第6話 男性恐怖症

 三人が料理を準備し、さあ食べようという段になって、ファティマは出来上がった料理をじっと凝視し、手を付けようとしなかった。

 「どうしたんだよ?毒なんか入ってないから食えよ」

 エンリーケが食事を勧めると、ファティマは「ホントかしら」と呟いた。

 「殺せっていう割には毒殺怖がるんだな?」

 ヴィクトールがからかうと、ファティマは「そうじゃない」と言って、通勤バッグからポーチを取り出し、ポーチの中から折りたたまれた紙片を取り出した。

 「レイプドラッグ盛られて犯されることを警戒してるの」

 そして、料理の汁を紙片に並べられたさらに小さな紙片に一つ一つ染みこませてゆく。

 「何やってんだ?」

 「毒や薬が盛られてないか検査してるの。……どうやら安全みたいね」

 「すげえ!!そんなものあるんだ?!」

 毒を警戒されたことよりも、毒を調べる紙があることに驚いたヴィクトールは、素直に感嘆の声を上げる。

 「これは別にどこかで売ってるわけじゃないわよ。自作したの。全部の毒を調べられるわけじゃないけど、メジャーなものは調べられるわ」

 「自作?ひょっとしてお前、めちゃくちゃ頭いいんじゃ……?」

 ヴィクトールが疑問を口にすると、ファティマは席を立ち、腕を組んで小さな胸を張った。

 「よくぞ聞いてくれたわね!あたしは八歳で小学課程を卒業し、十歳で中学課程を卒業、十二歳で高等課程を卒業して、ハーヴィー大学に進学、十六歳で大学院に進んで十九歳で博士課程を修了した天才なの!あんたたちコソ泥とは住む世界が違う高等な人種なのよ!」

 おほほと高笑いをするが、そんな天才がなぜ薬局の店員に甘んじていたのだろう?

 「そんなにすげえんなら、なんであんな普通の薬局で働いてたんだ?研究者にでもなったほうが世の中の役に立つだろ?」

 ヴィクトールの疑問はもっともである。ファティマはがっくりと肩を落とし、

 「それが……。飛び級しすぎて幼すぎるから、二十五歳まで社会経験詰まないと入社は認められないって、製薬会社の入社試験に落ちたの……」

 「え?今何歳?」

 「今年二十一になるわ」

 「意外と大人なんだな!」

 エンリーケが妙なポイントに驚くので、ファティマはまた殴る真似をして拳を振り上げた。

 「なるほど、それで命を狙われることが多かったから、そんな検査の紙を考え出したのか」

 「それはまた別の理由ね」

 ヴィクトールが納得すると、ファティマはそれを否定する。そして、彼女は思い出すのも辛い記憶を語り始めた。


 あたしの父はセレンティア総合病院の院長。そして医師会の会長よ。みんなが父に逆らえない、医者の世界のトップ。

 でもそれは表の顔。本当はペドフィリアで子供のいやらしい写真をコレクションするような変態なの。勿論私も子供の頃に父から犯されたわ。その時に私が抵抗できないように、ドラッグを盛って、黙らせて犯したの。

 あたしは辛くて嫌でたまらなかったけど、抵抗する力が出せなかった。それから食事にも変な薬を盛られていたみたいでね。体の成長が止まる薬品を盛られていたみたい。そのせいであたしは胸も小さいまま、体も子供っぽくて低身長になったのよ。

 あたしは父の薬物悪用が許せなかった。だから独学で薬について調べた。そして、一刻も早く薬剤師になって、ドラッグが悪用されないように研究者になりたかったの。

 そこで編み出したのがあの検査シート。あたしはレイプドラッグや毒物が食事に混ぜられて、レイプされることをこの世で一番恐れてる。だから男はみんな敵だと思ってるし、生理的に受け付けない。婚約者もあんなのただのエロ猿だし、あんたたちもどうせあたしを乱暴しようと思ってるんだろうなって疑ってるわよ。


 衝撃の告白だった。実の父親に薬を盛られて犯され、身の回りの人間はだれも信用できない人生。薬のせいで成長も止められたとなると、彼女が天才薬剤師になるためには相当な執念と努力があったに違いない。ヴィクトールとエンリーケはしばらく黙っていたが、絞り出すようにヴィクトールが沈黙を破った。

 「た……大変だったんだな……。でも、安心しろよ。俺達はそんな薬物知らねーし、お前に毒盛るつもりもないし、それ以前に毒も薬も持ってねーから……。とりあえず、俺たちの作る飯は安心して食えよ」

 ファティマは席に座ると、「昔のこと思い出して食欲無くなっちゃったわ」といって、ミニトマトをつついた。

 

 その後もファティマはヴィクトールとエンリーケとは一定の距離を保って近づこうとしなかった。ベッドは汚らしいと言って寝ようとせず、ソファで眠った。さらにソファのそばには包丁を置き、寝込みを襲われないよう警戒していた。ヴィクトールとエンリーケはガードが堅いというレベルではないほど警戒するファティマに手を焼いていた。

 「確かに……こんな生き方してたら死んだほうがマシだろうなあ」

 「殺してあげたほうがいいのかな……?でも、なんか同情しちゃって殺しにくくなったな」

 一カ月ほど生活を共にすると、ソーシャルディスタンスの距離に変化はないものの、だいぶ親しくコミュニケーションが取れるようになり、一見打ち解けたように見えた。しかし、再びヴィクトールのスマートフォンに、組織から連絡が入った。

 《お前、まだ殺していないだろう?》

 「え?!こ、殺しました……」

 《殺したという報告が入っていなかったが?》

 「わ、忘れてました……ははは……」

 《どこに処分した?》

 「えっと……どこだったかな……」

 《……お前に期限を設ける。一週間以内に殺せ。殺したら折り返し電話を寄越せ。どこに死体を始末したか教えろ。死体を確認したら金を振り込む。逃げたら容赦しないぞ》

 そこで通話はブチっと切られた。

 「まずい……殺してないことがバレた。一週間以内に殺して死体を見せろってよ……」

 「え?!どうすんだよ?!」

 ファティマは落ち着き払った様子で、「じゃあ殺せば?いいわよ、いつでも」と他人事のように言う。そんなことを言われても、いまさら情が湧いて殺しにくくなったなど、とても言えない。

 「待て。考える……。あー、……あ!いいこと考えた!」

 ヴィクトールが何か閃いたようだ。

 「ファティマの親父、病院の院長なんだろ?金いっぱい持ってるだろ?ファティマを人質にして身代金ふんだくって、手に入れた金で逃げようぜ!」

 「天才かお前!」

 エンリーケが感嘆の声を上げる。ヴィクトールは悪事に関しては天才的に頭が回るようだ。ファティマはなおも罪を重ねようとするヴィクトールを軽蔑した。

 「あんた……よくそこまでワルいこと考えつくわね」

 「よしファティマ、親父さんに電話かけるんだ」

 だが、何も音声を加工しなければ簡単に足がついてしまうだろう。エンリーケは不安になった。

 「ボイスチェンジャーとかあるのかよ?」

 「ふっふっふ。自作する」

 するとヴィクトールは紙コップに穴をあけ、飲み口にアルミホイルをかぶせて即席のボイスチェンジャーを作った。

 「ヴぁーヴぁー。ほら、かなり声変わるだろ?」

 「天才かお前!」

 「あんたって……悪知恵だけはホントに天才ね……」

 そしてファティマの父に身代金一万ダラスを三日以内に振り込むよう指示した。無論振込先はファティマの口座だ。足がついてはいけない。

 翌日、無事に一万ダラスが振り込まれたことを確認すると、手に入れた金でアパートを解約し、ワゴン車を長期でレンタルして、三人は見事雲隠れに成功した。

 あの電話の一週間後に様子を見に来た組織の手下は、もぬけの殻になったアパートで歯噛みしていたという。

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