第13話 ギリエムの企み

 新しい街に着いてホテルを確保したヴィクトールとファティマは、逃走資金の残金に頭を悩ませていた。

 「どうする……?ホテルを転々としたりガソリン結構使ったり、お前の買い物やらに金使ったせいで、もうほとんど金無いぞ?」

 「一万ダラスなんてあっという間ね……。またパパからお金巻き上げようか?」

 「できるのか?一万ダラスも巻き上げて、まだ金あるのかよ?」

 ファティマはふふんと鼻を鳴らして胸を張った。

 「うちのパパ医師会会長よ?医療関係のあらゆる機関からお金が集まってくるの。貯金はたぶん三億ダラスはあるわよ」

 ヴィクトールは唖然とした。国家レベルの金ではないか。

 「あるところにはあるんだなー金って……。じゃあお前が薬剤師として働いた金なんて……」

 「小遣いレベルね。ぶっちゃけ遊んで暮らしても平気なの」

 「じゃあ思い切って三万ダラスぐらい要求しても……」

 「たぶん喜んで出すわよ」

 「じゃ、やるか」

 久しぶりに手作りのボイスチェンジャーを荷物の底から探し出すと、ファティマからスマートフォンを借りる。ファティマはスマートフォンの電源を入れ、パスワードを入力してロックを外し、ヴィクトールに手渡した。

 ヴィクトールは震える手でファティマのスマートフォンの電話帳からファティマの父の携帯番号を選択する。罪を犯す瞬間というのはいつも緊張してしまうものだ。

 「じゃ、かけるぞ」

 受話器マークをタップすると、ファティマの父・ロドリーゴがすぐに電話に出た。

 《ファティマ?!無事なのか?!》

 「お前の娘は生きている。だが、娘を生かしておくにはあと三万ダラスが必要だ。三日以内に三万ダラスを振り込め」

 《三万振り込めば娘を返してくれるんだな?》

 「今すぐにはお前の娘を返すわけにはいかない。だが、生きて手元に返してほしければ三万を振り込め。そうすればいつか返してやる」

 《なんだと?!返せない?!そんな奴に金なんぞ振り込めるか!!》

 「金がなければお前の娘は今すぐ殺す」

 ファティマが悲鳴を上げる演技をする。

 「パパ、あたしこのままだと死んじゃう!!パパの元に帰りたい!!犯人の言うことを聞いて!」

 《くっ、解った。三万だな。すぐに振り込む。娘を絶対に返せ。すぐに》

 そこでヴィクトールは電話を切った。

 「チョロいな、お前の親父」

 「どんどん利用してやって。金しか取り柄のないクソジジイだから」

 その日のうちに三万ダラスを手に入れた二人は、ちょっぴり贅沢な夕餉を楽しんだ。

 二人がホテルのテレビを見ていると、昼間のニュース番組で気になるニュースが流れた。

 「次のニュースです。政府は医療従事者の現場の負担の軽減のため、医療福祉法の改正を施行しました。この法改正により、医療行為にかかる費用の助成額が増額され、通院や入院にかかる費用の負担が五%軽減されることになります。通院や入院の利用の多い患者が病院を利用する回数が増えるほど、医療現場に国から助成金が支給されます」

 このニュースを聞いて、ファティマはハアーッと盛大にため息をついた。

 「こんな制度始まるんだ?今以上に医者が金持ちになるじゃない」

 「医者って結構大変な仕事なんじゃないか?看護師とか、給料安いって話も聞くぜ」

 「看護師とか薬剤師とか下々のものにはお金は回ってこないのよ。全部医師会の上層部と医者にお金が集まるようになってるの。パパからもっとお金ふんだくっておくんだった」

 「へー、腐ってやがるな」

 このニュースに、意外な男が反応していた。ヴィクトールが所属していた組織の頭領・ギリエムである。

 「フン。また医者に金が集まるのか……。この国は本当に、腐ってやがるぜ」

 ギリエムの補佐のホセが進言した。

 「また医師会から金が巡ってくるようにしましょう。この法改正で、医師会は喜んで金を積むようになりますよ」

 ギリエムは左目の傷跡を撫でながらしばし黙考する。医師会から金が巡ってくるようにするためには、どのような方法が有効だろうか……。

 「む。そうだ。そういえば医師会会長のロドリーゴは始末したのか?」

 「ヒットマンにした男が逃亡したので、まだ殺せていないですね」

 「それならよかった。あいつを利用しよう。娘は誘拐したんだったな。それを利用して、ロドリーゴを有効活用してやれ」

 ギリエムは葉巻に火をつけ、肺いっぱいに煙を満たすと、ふーっと吐き出した。

 「今度はしくじるなよ」


 さて、ホテルで束の間の休息の時を過ごすファティマとヴィクトールに話を戻そう。二人は夕食をホテルのサービスで済ますと、中断していた男性恐怖症治療プログラムを再開した。

 「手を握っても大丈夫だったから……、次は何の練習したい?」

 ヴィクトールがファティマにテーマを要求する。内心ヴィクトールはもう合格でいいのではないかと思っているのだが、ファティマが練習したがるので、「恐怖症克服もなかなか根の深い問題だな」と溜め息をついた。

 「今日はね……どうしようかな。ハグの練習しようかな。ハグの練習だったら何とか頑張れると思う」

 「ハグか。まあ、できるようになっておいたほうがいいよな。ほら、来いよ」

 ヴィクトールが両手を広げて迎え入れる。ファティマはゆっくりとその広い胸に収まった。

 「これは……大丈夫か?我慢できそう?具合悪くないか?」

 ヴィクトールはこれまでにないほど密着する体に不安を覚えた。今までだったら絶対にファティマが発狂するような状況である。だが、ファティマは落ち着いている。

 「うん……大丈夫」

 「そうか。なら、ハグはクリアだな」

 そう言って体を離そうとするヴィクトールを、ファティマが腕に力を込めて引き留める。

 「もう少し、慣れるまで……」

 「解った」

 暫時沈黙が訪れた。ヴィクトールにとっては緊張する時間が、ファティマにとっては平静を保つための試練の時間が、ホテルの一室を満たしていた。

 ふと、ヴィクトールが沈黙を破る。

 「そういえば昨日……一昨日だったか?寝ぼけてお前を抱きしめちまったよな。あの時、大丈夫だったか?」

 「ああ……あれね。ビックリしたのが勝って、拒否反応どころじゃなかったわ。ヴィクトールがうなされていたのも心配だったし」

 「そうか。あれ大丈夫だったんだなあ……。今も大丈夫?」

 「何とか大丈夫ね」

 「そうか」

 そして再び沈黙が訪れる。ヴィクトールの胸にすっぽり収まる、小さな体。成長を阻害する薬の影響で、成長が不十分だったという、小さな体。抵抗を感じないというならば、今だけ、今だけは、この小さな体を独占しても構わないだろうか。ヴィクトールは少しずつ、恐る恐る抱きしめる腕に力を込める。

 (これが練習じゃなくて、ホントにファティマを手に入れたのなら、どんなによかっただろう。でも、あくまで練習なんだよな。そうだ。ファティマが男と付き合っても平気になる練習……。だから、こいつを欲しがっちゃいけない。いけないけど、今だけ。今だけは、俺だけのものでいてくれ……。お前は、俺を見捨てないでくれ……。いつか、いつか心にけじめをつけたら、お前を自由にしてやるから……)

 未練がましい想いを吹っ切るように、ヴィクトールは抱きしめる腕を緩め、体を離して努めて明るく言った。

 「結構大丈夫じゃんお前。よく頑張ったな。明日は何の練習する?」

 ファティマは宙ぶらりんになった腕を空中に泳がせたまま、ぼうっとヴィクトールを見上げた。

 「明日……そうね。明日は、何の練習しようかな……?」

 (べつに、もう、何でもいいんだけどな……)

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