第8話 男性恐怖症治療プログラム

 一方そのころ、ファティマの自宅では父のロドリーゴがせわしなくリビングをうろうろしていた。リビングのソファには婚約者のカスパールも座っている。

 「身代金を渡して一週間……。未だファティマを解放する連絡は来ない、か……」

 「お義父さん、ファティマのスマホのGPSに反応はありませんか?」

 「それが、向こうでGPSを切られていてな……。当然か」

 「打つ手なしか……」

 スマートフォンからGPSを探知すれば居場所がつかめると、賭けてみたこともあった。だが、誘拐されて間もない時期からすでにGPSは切られていた。ファティマがいなくなってから一カ月が経った。警察も懸命に捜査しているが、未だ足跡はつかめない。

 「警察からは、何と?」

 「州境で検問したが、足跡がつかめなかったといってきた。あるいはもっと遠くに行っているのかもな……」

 それはおかしい。カスパールはまた別の情報を警察から入手していた。

 「この近辺の商店で姿を見たという情報もあったのでは?」

 「本当か?なら、この近くをうろうろしている可能性もあるか。ああ、ダメだ、体調が悪くなってきた」

 カスパールはロドリーゴを気遣い、ソファに横たわらせた。

 「気を揉んでも事態は進展しません。ファティマの無事を祈って、情報を待ちましょう」

 「ファティマ、ああ、ファティマ……。大事に育ててきたのに、なんでこんなことに……」

 「お義父さん……」

 ロドリーゴとカスパールは、ファティマを喪失したショックから立ち直れないまま、まんじりともせず日々を浪費するしかなかった。


 「お、モーテルじゃないかあれ?今日はあそこに泊まろうぜ?」

 当のファティマはというと、誘拐犯の男二人と気楽な逃亡生活である。三人は荒野の真ん中に現れたモーテルを今宵の宿にしようと決めた。

 「受付ここか……。ん?誰も居ねーぞ?」

 「なんか書いてあるわ。……棚の箱からカギを取り、指定の番号の部屋へお進みください……当ホテルは半無人ホテルです、だって!!」

 こんな荒野の真ん中だ、確かに常駐すれば危険もあるだろうし、維持費もかかってしまうだろう。半無人ということは、清掃員がたまに訪れるということだろうか。

 「料金表はこれか……。へえ、一週間いても安いじゃん」

 「無人なら有り難いな。ここにしよう。八号室でいいよな?」

 そして三人は八とナンバリングされた駐車場の枠に車を停め、八号室へと入っていった。

 「へえ、結構広いじゃない」

 室内にはベッドが二つにソファが二つ、ローテーブルが一つ、テレビと冷蔵庫とバスルームがついていた。数日滞在しても困らないだろう。

 「あたしソファキープね」

 ファティマが早速長ソファに寝転がる。

 「ベッド使えよ。女の子をソファに寝かせるなんて忍びねえよ」

 ヴィクトールがファティマを気遣うと、「とんでもない!」とファティマは反発した。

 「ベッドなんかに寝たらあんたたちに寝込みを襲われるでしょ!ソファがいいの。ソファの狭さと寝にくさが安心できるの!」

 「まだ警戒してるのかよ……」

 ヴィクトールは心のどこかで少しは仲良くなれたような気がしていたので、相変わらずなファティマに打ちのめされた。これは脈も進展も完全にないだろう。

 「ところでさ」

 ファティマはソファに横になったままで二人に話しかけた。

 「なんであたしを殺さないの?」

 エンリーケがヴィクトールの顔を伺った。ヴィクトールは固まる。

 「なんでだろ?」

 エンリーケもヴィクトールに訊く。二人の視線を集めたヴィクトール。自然と額から汗が噴き出す。なんと言い訳すべきか……。

 「み、身代金で遊んで暮らしたいから……?」

 語尾に「?」が付いたことに違和感を感じながら、エンリーケとファティマは一理あるかと考えようとした。しかしだ。

 「身代金はもらえるかもしれないけど、あたしさえ殺せばあんたたちは生きられるし、逃げる必要もないんじゃない?あたしが憎いんでしょう?」

 筋の通ったファティマの疑問に、ヴィクトールの汗が止まらない。

 「お……俺たち、人を殺したことがないんだ」

 「あんな闇組織にいるのに?一度も?」

 「ああ、楽な仕事しかしてない。だから、人を殺すのが……抵抗があって……こ、殺しにくいなーなんて……。ほら、なんか俺たち打ち解けたじゃん……?」

 「ふーん」

 ファティマは、悪人の中にも得意分野と不得意分野があるものなのか、と納得した。

 「でも別に一緒に逃げる必要なかったんじゃね?」

 エンリーケがまた真実を突き、ヴィクトールは頭を抱えた。

 「成り行きだよ……そうするしか考えられなかったんだよ……察しろよお前……」

 「じゃあこのままどこまでも逃げんの?」

 「殺せって言われて今更殺せるかよ!!俺たち逃げ始めたんだから逃げ続けるしかねーだろ!!」

 エンリーケは顎に手を当てて、真っ赤になって汗だくで言い訳をするヴィクトールについて考察してみた。

 「……ああ!何だ、お前、ひょっとして」

 「その先言ったらお前からまず殺す!」

 ヴィクトールが釘をさすので、エンリーケは完全に把握した。

 「はぁん……。はいはい」

 「どういうこと?」

 ファティマが二人の微妙な空気を読めずにいると、エンリーケが

 「人殺しにはなりたくないんだってよ♪」

 と、空気をごまかした。

 「さて、それじゃ、飯食ったらいよいよ男性恐怖症治療プログラムだな!」

 ヴィクトールがファティマの治療のために意気込む。ファティマは恐る恐るその内容について質問した。

 「具体的には何するの?」

 「まずは、そうだな。この広すぎるソーシャルディスタンスを徐々に縮めていこうぜ。不便で仕方ねえよ。距離に慣れたらソーシャルディスタンスを半歩ずつ縮めて、徐々に至近距離でも平気になってもらう」

 ヴィクトールの説明に、「まあ、妥当なやり方ね……」と、理解を示すファティマ。夕食を摂り終わったら、いよいよスタートだ。

 「まず今のソーシャルディスタンスはこのくらいか?この距離は大丈夫?」

 「大丈夫よ」

 ヴィクトールとエンリーケが半歩距離を詰める。

 「まだ大丈夫」

 また半歩。そこでファティマが警告を出した。

 「この距離からちょっと怖い」

 「でもまだ手を伸ばしても触れないぜ?」

 「そ、そうね。もう半歩行けるかな……」

 また半歩。指先が掠る距離になった。

 「あ、無理!怖い!」

 「じゃあこの距離で三日暮らしてみよう。三日この距離を維持したら、また半歩詰めて負荷をかける」

 「ええ……?わかった。頑張る」

 「じゃあ今日の練習はここまでだな。自由にしていいぞ」

 ファティマは弾かれたように自分の縄張りであるソファの上に退避した。

 「ああ、心臓に悪かった……」

 

 翌日、距離を詰めて生活することに慣れ始めたファティマが、ふと男二人に問いかける。

 「ねえ?あんたたち、ホントにあたしに手を出す気はないの?」

 「手ぇ出されたいのか?」

 「違っが!!本当にあんたたちは安全なのか聞いてるの」

 ヴィクトールとエンリーケは顔を見合わせる。エンリーケはファティマに興味がないので、素直にその意思を示した。

 「俺は……お前には興味ねえし……。手ぇ出そうとはこれっぽっちも思わねえよ?」

 「ヴィクトール、あんたは?」

 ヴィクトールはかねてから言いたかったことを主張した。

 「俺も全然手ぇ出したいとは思わねえなあ……。つーかさ、男だって女ならだれでもいいってわけじゃないんだぜ?好みってのがあるし。ブスは触りたくねーし、可愛すぎても気後れして手なんか出せねーよ」

 「普通レベルの子は?」

 「それも……好みによるなあ。まあ、男の中には女ならだれでもいいって考える男がいないわけではない。でも、そういう奴って男全体のイメージを悪くするから、男にとっても迷惑な存在なんだぜ?」

 エンリーケは同意した。

 「一緒にされたくねえよな」

 「なあ?一緒にすんなって感じだよな」

 ファティマはそれを聞いて目から鱗が落ちた。男がそんなことを考えているとは思いもよらなかったからだ。

 「へえ……。そんなことを考える男もいるのね」

 「だから、男はみんな女をレイプしようと考えてる、なんて、一緒くたに考えるのはやめろよ。そういう男はごく一部で、ほとんどの男はそんなに女に狂っちゃいねーよ。俺達もそうだ。その点は安心してくれ。お前には興味がない」

 ヴィクトールとエンリーケが代わる代わる自分たちの安全性について説明する様子に、嘘偽りがあるようには見えなかったため、ファティマは初めて「この二人は信頼できる」と確信した。

 「解ったわ。あんたたちは信頼できそうね。男の中にもあんたたちみたいなまともな考えの人間がいるって知れてよかったわ」

 ヴィクトールとエンリーケはそれを聞いて顔を見合わせ、笑顔を交わした。

 「でも、急にはアレルギーが治るわけじゃないから、それは理解とは別よ。これからもリハビリは続けて。頑張るから」

 「あああ、それはもちろんもちろん。無理はすんな。協力すっから!」

 「ゆっくりゆっくり!大丈夫大丈夫!」

 男二人は慌ててファティマをフォローした。この時初めて三人は運命共同体として信頼し合えたのである。ここからはゆっくりしたペースではあるが、確実にソーシャルディスタンスの距離を縮めていくことに成功していった。

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