第14話 終わりにしよう

 組織の暗殺部隊のメンバーが、エンリーケを取り囲む廃工場跡。暗殺者の一人がエンリーケに詰問する。

 「ホシは殺ったか?」

 「すんません、逃げられました……」

 暗殺者の膝がエンリーケの腹部に飛んでくる。

 「ぐはっ!」

 「何逃がしてんだよ。確実に殺せって言ったよな?」

 「なんとか言い訳してみろ。ああ?」

 エンリーケは腹部への衝撃で呼吸もままならなかったが、ゆっくりと呼吸を整え、取り逃がした言い訳をした。

 「奴ら……催涙スプレーとか毒入りの銃とか作ってるんで……それで逃げられました」

 「そのぐらい喰らって殺せよ!」

 うずくまるエンリーケに暗殺者の蹴りが飛んでくる。

 「やっぱり一人では殺せないか……」

 立って見ていた暗殺者の一人が呟く。それに他の暗殺者も頷く。

 「俺達もこいつと行動を共にするか。こいつ一人だと情けをかけて逃がしそうだからな」

 エンリーケはうずくまりながら暗殺者たちへの憎悪を膨らませていた。

 (畜生……。何とかしてこいつらを殺せねえかな……。それか、おふくろと妹の居場所でもつかめたら……)

 「おら、立て」

 暗殺者の一人がエンリーケの襟首をつかんで顔を起こし、翠色の目を覗き込んで念を押す。

 「次は俺達も一緒に行くから、あいつらの行きそうなところリサーチしとけ。次でアイツらを仕留めるぞ」


 ファティマとヴィクトールは組織の追跡を警戒して新しい町へやってきた。今までの進路とは逆の方角へ進路をとる。そこは裏寂れたダウンタウンで、ホテルらしいホテルがなかなか見つからない。見るからに犯罪が横行していそうな治安の悪い町だった。

 「大丈夫なの?組織の関係者がいそうじゃない?」

 「いや、案外こういう町のほうが身を隠すにはちょうどいいんだ」

 スマートフォンの地図によると、郊外のほうに一軒民宿があるようだ。

 「ここに行くしかねえのか……。まあいいさ。一晩泊ったら次の町に行こう」

 そこは無数の弾痕で蜂の巣になったまま、割れた窓に蜘蛛の巣が張ったままの廃墟のような民宿だった。こんなところがちゃんと営業しているのだろうか?エントランスから奥に進むと、ヨボヨボの老婆が新聞を読んで店番していた。

 「何あんたら?泊まるの?」

 「ああ、この町にはここしか宿がないんだろう?一泊休ませてくれよ」

 「ふーん。いいよ。二人で一泊二百ダラスね」

 一般的なホテルの相場が百ダラス前後だというのに、ずいぶん高額な宿泊費だ。

 「二百?!ボリ過ぎだぜおばちゃん?!」

 「いやなら野宿しな。ここ以外に宿はない」

 「解ったよ……。しょうがねえな。ほら、二百!」

 「まいど。これが部屋の鍵だ」

 二人は鍵の部屋番号を頼りに部屋を探したが、あてがわれた部屋は窓ガラスが弾痕で穴だらけひび割れだらけになったままのボロボロな部屋だった。辛うじてベッドメイクは綺麗なものだし、トイレもバスルームも綺麗に清掃されてはいたが。

 「ひでぇなこりゃ」

 「野宿のほうがマシだったんじゃない?」

 「こんな部屋どこにも隠れようがねえじゃねえか。なるべく部屋の電気付けないで過ごそうぜ。居場所がバレる」

 「解ったわ。まあ、今夜は月も出るし、不便はしないでしょう」

 こんなボロホテルでは食事も出てこないだろうということで、二人はコンビニエンスストアでハンバーガーやサンドイッチなどを購入し、部屋で手軽に食事を済ませた。もし食事が出てきたとしても、こんな不衛生なホテルの料理は御免被る。

 「さ、食事も終わったし……。いつものアレ、よろしくね」

 月明りしか照らさない真っ暗闇の部屋で、月光に輪郭だけを縁取られたファティマはニコリと微笑んだ。

 「いつもの?ああ、あれか。今日は何したい?」

 「ずっと考えてたんだ。何の練習しようかなって。でね、今日は……キスの練習したい」

 上目遣いで小悪魔的な笑みを浮かべる、モノトーンのファティマ。ヴィクトールにとってその微笑みは心臓を貫かれるほど残酷な笑みだった。

 (……ついに、その練習台にされるのか。……まあ、そうだよな。そのための練習だもんな)

 「ああ、良いぜ。ほら、座ったままじゃ遠いよ。立って、こっちに来い」

 ファティマはニコニコと機嫌がよさそうだ。多分そんなに拒否反応は起こさないだろう。これができたら、このプログラムは合格証書をあげてもいい。ファティマは両手を後ろ手に回し、目を伏せる。

 (これはあくまで、練習。ファティマも特に意識はしていないはずだ。俺のことが好きでこんなことを要求してるわけじゃない。だって、俺はあくまで練習台なんだ。俺がその気になってみろ、ファティマは俺を軽蔑するぞ。俺に怯えて、俺の元から逃げ出す。だから、心を殺せ、ヴィクトール。これは、決して、そういうものじゃないんだ)

 ヴィクトールはファティマの小さな身長に合わせ、体を屈め、その唇に唇を重ねようとした。重ねようとして――耐えきれずその場に膝をついた。

 「……?あれ?ヴィクター?」

 「……ごめん……無理、だ」

 「……無理……?あたしとキスするの、嫌?」

 (無理だ、耐えられない。そんなの辛すぎる。一度でも口づけを交わしてみろ、俺は我慢できるか?無理だろ。無理だ。だってほら、俺、こんなにもこいつのことを独り占めしたくてたまらない。もう終わりなのか。ここまでなのか。そうか。なら、嫌われるぐらいなら、軽蔑されるぐらいなら、見捨てられるぐらいなら、いっそ、最後に、軽蔑されて、嫌われて、後腐れなく、何もかも御終いに……)

 「ヴィク、ター?」

 膝をついて俯くヴィクトールに、腰を屈めて様子を窺うファティマ。ヴィクトールは、俯いたまま、決心した。

 「ファティマ、もう、終わりにしよう」

 「え?」

 ヴィクトールは顔を上げ、月光に照らされた愛しい顔を見上げた。

 「ごめん、俺、お前にずっと秘密にしていたことがある」

 「……何?」

 月光を受けてきらりと宝石のように輝くヴィクトールの眼は、背筋も凍るような鋭さがあった。告白を聞くのが、なぜだかたまらなく怖い。だが、ファティマは覚悟を固める。

 「俺、……お前のことが好きなんだ」

 「……」

 ファティマは何も言えなかった。謝られる意味が分からない。その沈黙を誤解したヴィクトールは、立ち上がり、パーカーの腹部のポケットから、拳銃を取り出して銃口をファティマに向けた。ヴィクトールの目から、一筋の涙が流れ、光を反射して輝いた。

 「軽蔑しただろ。俺が怖いか?怖いだろうな。こんな、犯罪者に、誘拐されて、惚れられて、自分に都合がいいように飼い慣らされて、終いには好きです、なんて、軽蔑されてもおかしくないよな。いいぜ、軽蔑してくれて。俺のことが怖いだろ。もう、この逃亡の旅も終わりだな。エンリーケにも裏切られて命を狙われる始末だ。俺にはもう何も残されてない。終わりにしよう。何もかも。お前を殺して、俺も死ぬ」

 ファティマは心の底からこの男が怖いと思った。「嫌われるぐらいならブチ殺したくなる」と、先日確かに言っていた。だが、いざ銃口を向けられると、そこまで思い詰めていたのかと、そこまで覚悟を決めていたのかと考えたら、そのことがひたすら恐ろしい。

 「待って、早まらないで」

 「もう、無理だ。耐えられない。お前に嫌われるなんて辛くてたまんねえよ。死んでくれ。俺も死にたい」

 「待って、なんでそういう発想になるのよ。考え過ぎよ!そんなに簡単に死のうとしないで!お願い!あたしまだ死にたくない。こんなことで……こんなことで殺されるなんてたまった物じゃないわよ!」

 「もうやめてくれ、責めないでくれ。辛いんだ。そんな言葉聞きたくない」

 「じゃああたしも言うわ!」

 ファティマは覚悟を決めた。

 「あたしもあなたのことが好きなの。ヴィクター。だから、ね、キス、しましょう?」

 ヴィクトールは眼球が転がりそうなほど目を見開いた。

 (なんだって?いま、何て……?)

 ファティマはヴィクトールを宥めるように努めて優しく告白を続ける。

 「あたし、あんたほど優しい男を見たことがない。いつもあたしを気遣ってくれて、守ってくれて、男性恐怖症治そうなんて言って、ゆっくりあたしの苦手意識を解してくれた。そんな人、今まで居なかった。好きにならないわけないわよ。あたしが苦手意識を克服したのはね、ヴィクター、あんただけよ。ほんとは、全然、男性恐怖症、治ってないの。ただ、あなたのことが好きになったから、あなただけ特別、平気になっただけ。ほんとはとっくの昔に何されても平気なの。あなたになら、何されても平気。抱かれたって多分平気だわ。だから、怖がらないで。あたしはあなたを裏切ったりしない。どこにも行かない。あなただけのファティマ。ね?怯えないで。あたしを信じて。あたし、世界でただ一人、あなただけが好き」

 怯えて冷え切って死ぬ覚悟を決めていたヴィクトールの心が、柔らかく溶けていくのを彼は感じていた。

 「平気なのか?ほんとに?」

 「うん。全然平気。だから、ごめん。あたしもあなたを利用していたの。卑怯なのはあたしのほうだわ。あなたの優しさに付け込んで、してほしいことを都合よくおねだりしていて」

 「う……う……!」

 ヴィクトールは銃を取り落とし、ファティマを抱きしめて慟哭した。

 溢れ出す気持ちがとても言葉にならない。

 ファティマは自分を包む大きな体を優しく抱き返した。

 「よしよし。怖かったね。もう大丈夫だからね」

 落ち着くまでひとしきり泣くと、ヴィクトールはファティマを離し、ティッシュボックスの元に行って、顔をぬぐい鼻をかんで、呼吸を整えた。

 「落ち着いた?」

 「……落ち着いた」

 「じゃあ、本番ね。本番のキス、して」

 ファティマは再び両手を後ろ手に組んで、瞳を閉じた。

 ヴィクトールは大きな体をファティマに合わせて小さく屈め、その柔らかな唇に唇を重ねた。

 重なる二人の輪郭を、割れた窓から差し込む白い月光が縁取っていた。

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