第5話 ファティマ誘拐
作戦決行の月曜日がやってきた。ヴィクトールとエンリーケはレンタカーを借り、モナウン調剤薬局から少し離れた位置に陣取った。そろそろ終業時間である。運転席にはエンリーケが座り、スマートフォンで暇つぶしをしていた。助手席に座って時を待っていたヴィクトールは、作戦開始時間に車から降りると、モナウン調剤薬局の裏口そばに待機した。
そして、いよいよターゲット――ファティマが出てきた。ヴィクトールは一言、スマートフォンに「出てきた」と入力してエンリーケ宛にメールを送信する。
気付かれないように尾行するヴィクトール。パーカーの腹部のポケットにはガムテープを忍ばせ、テープの端をポケットの中で弄びながらあとをつける。
そろそろ目的の位置に差し掛かる。ヴィクトールはスマートフォンのメールに「来い」と入力して送信した。
ほどなくして車のエンジン音が近づいてきた。ヴィクトールは走り出し、ターゲットに急接近する。
ガムテープを引き延ばしてちぎり、ファティマの口を塞ぐ。
ファティマが何事が起きたのか判断できないでいるうちにその両手を後ろ手に回してガムテープでぐるぐる巻きにすると、ちょうど同時に通りかかったワゴン車のスライドドアを開け、ファティマを小脇に抱えて車に押し込む。ワゴンのスライドドアを閉めると同時に助手席のドアを開け、ヴィクトールが助手席に乗り込むと、ドアを閉めると同時に車は発進した。
ファティマに襲い掛かって連れ去るこの一連の流れは、時間にして一分も経過していなかっただろう。目にもとまらぬ流れるような一瞬の犯行だった。だが、二人は平静でいられたわけではなかった。生まれて初めて、犯罪らしい犯罪を犯してしまったという罪悪感に、二人の心臓はドクドクと大きく脈打っていた。耳の奥で、血潮が暴れて脈打ち流れる音が聞こえるほど、二人は極度の興奮状態に陥っていた。
『やってしまった……』
全身を小刻みに震わせながら、二人はファティマを抱えてアパートに帰った。ヴィクトールが担ぎ上げたファティマをベッドの上に転がすと、まずは両手を封印するガムテープを剥がし、次に口を覆っていたガムテープも剥がした。体が自由になったというのに、ファティマは身動き一つせず固まっていた。怯えているのだろう。無理もない。
「どうする、これから」
エンリーケが難しい顔をしてヴィクトールに指示を仰ぐ。
「どうすっかな……。組織にバレないようにやったつもりだが、見られていたかな?」
「ここで殺す?」
「とりあえず、サイダーでも飲もう。喉がカラカラだ」
二人はファティマには手を出さずに、ひとまずジュースを飲んで一息つくことにした。
ヴィクトールとエンリーケが、ベッドの上で黙って震えているファティマを見ながら氷の入ったグラスを傾ける。エンリーケは、ずっと感じていた疑問を口にした。
「なあ、ヴィクター?」
「なんだ?」
「お前、ホントは殺したくなくて時間稼いでるだろ?」
図星だった。ヴィクトールの気管に炭酸飲料が流れ込み、ヴィクトールは激しく咽る。
「そうなんだろ?」
「……んんっ!……何で……わかった?」
「判るよ。殺そうとしねえもんお前」
「なんか……殺しにくくてな……」
すると、ようやくファティマが口を開いた。
「殺すの?あたしを?」
ヴィクトールとエンリーケは、「殺せって言われてるけど、迷ってる」と口を揃えて答えた。
するとファティマはさらに怯えた様子で、「なら、犯すの?」と聞いた。
『犯す?』
ヴィクトールとエンリーケは口を揃えて問い返した。少し考えてみる。ファティマは顔こそ幼さがあって可愛いが、胸は絶壁で少しも膨らみがないし、腰は寸胴で四角い。腕と足は棒きれのように細い。まるで痩せた子供だ。こんな幼い女性を、果たして、犯してみて楽しいだろうか?
「や、別に俺はそんなつもりは……」
ヴィクトールが遠慮がちに言うと、エンリーケはもっと直接的な表現を用いた。
「こんな色気のねえガキ犯す趣味ねーしなあ」
すると今まで固まっていたファティマが急に二人に飛び掛かり、顔面に拳を叩き込んだ。
「痛ってえ!!何もしねえって言ってんのになんで殴るんだよ!?」
「なんか……その言い方がムカついたから……」
するとヴィクトールは立ち上がり、ズボンのベルトに手をかけながら、めんどくさそうにファティマに訊いた。
「なんだよ?犯されてえのか?その気はなかったけど、お前が犯されてえってんなら形だけでも犯してやるか?」
するとファティマはヴィクトールの股間に正拳突きを食らわせた。
「ぐっほ!!」
「そんなことしたらあんたたちのチ**食いちぎってやる!」
ファティマは痛みにうずくまるヴィクトールと面食らって腰を抜かしたエンリーケを仁王立ちで見下ろして二人に訊いた。
「あたしをどうするつもりなの?殺すの?殺さないの?どっち?」
二人は床からファティマを見上げ、「まだ迷ってます……」と力なく答えた。
突然、ヴィクトールのスマートフォンが鳴り出した。この着信音は組織からの電話だろう。慌てて電話に出る。
「はい、ヴィクトールです」
《ターゲットの女は殺したか?》
「いや、まだです。今ベッドの上に転がしてます」
《なら、その女をこちらに寄越せ。始末する》
「ま、待ってください。俺達が始末します!」
《やれるんだろうな?》
「やります、ちゃんとやります。やらせてください」
《確実に殺せよ》
そこまで話すと、通話が終了した。
「ヴィクター、なんだって?」
「確実に殺せって……。参ったな」
ファティマは純粋な疑問を口にした。
「殺さないとどうなるの?」
「組織に俺たち三人まとめて始末される」
ファティマはそれを聞くと、フーンと退屈そうな声を上げ、「殺しなさいよ」と言った。
「あたしを犯す気がないんなら、おとなしく殺されるわ。あたしこの世に未練ないもの。さあどうぞ。殺してちょうだい?」
エンリーケとヴィクトールは驚いた。殺し屋に殺せと言う人間を初めて見た。普通は命乞いをしそうなものなのに。
「し、死にたいのか?」
「うん」
「付き合ってる男がいたんじゃないのか?」
「そんなことまで知ってるの?いやあね。あの男は親が勝手に決めた婚約者よ。あたしは大っ嫌い」
「な、なんで?」
「いつもスケベそうな目で見てきて、体にしか興味なさそうであの手この手で口説いてくるの。全部かわしてるけど」
「体の関係は?」
「ないわよ。気持ち悪い」
そこまで聞くと、ヴィクトールの心の中のグツグツ煮えたぎっていた鍋の一つが急激に冷えた。心が急に軽くなる。
「そうか……ははっ」
「何よ?」
「いや、何でもない。こっちのこと」
ファティマは腕を組み、「そんなわけでね」と話し出した。
「あたしは毒親の父親にもうんざりしてるし、婚約者は反吐が出るほど嫌いだし、なりたかった仕事にも就けないこの社会にもうんざりしているの。いつ死んだっていいの。殺したいってんならどうぞ。でも、辱めるのだけはやめてね。これ以上汚れたくない」
「お、おう……」
そうは言われても、殺せと言われて殺意が急に芽生えるほど器用にできてはいない。
「ま、まあ落ち着けよ。どう殺すかは、これから考えるから……。まず、まあ、一緒に飯食おうぜ。腹減っただろ?」
微妙な空気が流れる中で、三人は冷蔵庫の食材を適当に使い、夕餉を共にした。
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