第4話 組織の配置換え

 セレンティア総合病院に倣い、他の病院も次々に処方箋の様式を刷新すると、他の病院の処方箋を偽造していた工作員も次々逮捕された。その数は膨大で、実に八十人以上の工作員が検挙されるビッグニュースとなった。

 それに伴い、不正売買に使用されていたサイトは相次いで閉鎖。医薬品の個人購入に依存していた者たちは、海外からの個人輸入にシフトしていった。

 ヴィクトールとエンリーケの所属していた組織の薬物班はほとんどが逮捕されたため、組織は班を解散し、違法薬物売買に乗り出した。海外の他の組織と新たに繋がりを持ち、違法薬物を大量に密輸し始める。街には医薬品の違法売買より深刻な薬物の闇が広がり始めた。

 そんな背後の動きはつゆ知らず、モナウン調剤薬局には平穏な毎日が訪れていた。

 そして。一年と四カ月が経過した。

 ヴィクトールとエンリーケは晴れて刑務所から出所し、新しい家を探し始めた。以前生活していたアパートは逮捕されたときに警察に捜査され、大家に契約を切られてしまったのである。

 ほどなくしてワンルームのアパートを借りた二人が、ようやく腰を落ち着けられる、と思った矢先である。二人は組織の本部に召集された。

 「娑婆の空気は美味いか、お前たち。ご苦労だったな」

 直属の上司のジャイルが、組織のミーティングルームで会議テーブル越しに二人を出迎えた。

 「ジャイルさん……すみません。俺達の失態で組織に迷惑かけちまって……」

 最初に捕まったヴィクトールは申し訳なさと恐怖でジャイルの顔が直視できない。エンリーケもジャイルから目をそらし、俯いている。

 「お前らの失態じゃない。俺の指示が甘かっただけだ。気にするな」

 ジャイルの声はどこか諦観しているようだった。やけに落ち着いている。

 「俺たちの班が解散したことは知っているよな?そこでだ、お前たち元薬物班の奴らは大幅に配置換えされることになった。お前たち二人の新しい班は、……殺しだ。暗殺班になった。勿論上の思惑あっての配置だ」

 「あん……さつ……」

 ヴィクトールとエンリーケは指先から全身が冷たくなっていくのを感じた。二人はまだ殺しをした経験がない。殺しのためには肉体改造をして厳しい訓練に耐えなくてはならない上に、真っ先に殺される危険と隣り合わせになる。不安しかなかった。

 「お、俺たち、全然貧弱だし、殺しなんかやったことないし、務まる自信全然ないっすよ?」

 エンリーケが不安を口にすると、

 「そう不安になるな。お前たちはすでに特定の任務に就くよう指定されている」

 と、ジャイルはテーブルに肘をついて両手を顔の前で組んだ。

 「お前たちに殺してほしいのは、モナウン調剤薬局のファティマという女だ。それから、その父親でセレンティア総合病院の院長、医師会会長のロドリーゴ、そのほかに病院関係の要人を専門に始末してもらう」

 ヴィクトールは絶句した。よりによって一番関わりたくない人たちを始末しなければならないとは。

 「理由は、わかるな?」

 ヴィクトールはカラカラに乾いた喉から返答を絞り出した。無論理由はよくわかる。

 「仇だから、復讐のため、ですか?」

 「そうだ。特にヴィクトール。お前は特にあいつらが憎いだろう」

 ヴィクトールの脳裏に逮捕されたときのファティマの姿がよみがえる。

 仁王立ちで、勝ち誇った顔をして、見下していた。確かに憎い。だが、彼の心の奥で、何かが彼の憎しみの後ろ髪を引いていた。小さな葛藤。

 「俺たち二人で殺るんですか?」

 エンリーケが確認する。

 「二人でやるか、単独で始末するかはお前たちに任せる」

 エンリーケはほっと胸をなでおろし、ヴィクトールと協力できることを素直に喜んだ。

 「よかったなヴィクター。俺たち二人でやれば、きっとなんとかなるよ。サクッと始末しようぜ」

 「あ、ああ」

 すると、ジャイルは二人の前に二丁の拳銃を置いた。

 「これを使え。上からのプレゼントだ」

 二人は拳銃を手にした。想像していたよりずっしりと重い感触に、生唾を飲み込む。

 「じゃあ、あとは任せたぞ」

 そう言うジャイルに、ヴィクトールは素直に疑問を口にした。

 「始末したら誰に報告するんですか?今まで通りジャイルさんに報告するんですか?」

 ジャイルはふっと口角を上げると、

 「報告は見張りの奴らが自動的にやるだろうから、指示通りにやればいい。俺は……この後始末されるから」

 と、力なく告げた。

 「始末……!」

 「え、ジャイルさん、なんであなたが?!」

 二人がうろたえると、ジャイルは椅子から立ち上がり、二人をまとめて抱きしめた。

 「下のモンがしでかした失態は、上司が責任取るもんだ。いいんだ。俺たちの班は結構楽しくやらせてもらったから、思い残すことはなにもねえよ。お前たち、ありがとうな」

 「ジャイル……さん……!」

 三人は抱き合ってひとしきり泣き、今生の別れを悲しむと、名残惜しそうに別れた。

 二人を眩しそうな顔で見送ったジャイルの背中に、黒服の男が銃を向けていた。

 銃声が一発、組織の廊下に響き渡った。


 「どうするヴィクター?どうやって殺す?」

 「まずはあの女を観察するところから始めようぜ。迂闊に動いたら簡単に足がついて、刑務所に逆戻りだ」

 二人はモナウン調剤薬局に張り込み、ファティマの生活パターンを観察した。

 朝八時十分前に薬局に到着。昼十三時に昼食を買いに出かけ、十七時四十五分に帰宅の途に就く。距離を開けて尾行するうちに、自宅の場所も帰宅ルートも判明した。

 「十八時十五分前後に街灯のない道に差し掛かるな」

 「周囲に遮蔽物もないし、民家もない。そこで始末するか」

 「そうだな」

 ファティマは時々仕事帰りに男の車に乗り込んで外食する日があるようだ。決まった帰宅ルートを歩くのは月曜、水曜、木曜の三日間しかチャンスがない。

 「次の月曜……。やるか」

 ファティマの行動を監視しているうちに、ヴィクトールに複雑な感情が芽生えた。自分を罠にかけて仁王立ちで嗤っていたファティマ。確かに憎い。憎くて気が狂いそうで、今にもこの銃で殺したい。しかし、ファティマの可愛らしさから目が離せない。監視すればするほど、目で追えば追うほど、意識せずにはいられない。たまに現れる金髪眼鏡の優男の存在が気になる。あの男はファティマの男なのだろうか。ファティマはあの男に抱かれているのだろうか。あんな男に……あの女が……。

 ヴィクトールの心に名状しがたい感情が膨らみ、今にも破裂しそうである。殺せばこの心に決着がつくのだろうか?あの女をこの手で殺せば、この不愉快な感情がすっきりと晴れるのだろうか。ファティマが死ぬ瞬間をイメージしてみる。すると、心が余計かき乱された。あいつが死ねば、解決する?本当に?

 自宅の玄関をくぐるファティマの後姿を見送ると、ヴィクトールは決断した。

 「エンリーケ。殺しは待ってくれ。車を借りよう。例の場所で誘拐する」

 「誘拐?!」

 「とりあえず誘拐して、家に連れ込んで、それからどうするか決めよう」

 「そ、そうか……。まあ、お前がそういうんなら……」

 そして次の月曜日、二人はモナウン調剤薬局から少し離れた場所に、レンタカーを停車させてその時を待った。

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