第12話 見捨てられ恐怖症
ボロボロの廃ホテルの一室で、エンリーケが吐き捨てるように叫ぶ。
「もうお前とつるむのもここで終わりだ!もう沢山なんだよ、お前に頼られるのは!」
ヴィクトールは全身の血が逆流するような焦燥感と絶望感に襲われ、エンリーケに縋りつく。
「なんで急に……!今まで俺達、三人で仲良くやってきただろ?」
「付き合いきれねーな。今までお前のせいで何度死に損なったか。俺は降りるぜ」
ヴィクトールはエンリーケに泣いて縋り付いた。
「行かないでくれ、何でも言うこと聞くから。お前にまで見捨てられたら俺はもう生きていけねえよ。そんなこと言わないでくれよ。ごめん、頼ってごめんってば。俺は頼っちゃいけなかったんだよな?許してくれ、だから、帰ってきてくれ、エンリーケ」
エンリーケの背後に、妙齢の美しい長髪の女性が立っていた。
「自分のことは自分ですること、あたしには頼らないことって、言ったわよね?」
女性がヴィクトールに強く当たる。エンリーケがヴィクトールを引きはがして女性の元へ歩いていく。
「ルールを破ったのは悪かったよ!だから二人とも帰ってきてくれよ。お願いだ、見捨てないでくれ。置いていかないでくれ。謝るから。何でもするから……」
「ヴィクター、大丈夫?」
次の瞬間ヴィクトールの目に映ったのは、廃ホテルの天井ではなく、年季の入ったオレンジ色のホテルの天井だった。混乱するヴィクトールの視界に、ファティマの心配そうな顔があった。
「ヴィクター?起きた?」
ヴィクトールはその愛しい幼い顔に、思わず抱き着いた。こいつだけはまだ俺を見捨てていない。もう俺にはこいつしかいない。小さな頭を胸に抱きしめて、その存在を確かめる。だが。
「ヴィクター?!ちょっと……!」
もがくファティマに、急にヴィクトールは現実に引き戻された。そういえば、こいつは男性恐怖症で、触っちゃいけなかったんだ!
「あ、悪い!寝ぼけてた!ごめん!!」
慌てて手を離すと、ヴィクトールは飛び起きた。廃ホテルにいたエンリーケは、夢だったのだ。
「何か怖い夢でも見たの?うなされてたけど」
ヴィクトールを心配するファティマに、ひたすら平謝りするヴィクトール。どうやらまだ夢から完全に覚めたわけではないらしい。夢のトラウマを引きずったまま、ファティマに謝罪し続ける。
「俺は大丈夫だ。それよりファティマ、大丈夫か?ごめんな。なんか変な夢見て、思わずあんなことを……!ほんとごめん。悪かった」
「もういいってば。ちょっとびっくりしただけだから。謝らなくていいわよ。まだ寝ぼけてるの?」
そこまで言われて、ようやく平静を取り戻すヴィクトール。
「すまん。ほんと、ひどい悪夢を見たんだ……」
「どんな夢だったの?」
「何だったかな、ちょっと忘れかけてるんだけど、エンリーケに愛想つかされて嫌われる夢だった」
ファティマはヴィクトールに同情した。急に相棒がいなくなったショックで、彼は自分を責めているのだろう。
「エンリーケがいなくなったのはあなたのせいじゃないわよ。組織に誘拐されたのよ。嫌われたわけじゃないと思う。いつか帰ってくるわよ」
「そう……そう……だといいんだが……」
ファティマは努めて明るくヴィクトールの背中を叩いて発破をかけた。
「ほら、顔が涙でべとべとになってるわよ。顔洗ってきなさい!ほっとくと目が開かなくなるわよ!」
「え、あ、ホントだ。俺泣いてたのか。情けねーな。ははは。顔洗ってくる」
そして二人はホテルをチェックアウトし、次の町へ出発した。
二人は新しくやってきた街のガソリンスタンドで給油しながら、休憩スペースで今宵の宿探しをした。スマートフォンの地図アプリと検索サイトを駆使して、なるべく治安がよさそうで安い宿を探す。
「お、こことかどう?」
「いいじゃん。そこにしましょ」
車に乗り込み、目的のホテルを探す。ホテルにチェックインして荷物を置くと、二人は食材を買いに近くのスーパーへと出かけた。
スーパーの駐車場で、ヴィクトールの視界に見慣れた人影があった。ボサボサの伸ばしっぱなしの茶髪、すらりと高い身長、青みがかった灰色のスウェット……。間違いない、エンリーケだ。
「エンリーケ、お前……!」
ヴィクトールの脳裏に今朝の悪夢がよみがえる。少々怖いが、真意を確かめなくては。
「よぉ、ヴィクター、ファティマ」
「どうしたんだ、探したぞ」
「俺も探したよ。勝手にどっか行っちまいやがって……」
「すまん、あれから組織にホテル燃やされてな、逃げるしかなかったんだ。それよりエンリーケ、今までどこにいたんだ?」
「実は、組織にとっ捕まってな……」
エンリーケはそう言いながらヴィクトールにゆっくりと歩み寄った。再会を喜ぶように、ヴィクトールに軽くハグする。
「それで、お前に頼みたいことがあるんだ」
「なんだ?困ってるのか?言ってくれ」
「ああ、すごく困ってる。だからよ……俺のために死んでくれ」
そういうとエンリーケは銃口をヴィクトールのこめかみに当てがった。
「なっ?!」
咄嗟にエンリーケから体を離すのが、エンリーケが引き金を引くよりわずかに速かった。ヴィクトールの鼻の頭に銃弾が掠め切り傷を作る。
「チッ。殺れると思ったのに」
ヴィクトールの脳裏に今朝の悪夢がよみがえる。嫌われた?なぜ?いや、困っているといったな?嘘?何が真実なんだ?なぜエンリーケが俺を殺そうとする?
「お前が死ねば俺は助かるんだよ。安心しろ。ファティマも一緒にあの世に送ってやるから」
そう言いながら、至近距離で銃を撃ってくるエンリーケ。ヴィクトールは後ろに左右に飛び退りながら、エンリーケの銃撃を辛うじて躱し続ける。
ヴィクトールは必死で頭を回転させた。エンリーケの言っていることと行動の真意が読めない。裏切られた?エンリーケが裏切った?お前は絶対俺を裏切らないと約束したじゃないか。あの時、俺はお前と約束したはずだよな?ヴィクトールの絶望感がくるりと裏返され、途端湧き上がってきたのは裏切りに対する憤怒と憎悪だった。
「てめえ……俺は裏切られるのがこの世でいっちばん嫌いだって、あの時お前に言ったはずだよなあ!!!」
ヴィクトールはパーカーのポケットから銃を取り出すと、エンリーケを本気で殺すために引き金を引いた。
「おっとあっぶねえ!へへ、そう来なくっちゃ面白くねえよな!」
エンリーケはすんでのところで躱したが、頬をわずかに銃で切られた。そして始まったのが本気の殺し合いである。スーパーの駐車場で繰り広げられる撃ち合い。ファティマは車の陰から見ていることしかできなかった。
「嘘……、ヴィクトールの夢って正夢?なんでエンリーケが裏切るのよ?!別に喧嘩もせず仲良くやってたじゃない……!」
ヴィクトールは駐車場に停車している車の陰からエンリーケを確実に殺すために銃を撃ち続けた。裏切りは絶対に許さない。裏切られるぐらいなら、見捨てられるぐらいなら、嫌われるぐらいなら、殺してこの世から消してやる。もはや裏切りの理由などどうでもよくなっていた。裏切ったエンリーケは殺す。その殺意しか彼には残っていなかった。
エンリーケは車の陰に隠れながらヴィクトールを撃ち、徐々に場所を変えていった。彼にとって殺すべき相手はヴィクトールだけではない。ファティマの隠れている車の陰に移動すると、ファティマの背後から襲い掛かり彼女を後ろ手に捻り上げて銃を突きつける。
「おまえはすぐには死にそうもねえな!じゃあ、まずはこいつから始末させてもらうぜ!」
「ヒッ!」
仲良くしていた時のエンリーケに対して、拒否反応を克服していたファティマだったが、今は殺意のせいか、全身が総毛立った。何すんのよ!汚らわしい!!
「やめろエンリーケ!」
ヴィクトールの心はファティマを盾にとられたことで再びかき乱された。
「ならお前も撃つのをやめろ!」
「離しなさいよエンリーケ!」
ファティマはズボンのポケットからスプレーを取り出し、目をつぶってエンリーケの顔めがけて噴霧した。先日出来たばかりの催涙スプレーである。
「うわっ!何しやが……うえええ!!痛ってえ!!!」
あまりの痛みにファティマを拘束する手が緩んだ。その隙にファティマは車に乗り込み、内側から鍵をかける。
「ヴィクター!今のうちに!」
「でかした!」
ヴィクトールも車に乗り込み、スーパーを後にする。取り残されたエンリーケは、顔を覆って藻掻き苦しんだ。
「そうだった……。あいつ、やべえ武器いっぱい持ち歩いていたんだった……!ファティマ、クッソお……!」
キープしていたホテルを引き払い、再び方角を変えて逃亡するヴィクトールとファティマ。ヴィクトールは運転しながら静かに涙を流していた。助手席に座り、ヴィクトールの震える手と、無表情に涙を流し続ける横顔を交互に見て、ファティマも沈黙する。
(辛いわよね……。相棒が裏切ったんだもん。今はそうっとしておこう……)
すると、ヴィクトールは鼻をすすりながら静かに語り出した。
「エンリーケと出会って、八年になる」
ファティマは静かに傾聴する。
「組織に入って、最初の三年寮に入れられたんだ。そん時のルームメイトがエンリーケだった。喧嘩もしたが、俺たちはすごく気が合った。退寮させられて、自分たちでアパート契約して、独立して仕事するときに、あいつから言われたんだ。『ルームシェアして、これからも一緒に暮らそうぜ』ってな。俺は最初、その言葉に不安を覚えた。いつか喧嘩して、裏切られたりするんじゃねえかなって。だから言ったんだ。『俺は裏切られるのがこの世でいっちばん嫌いだ。お前、俺を裏切って俺を一人にしたりしないだろうな?』って。あいつは、『安心しろ。俺は絶対裏切らない。ずっと一緒だ』って言ってくれたんだ。それから五年、俺は、ずっとそれを信じていた。今までうまくやってきていたんだ、俺達」
「……」
「見捨てられ恐怖症なんだ、俺。見捨てられたり裏切られたりすると、辛くて怖くて、……ブチ殺したくなる」
「……ヴィクター……」
「……あいつだけは失いたくなかった。ずっと一緒にいられると思っていた」
そこまで話すと、ヴィクトールは路肩に車を停め、声を上げて泣き出した。車のサイドブレーキの上に置いていたティッシュペーパーを数枚引き出して鷲掴みし、顔に押し当てて慟哭するヴィクトール。ファティマはどう声を掛けていいか言葉に詰まり、彼が落ち着くまで背中をさすっていた。
(見捨てられ恐怖症か……。だから今朝、見捨てられる夢を見て、あんなにうなされていたのね。あたし……あたしも、ヴィクターの元から去ったら、この人に殺されるのかしら?……見捨てられる?今まであんなに優しくしてくれたこの人を、いまさら見捨てられる?きっと、すごく寂しいんだわ、この人。もしかして、あたしに優しくしてくれる理由って、見捨てられたくないから……?)
ファティマはどうしてもその疑問を解決してみたいと思ってしまった。訊かないほうがいいだろうかと躊躇したが、思い切って訊いてみる。
「ヴィクターって、どうしてそんなに優しいのかなって、ずっと疑問に思っていたの。ほら、あたしの男性恐怖症を治そうとしてくれたりとか、あたしに乱暴しようとしなかったりとか、殺そうとしなかったりとか……。それってひょっとして」
「ああ?!」
突然ヴィクトールが怒気を孕んだ声を上げて睨んできたので、ファティマは怯えて口を噤んだ。
「ごめん」
ファティマの怯えたような顔を見て、ヴィクトールは反射的に威嚇してしまったことを自覚した。怖がらせてはいけない。
「殺せって言われたからってそんな簡単に殺せるかよ?!そんな簡単に殺意なんて起きねーよ。でもお前逃がしたら別の奴にお前殺されるだろ。そしたら逃げるしかねーだろ。生かしてもらってんだからそれでいいだろが。死にたがったら許さねー。何のために男性恐怖症治そうとしたかって?一緒にいるのに不便だからだろうが。それ以上も以下もねえ!」
「わ、解った」
ファティマは一気にまくしたてるヴィクトールの様子に圧倒された。「もしかしたら、私に執着があるのかしら?」という疑問を、論理的に潰されると黙るしかない。
(あたしは別に……でもいいんだけどな……)
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