしらね?」
皮肉は聞かなかった事にして、俺達は階段を上って行った。
上り切ってすぐに、「やぁ、いらっしゃい」と声が掛けられる。階段上で待ち構えるように、その人、砧雅は立っていた。茶髪の混じった頭髪に、元から彫りが深いのか、皺の色濃い顔。だけど、その表情はとても柔和で、穏やかな気質を感じさせた。
「とりあえずこっちの部屋で座ってて。今、美味い珈琲淹れるからさ」
砧さんは、俺達の返事を待たないまま、指先で部屋を促すと、温和な笑顔を浮かべたまま階下へと降りて行ってしまった。
指定された部屋に入った瞬間、篠森から、「うぃっ」と言う、嗚咽とも悲鳴ともつかない鳴き声が漏れた。部屋の中央には大きなピアノ、そしてそのピアノを囲むように、大小様々な無数のテディベアがお行儀よく座っていた。部屋の壁紙は、大草原を彷彿とさせるような、草と空の絵が壁一面に描かれている。爽やかと言えば爽やかで、ファンシーと言えばファンシーだった。
「ねぇ君島君?」
「なんだ?」
「私、漫画家以外の芸術家って初めてなんだけどさ、みんなこんな……、あー、個性的な感じなの?」
言葉を選んだだけよしとしよう。
テディベアに囲まれるように置いてあった椅子に座る。熊達からの視線に殺気は含まれてはいないものの、妙に落ち着かない。それは篠森も同じのようで、無遠慮に、やたらめったら視線を巡らせていた。睨みを利かせたその眼光は、集中的に浴びせられる熊の視線を、一つ一つ押し返しているようにも感じ取れる。眉間の皺が深い。
落ち着け、あくまでも相手はテディベアだぞ、と無意味な念を飛ばしてみる。
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