第10話 サイエンス武装

 三人は州境を越えて南に逃れてきた。長い山道を越え、何夜も車の中で野宿し、ようやくたどり着いた街で宿を探した。

 「今度の宿には条件があるわ」

 ファティマが宿をリクエストする。

 「キッチンが各部屋についている、自炊できるホテルにして」

 「ああ、外で食うとまた狙われるかもしれないしな」

 ヴィクトールが了承したが、ファティマには別の考えがあったようだ。

 「それだけじゃないんだけど……。まあいいわ。それから、店が開いているうちにホームセンターとワンダラに連れてって」

 『ワンダラ』とは一ダラスで店内のほぼすべての小型雑貨を購入できる、いわゆる百円均一のような大規模雑貨チェーン店だ。

 「なんか買いたいものあるのか?大荷物は困るぜ?」

 エンリーケが首をかしげると、「ふふふ、役に立つものよ!」とファティマはウインクして見せた。

 三人は二手に分かれ、ヴィクトールが車を運転して宿を探している間、エンリーケとファティマは大型商店が密集するショッピングタウンで買い物をした。そこにはもちろん『ワンダラ』やホームセンターも備わっている。

 ファティマはまず『ワンダラ』で粉末唐辛子や胡椒、スプレーボトルを数本と、ガムテープ、ガラスボトルなどを購入した。

 「お前辛いもの好きなの?」

 「まあね。ある意味大好きだわ」

 次にファティマはホームセンターに行きたがった。補充用オイル、小さなホットプレート、エタノール、農薬、除草剤……。果ては防毒マスクを三つに厳ついゴーグルを三つ。使用用途が読めない雑貨をポイポイかごの中に入れていくファティマに、エンリーケは「?」マークで溺れそうになっていた。

 「何する気なんだ?」

 大きなおもちゃの水鉄砲バズーカをかごに入れ、ファティマは、「武器よ、武器」と満面の笑みを浮かべた。

 二人がショッピングタウンの喫茶店で大荷物を脇に置いてコーヒーを飲んでいると、ホテルを手配したヴィクトールが合流した。

 「いいホテル見つかったぜ。四人部屋で、キッチン付き。あんまり長居はしないけど、念のため一週間で手配した」

 「ありがとうヴィクター」

 「やっとベッドで眠れるな」

 ヴィクトールは袋からはみ出すおもちゃの水鉄砲バズーカを見て眉を寄せた。

 「遊ぶの?それで?」

 ファティマは、

「あら、これは私の武器よ。大丈夫、ホームセンターであんたたちの銃の弾も買っておいたから」

 と微笑んだ。

 「何するか教えてくんねーんだよなあ……」

 エンリーケはファティマに白い視線を送った。

 さて、部屋に入ると、ファティマはキッチンの換気扇を最大に回し、キッチンの出入り口や窓をガムテープで目張りして、キッチンに籠った。

 「念のため部屋の窓を全開に開けておいて。でも、部屋のドアは絶対に開けないで。被害が広がるわ」

 「被害って……何?」

 「あたしが良いって言うまでキッチンには入ってこないで。死ぬわよ。それから念のため、ゴーグルと防毒マスクはあたしが許可するまで外さないで」

 ゴーグルと防毒マスクで完全防備したファティマが念を押し、キッチンのドアを閉めると、ガムテープで目張りする音が聞こえてくる。

 「な、何する気なんだよアイツ……。怖えよ……」

 男二人はお互いを抱きしめ合って震え上がった。

 ファティマがキッチンから出てきたのは日が暮れて月も登るような夜だった。

 「死ぬかと思った……。出来たわよ」

 ファティマがふらふらとキッチンから出てくると、キッチンには怪しい物質が並んでいて凄惨な光景が広がっていた。

 「あんたたちにこれあげるわ。はい、あんたたちの分」

 ファティマは赤い液体の入った小さなスプレーボトルを二人に渡した。

 「なんだこれ?」

 「催涙スプレー」

 「作ったの?何が入ってんだよ?!」

 「あとこれも」と手渡した小瓶は、「劇薬。飲むと死ぬから危険がせまったら使って。投げつけても良いわ」

 「なんの物質が入ってるんですかファティマさん?!」

 そして、大きめのボトルを取り付けた水鉄砲バズーカを壁に立てかけ、腰にはステンレスのストローを数本差していた。

 「あたしにも武器が必要でしょう?劇薬を入れた水鉄砲と、吹き矢を作ったわ。吹き矢には毒が仕込んである。あんたたちに守られてばかりはいられないでしょう?あたしも戦うわ」

 「えええええええ」

 男二人はお互いを抱きしめ合って震え上がった。ある意味銃を所持するより恐ろしい武器を開発したファティマに、畏怖の念を感じる。

 「あとこれ見て。面白いわよ」

 するとファティマはスプレー缶から炎を噴出した。

 「あっぶな!!」

 「あはは。火炎放射器」

 「怖いですファティマさん!!」

 この数時間の間に数種類の武器を開発したファティマは、「この武器を仕込むためのウエストポーチ欲しいなー」と、防毒マスクとゴーグルをしたままベッドに転がった。

 「あの、この防毒マスクとゴーグルはいつになったら外していいの?」

 「念のため一昼夜装備していて。食事はロビーで取りましょう。今この部屋の中で外したら死ぬわよ」

 「なんでそういうおっかないことするの!!」

 男二人は涙ながらに非難した。

 どうやらファティマは追加の毒物試験紙も作成していたようで、試験紙を持ち歩いているポーチにはぎっしり試験紙が入っていた。

 「いつの間に作ったんだよ?」

 ヴィクトールが訊くと、

 「最初に化学薬品ショップで薬品のボトルいっぱい購入していたのを覚えていない?あれよ、あれ。あたしはいつでもあの薬品と工作用の紙を持ち歩いていないと安心できないの。もうライフワークね」

 と小さな胸を張って見せた。

 「ひょっとして武器を作ったのも、ファティマの薬剤師の知識なのか?」

 「まあ、薬剤師になるまでに色んな勉強するから。薬を扱うから色んな科学実験は一通りやってきたわよ」

 ヴィクトールは心の底からファティマを尊敬した。頭がいいというのは、生きる知恵があるということだ。この逃亡生活も、ファティマがいれば生き延びられるかもしれない。

 「すげえな、お前。いや、マジで尊敬した」

 「ふっふっふ。もっと尊敬なさい!」

 ヴィクトールは内心、「この高飛車なところが鼻につくけど、納得しちまうぐらい実際頭いいんだよなあ……」と複雑な心境になった。


 さて、男性恐怖症治療プログラムは「体に触れる」という段階に入った。まずは話しかけるときに肩を叩くというスキンシップから始める。

 「ファティマさーん」

 ヴィクトールがファティマの正面からファティマの肩を叩いて話しかける。

 「ひっ!」

 「ファティマさーん」

 エンリーケは背後からファティマの肩を叩いて話しかける。

 「ヒャッ!!」

 「そんなびっくりするなよ」

 「ぞわっとするの、ぞわっと!!」

 「じゃあ慣れるまで話しかけるときは触るからな」

 「ええええええええ?!」

 最初は嫌がっていたファティマだが、五日も経過するとだいぶ飛び上がらずに受け流せるようになった。

 「だいぶ慣れて来たみたいだな」

 ヴィクトールがファティマを褒めると、ファティマは少し頬を染め、照れているようだった。

 「ま、まあね。おかげさまで」

 だが、ファティマはハッと思い出したように釘をさす。

 「あ、でも、調子に乗って胸とかお尻とか触ったらぶっ飛ばすからね!それは許可しない!」

 「胸?」

 ヴィクトールは顎に手を当てて考える。ファティマの胴体に視線を落とす。なんの膨らみもない、まな板のように腹部と地続きになっている平らな胸。手の甲でその胸と思しき位置に軽く触れてみる。

 「お前男だから胸も腹も大して変わんねーよ。胸なんか全然ないぞ?どこにあるんだ?触ったって判断付かねーよ。気にすんな」

 すると突然顔面に石のような塊が飛んできて鼻を砕かれた。顔を上げた時に血の付いた握りこぶしを見て、初めて殴られたのだと気づいた。

 「何すんだよ!!」

 「今度胸のこと馬鹿にしたら殺すわよ」

 そんな小さな戯れ合いのような喧嘩はしつつも、三人はおおむね仲良く逃亡生活を楽しんで過ごしていた。

 またホテルを転々とし、街から街へ逃れる日々。そんな生活に、ファティマは幸せを感じていた。

 「こいつら、あたしのこと殺そうとしていたけど、結局殺さないし、ベッドに寝ていても手を出したり襲ったりしないし、結構いい奴らじゃない。そのうえ、男性恐怖症を治そうと、一生懸命協力してくれる。ああ、あたし、この人たちに誘拐されてよかったな。今までみたいな生活続けていたら、きっとこんなに心から笑って生きられなかった。今、腹抱えて笑える。あたし、こいつら好きだわ。……仲間としてね」

 新しい街で生活を初めて三日目のことである。ファティマはすっかり触られても嫌がらなくなり、軽いスキンシップも抵抗なくこなせるようになっていた。

 「食材の買い出し行ってくるぜ」

 「おー、いってらー」

 「行ってらっしゃい」

 エンリーケが食材の買い出しに出かけ、ファティマとヴィクトールがホテルのテレビを見て過ごしていた日のことである。

 エンリーケがいつまでたっても帰ってこない。

 「あいつ、遅くね?」

 「どこまで買いに出かけてるのかしら?」

 日が暮れても姿を見せないことに、不思議に思った二人は、スーパーまでエンリーケを探しに行った。すると、今まで運転してきたレンタカーが駐車してあるのを発見した。

 「あいつ、ここにいたんじゃん」

 近寄ってみると、運転席の窓ガラスは弾痕の形にヒビが入っていた。車の中を覗き込むと、ハンドルの横にキーが差されたままになっており、車の鍵は開いていた。ドアを開けて中を確認すると、運転席のシートには血痕がついていた。シートは冷たく、彼が買い物をした痕跡も残っていない。

 ヴィクトールの全身に血が逆流するような焦燥感が駆け巡った。

 「ファティマ。この町から逃げよう」

 「エンリーケを探さないの?」

 「おそらく、エンリーケは殺されたか誘拐された。見ろ、お前はこの状況をどう判断する?」

 ファティマは状況を確かめると、ヴィクトールと同じ結論を導き出した。

 「一旦ホテルに戻って、すぐに逃げましょう」

 二人がホテルに着いて荷物をまとめていた時である。一発の銃弾が窓ガラスを割った。

 「見つかった!」

 電気を消した時には遅かった。ホテルには火が放たれ、火災報知機とスプリンクラーが作動し、壁を貫通して横殴りに銃弾が降り注いで、ホテルは蜂の巣になった上に火の海に包まれた。

 「ファティマ!どこだ?!」

 「ヴィクター!車に乗った!」

 「よし、逃げるぞ!」

 二人は燃え盛るホテルを背に、全速力で車を走らせた。

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