第2話

 篠森の不機嫌の理由を説明する為、話は3時間程前に遡る。

「君島~! ちょっと~!」

「はい」

 書店回りを終えて帰社した俺は、早々に編集長に呼ばれた。行くと、刷り上がったばかりの企画書の束を渡される。表紙には、ピアニスト、砧雅インタビューと書いてあった。

「ピアニストにインタビュー、ですか?」

「ああ、再来月号の頭から、月一で音楽家へのインタビューの企画が上がってな。お前、今月であっちの方終わりだろ? 任せたから」

 あっちの方とは、俺が来月号、つまり今月で最終回を迎えた、画家へのインタビューコーナーの事だ。一部のコアなファンには受け入れられたようだが、一般的にはやはり画家の特集と言うのは地味だったようで、そこまでの支持を得ることは出来ず、今回で終了の運びとなったのだ。

「編集長、なんでまた俺なんですか?」

「お前のインタビュー、画家さん達には随分好評だったんだよ。企画自体が地味だったから、まぁ伸びなかったのは仕方ねぇけど、お前の事気に言ってくれた画家さんは随分いてな。こないだ、お前が初回で特集した画家さんの個展があった時、うちの雑誌だけ開催前に入れてくれてよ。君島君によろしくって言われたって。って訳で、次もお前が適任だなって判断した」

 初回って事は、版画家の中村さんだ。どんなインタビューをしていいかまるで分からず行った俺を、インタビュー後飲みに連れてってくれた。俺はその日、中村さんに上手く話が聞けなかった事で自己嫌悪に陥っていた。そんな俺に、日本酒を飲みながら、君は君らしくあればいいんだと言って、快活に笑ってくれた。インタビュー記事が載った号が発売された後に、丁寧な手紙が編集部に届き、是非君島君にと、君島の名が掘られた手製の判子が同封されていた。お礼の電話をさせて貰った時も、君は君であるだけでいいんだと、あの日と同じように言われた。今回の個展も、行けなかった事が大変悔やまれた。たまたま、最終回のインタビューの日と被ってしまったのだ。後でまた一本、お礼とお詫びの電話をしておこう。

「今回も、お前らしく、いい感じにインタビューして来い」

 編集長は、俺が中村さんに言われた言葉を妙に気に入ったらしく、俺にいつも、お前らしくお前らしくなんて、したり顔で言う。

「それにしても、俺一人ですか?」

「もう一人くらいつけようと思ってる。まぁこう言うのは縁だしなぁ」

「縁?」

「お前、砧さんのプロフィールちょっと見てみろ」

 編集長に言われるがまま、企画書を一枚捲る。そこには、その砧雅さんとやらのプロフィールが並んでいた。順に追って行った時、見覚えのある名前を見つけて、思わず目が止まった。

「16歳で、小早川弦へ弟子入り?」

「あれだろ。それって確か、琴ちゃんの親父さんだったよな?」

「はい、そうです」

 編集長は俺よりも、琴との付き合いが長い為、琴の事を名前とちゃんづけで呼ぶ。この気軽さを、好ましく思わない人もいないでは無いらしいが、俺はさして気にしてはいない。基本編集長は、名前にしろ苗字にしろ、作家は大体ちゃんづけだからだ。

「編集長、弟子入りの事、知らなかったんですか?」

「まぁ俺も最近忙しくてな」

「それで、縁と言うのは?」

 そこで、編集部の入口の方からダルそうな声が聞こえて来る。

「おどりあーした……」

 見ると、眼鏡が半分ズリ落ち、口をきちんと閉じるのすら面倒なのであろう篠森がいた。

「おー、丁度良かった。お~い、篠森~!」

 編集長が篠森の元へ声を掛ける。狭い編集部は、そんなに大きな声を出さなくても十分に端まで声が通るが、編集長は人を呼びつける時、不必要なまでにでかい声を出す。本人曰く、聞こえなかったふりを撲滅する為らしい。編集部全員に聞こえる声で呼びかければ、本人が聞こえないふりをしても、周りからのフォローが効く。まぁ、一社会人として、聞こえないふりをするのはどうかと思うが、編集長が以前いた職場では、その場に居たと言うだけで新たに仕事を振られる事があり、その際に、聞こえないふりをしてサッといなくなるのが有効だったと言う。どんな職場だ。

 自分のデスクに荷物を置いた篠森は、しかめっ面を隠そうともせずに、こちらへ幽鬼のように近づいて来る。

「……なんすか?」

「木下ちゃんの原稿、上がったんだろ?」

「ギリッギリでしたけどね。マジで、あの人マジで、うちで使うのやめません? そんなに人気な訳でも無いのに、いっつもギリッギリで、マジで、やってらんないんすけど……」

 激しい疲労とは、時に人を素直にさせるものだ。その時溢れてくる本音は、殆どが負の物かもしれないが……。

「まぁ、間に合ったならいいんだ」

「んで、なんすか?」

 編集長は、自らが持っていた企画書を、篠森へと手渡した。

「これお前ら二人で頼むわ。細かい事は君島に聞いてくれ」

「……はぁ?」

 隣から、どす黒い殺意に火がつく音が聞こえる。

「そんじゃ、俺は印刷所回ってくるわ。直帰になると思うから、君島、後頼んだ」

「はい……」

 編集長が去っていく姿を、ちらりと眺めた後、俺はゆっくり、隣の殺意に視線を移した。すると、殺意は俺の顔を食い入るように見つめていた為、思わず目を逸らしてしまう。

「はぁぁぁぁぁっっっっ……」

 気を落ち着ける為なのか、殺意を吐き出す為なのか、長い長いため息が聞こえて来た。

「君島君……」

「なんだ?」

「飲み行くよ?」

「俺、まだ仕事……」

「飲み行くよ?」

「……分かった」

 早く清めの酒を与えなければ、同僚が、化物になってしまう……。

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