第9話 薬物反応
三人は荒野で見つけたモーテルで束の間の平和な生活を送っていた。
宿泊費も安く、車を出せば町までのアクセスも問題ない。しばらくここに滞在してもいいか……などと、気楽な時間を過ごしていた。
その間はファティマの男性恐怖症克服プログラムを継続している。半歩ずつ距離を縮めてゆき、二週間も滞在するころにはほぼゼロ距離まで近づくことが可能になっていた。
「この距離でも大丈夫なのお前?」
「相当我慢してるからね?!でも、まあ、耐えられないこともないかなって……。でも基本的にあんまり近づいてほしくないからね?!」
ヴィクトールとエンリーケはファティマに近づいても逃げられなくなったことに驚いていた。おそらく相当な葛藤や忍耐や精神力を使って努力しているのだろうが、それにしてもこの至近距離でも発狂しなくなったのは大きな進歩だ。
「早く離れて!私耐えたでしょ!もう今日はおしまい!」
「あ、ああ。解った。頑張ったな。お疲れさん」
ファティマはすぐに縄張りであるソファの上に帰ってしまったが、初日のように鉄砲玉のような勢いで飛び乗ったりはしない。自然な動きでソファに体を預ける。落ち着いたものだ。
「じゃあファティマ。次は何を練習しような?距離はクリアしたから、触っても平気になるよう訓練するか?」
ヴィクトールの提案に、ファティマは悲鳴のような抗議の声を上げた。
「えええええええ?!触ってくるの?もういいじゃん!距離我慢したんだから!」
エンリーケが厳しく指摘する。
「元々は触ったら吐いたから練習するようになったんだろ。触っても平気になってもらわないと合格したとは認められないぜ」
ファティマは盛大なため息を吐いて、「解った……。
その夜、三人はファティマが距離の問題をクリアしたことを祝して、バーで飲もうと夜の街に繰り出した。
外食をすることは未だファティマにとって警戒心が働く行動だ。買い食いのように薬を仕込む余裕もなく食事できるほうがよほど安心できる。現在では二人の男が調理した食事は信頼して食すことができるようになったが、外食は何が入っているか判らず、未だ信用できない。アルコールなどもってのほかだ。
「えー、ファティマ、相変わらずその試験紙持ち歩くのかよ。信頼してくれよー」
「あんたたちばかりを警戒してるわけじゃないわ。どこに敵がいるかわからないでしょ?」
「酒場のマスターが仕込むの?んなわけないだろ。そんなことする店主の店なんか安心して通えねーよ」
エンリーケは鼻で笑ったが、ファティマは警戒心が解けない。男二人のことは信頼しているが、変な犯罪者に誘拐されるかもしれないではないか。まして組織から命を狙われているのだ。用心するに越したことはない。
「考えすぎだって。ほんとに用心深いなファティマは」
一笑に付したヴィクトールだったが、彼はなぜか第六感がファティマの指摘を捨てようとしてリサイクルし、頭の隅で不安を煽っているのを感じていた。
「いらっしゃいませ。おや、また来ていただいて嬉しいです」
荒野のモーテルでの生活が長期化していたため、エンリーケとヴィクトールは一軒の安くて美味しいバーを見つけて通っていた。ここに来たのは五回目であろうか。だが、これまでファティマに近づくことができなかったため、彼女を店に連れて来たのはこれが初めてである。
「今日はこいつのお祝いなんだ。ちょっといい酒をくれよ」
ヴィクトールが適当に店主にオーダーすると、三人の目の前にはショートグラスに黒い色のカクテルが並べられた。
「ロバート・ジョーカーにダングルを加えたラスティ・ネイルはいかがですか?」
店主はロバート・ジョーカーという銘柄の高級ブランドウィスキーにダングルというリキュールをステアして、ラスティ・ネイルを勧めてきた。ハイブランドの銘柄を聞いてヴィクトールとエンリーケはたじろいだ。
「え、これめちゃめちゃ高いんじゃねえの?」
エンリーケが財布の心配をすると、店主は「そちらのお嬢さんのお祝いなんでしょう?サービスしますよ」と微笑んだ。
「じゃあマスターのお言葉に甘えて乾杯しようぜ!」とヴィクトールがグラスを掲げると、ファティマは店主にストローを一本欲しいと言い出した。
「ストロー?ストローを使わなくても飲めますよ?」
「口紅がグラスにつくのが嫌なの」
と、ファティマは言い訳したが、彼女は明らかにノーメイクであった。店主は一瞬眉間にしわを寄せたが、ニコニコとストローを差し出した。
ファティマはストローを受け取ると、グラスに刺して、吸い口を人差し指でふさぎ、そのままカウンターの下にストローを隠した。ストローは使わないのだろうか……?とヴィクトールが怪しんで、カウンターの下のファティマの手元を見ると、ストローから試験紙の上にカクテルの液体がぶちまけられた。
そう、彼女は飲み物に刺したストローを指でふさぐことで真空状態にし、簡易的なピペットにしてカウンターの下で毒物を試験していたのである。
すると、見る見るうちに試験紙のうちの一つが鮮やかな赤に染まった。
ファティマがヴィクトールに視線を送った。
「エンリーケ、飲むな!」
ヴィクトールはそう叫ぶとパーカーのポケットから銃を取り出し店主に向けて構えた。すると同時に店主も銃口をヴィクトールに向けていた。
「勘のいいお嬢さんだ。カウンターの下で何をしていたのかな?」
エンリーケはわずかに口に含んでしまったカクテルを吐き出し、腰から銃を取り出して背後のテーブル席に銃口を向けた。すると、客の八割がみな銃口をこちらに向けて立っていた。
「ヴィクター、こいつら全部グルだ!嵌められた!」
それを合図に、三人に向けて弾丸の雨が襲い掛かった。一瞬にして店内は銃撃戦の戦場と化した。
三人は
追手が追跡できなくなるまで滅茶苦茶な道を走ると、やがて追手の車の姿が見えなくなり、銃声も聞こえなくなるのを確認して、三人は荒野のど真ん中で夜を明かした。
「夜が明けたらモーテルに荷物を取りに行って引き上げよう。今度は奴らが追ってこれなくなる方角に車を走らせよう。エンリーケ、今度は俺が運転代わる。お疲れさん」
エンリーケははあ~っと盛大なため息をついて脱力した。
「死ぬかと思った……。疲れた……」
「エンリーケ、ありがとう」
ファティマも彼をねぎらった。
「なんか入ってたのか、あのカクテル?」
エンリーケがずっと疑問に思っていたことをファティマに質問してみる。ファティマは銃撃戦のせいで記憶があやふやになり、満足に返答できなかったが、覚えている限りをエンリーケに説明する。
「あたし銃撃戦のせいでよく覚えてないんだけど、試験紙の一つが赤く染まったから、即効性のある何らかの毒物が盛られていたのは確かね。ちょっと今手元にないからはっきり言えないんだけど……。飲んでいたら間違いなく死んでいたわ。レイプドラッグみたいな意識を混濁させるものではなくて、即死するようなヤバいやつよ。何だったかな……。ちょっと判定できないんだけど、赤く染まるのには何種類かあって、毒物だったことは覚えてる」
エンリーケはそれを聞いて青ざめた。一瞬口に含んでしまったが、大丈夫なのだろうか?
「俺一滴ぐらい口に入っちまったよ……」
「すぐ吐き出したんでしょ?それなら大丈夫よ」
ヴィクトールはファティマの警戒心に感謝した。
「よく毒が盛られてるかもしれないって分かったな?俺たち今まで何度もあそこでは飲んでいたんだぜ?ファティマ様様だよ」
「今までは気づかなかったのかもしれないわ。あたし、ニュースに顔が出ているらしいのよ。だから何度も街に出たら感づかれるわ。警戒するに越したことはないわけよ。あのモーテルで滞在期間が長引いたから、その間に覚えられたのかもしれないわね」
「おっかねえ……。あんまり長期間同じところにいないほうがいいな」
翌朝、三人はスマートフォンの地図アプリでモーテルの場所を検索し、荷物をピックアップしてチェックアウトすると、再び宛てもない逃亡の旅に出立した。
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