第3話 気乗りしないデート
その日、ファティマは婚約者のカスパールに誘われて、高級レストランで食事をしていた。
親同士が決めた婚約。ファティマは女の子の一人っ子だったため、地域の有力者であるファティマの父が、自分の後継ぎとして取り巻きの医者の息子の中で優秀な男を選んだ形である。カスパールは次期院長、次期医師会会長を約束されていることに誇りを持っていた。何としてもこのポストを死守したい。そのため、ファティマやその父に嫌われないようにあれこれとご機嫌を取ることに必死だった。
「大活躍だったね、ファティマ。君のおかげで次々と不正入手している密売人が逮捕されたよ」
ファティマは浮かない顔のまま謙遜してみせる。
「カスパールさんの協力があったおかげです。私は何もしていません……」
「君の機転があったからこそじゃないか。そしてお義父さんのおかげだよ。よくあんなことに気付いたね。普通に仕事しているだけじゃ気付かないよ」
「別に……。ただ、怪しいなと思う人が居ただけで……。誰でも気づきますよ……」
中身のない会話。ファティマはこの無意味な食事会がいつも苦痛だった。何が楽しくて嫌いな男と美味しくもない料理を食べ、おべんちゃらや不毛な会話を強いられなければならないのだろう。早く終わってほしい。食事の味もよくわからない。喉にヒステリー玉がつかえてうまく飲み込むこともできない。むしろ吐き気がして仕方がない。ファティマはカトラリーをテーブルに置き、ふう、と溜め息をついた。
「いつも少食だね、ファティマ。もうお腹いっぱいかい?」
「いつも、こんなコース料理食べないので……。お腹いっぱいです」
「じゃあ、もう店を出ようか?次は行きつけのバーで美味しいお酒を楽しんで気分を変えよう」
ファティマはなおもデートを続けようとするカスパールが邪魔で仕方なかった。バーなんぞに連れて行かれたら、レイプドラッグを飲み物に混ぜられて犯されるかもしれない。いや、百%そうなるに決まっている。今のところ毒物の混入が認められたことはないが、カスパールのことだ、いつかはやるだろう。そんなことはまっぴら御免だ。わざわざ蜘蛛の巣に飛び込むほど馬鹿ではない。
「具合がすぐれないので……。今日は失礼します……」
「そうかい?残念だ。いつか一緒に美味しいカクテルを飲もうね」
カスパールはタクシーを手配し、ファティマを自宅に送った。
ファティマは帰宅後、自室で厚紙にムエットのような小さな紙片を並べ、一つ一つ糊付けしていった。十数枚並べて糊付けすると、乾いた後に薬品を染みこませてゆく。薬品を配置する順番は自分の中で決めている。これは簡易毒物判定シートだ。ファティマはいつ毒殺されるか、いつ薬を盛られてレイプされるかを非常に警戒しており、いつも二十枚ほどこの検査シートをポーチに忍ばせて、出された食事を検査している。無論この検査シートで鑑別できない毒物や薬物も存在するが、鑑別可能な薬物や、手持ちの試薬で試せるものはこのシートで一目瞭然だ。
「あのクソパール……やたらと品数の多いコース料理食わせて……。検査シート使い切っちゃったじゃないの……。さらにバーなんかに連れていかれたら絶対薬盛られるわ。冗談じゃない。むしろこっちがアイツを毒殺してやる。死ね!」
呪詛をこぼしながら慣れた手つきで検査シートを作るファティマ。このシートはまだファティマが学生だった頃に独自で考案したものだが、現在はもっぱらカスパールとの食事にしか使用していない。カスパールがしょっちゅう食事に誘ってくるので、検査シート作りが追い付かないほどだ。
ファティマはいつも元気のなさそうな顔をして、伏し目がちに食事をして見せているが、それはテーブル下で食事を検査していることがばれないようにするための演技だ。試した検査シートを流れるような手つきで捨てるために、足元には口の開いた紙袋をスタンバイさせている。この方法で今のところバレずにすべての食事を検査することが可能だった。
ファティマはどうやったらカスパールとの婚約から逃れられるかについて、検査シートを作りながら延々考え続けていた。
ああ、願わくは、人畜無害そうな優しい人が、拒絶反応の起こらない奇跡のような男性が、目の前に現れて自分を奪い去ってくれないだろうか。
そんなことを考えるたび、悉く男性にアレルギー反応が起こってしまう自分にうんざりしてしまう。男性のことが平気になれたら、今よりずっと生きやすくなるのに。
――トラウマが。幼い頃に自分を苛んだ非道な仕打ちが。精神の奥をぐしゃぐしゃに歪めてしまった。歪められささくれ立った心に少しでも触れるようなことが起きると、反射的に体が拒絶反応を起こしてしまう。
全人類が自分の脅威になるとは思っていない。だが、歪められた心が、本能に刻まれた警戒心が、全人類に対して針のような毛を逆立ててしまう。
ファティマの心はいつも葛藤していた。
一方こちらは取調室のヴィクトールである。セシルという名の刑事が向かい合わせに座り、穏やかな口調でヴィクトールを尋問する。部屋の隅ではゴルベスという名の刑事が調書にメモを取っている。
「なあ、いい加減教えてくれよ。組織か?単独犯か?どこの組だ?秘密は守るから、お前が組織にバレることはない。な?」
「嘘ばっか言いやがって。俺が単独でやってんだ。俺が考えた商売だ」
「単独じゃないだろ、仲間がいるだろ。仲間、いっぱい捕まったぞ?ん?トップは誰だ?」
「他のやつなんか知らねえ。みんな金に困ってたんだろ」
フーと溜め息をこぼすと、セシルは急に口調を荒げた。
「調べはついてんだよ!!お前が白状した証拠が欲しいだけだ!!黙っててもお前の悪事はみんな分かってるんだよ!!さあホントのことを吐け!」
ヴィクトールは少し考えて、なぜ自分の犯行がバレたのかについて聞いてみようと考えた。返答次第で、こちらの返答も変わる。
「なあ、調べついてるって言ったけどよ、どうやって調べたんだよ?俺なにも怪しいとこなかっただろ?どこに穴があった?その返答次第で、俺の答えも変わるんだけどな」
セシルは一理あると考え、ファイルから証拠の紙を三枚取り出して見せた。
「こっちがセレンティア総合病院の処方箋。で、こっちが新しい処方箋。で、これがお前が出した処方箋だ。見比べて見ろ」
ヴィクトールはガバッと処方箋を食い入るように見比べた。馬鹿な、処方箋の様式が変わっているだと……?!
「処方箋、変わってたのかよ?いつの間に?!でも、なんで偽造だってわかったんだ?全く同じ処方箋出してただろ?」
「もっとよく見てみろ。紙の質が違う」
ヴィクトールは本物の処方箋と偽造処方箋の手触りや色を注意深く見比べた。どこがおかしいかわからない。
「何が違うんだ?」
「セレンティア総合病院の紙はエコパルプ。ちょっと黄色いだろ。お前のは安い市販のコピー用紙。紙質が全然違う」
「ああっ……!くっそ!」
「それに気づいた薬剤師の女はな、セレンティア総合病院の院長の娘だ。だから、パパに頼んで処方箋の様式を分かりやすく作り替えたんだよ」
「なん……だって……?院長の娘?あいつが?クッソ……あの女……嵌めやがって!!!」
ヴィクトールは衝撃の真実を知り、青くなったり赤くなったり顔色を変えて苦悶した。実は心のどこかで少しファティマに惚れていた自分が情けない。まんまと掌の上で踊らされていたのだ。きっと内心嗤われていたのだろう。
「そのおかげでお前の仲間がまんまとネズミ捕りにかかったってわけさ。お前の仲間は全滅したぞ。さあ、本当のことを言え」
ヴィクトールはショックでぐったりと脱力していた。
「ちょっと……時間をくれ……。具合が悪い……。考えさせてくれ」
セシルとゴルベスは顔を見合わせ、今日の取り調べを中断した。
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