第2話 新しい処方箋
ファティマはその後も一カ月に一度必ずやってくるヴィクトールの様子を観察した。ニコニコしているし、目に光が宿っている。とても重病人とは思えない。時々その好意的な視線に身震いがする。ファティマは疑惑を放置することができず、上司に相談してみることにした。
この時ファティマの考えは、サントスと名乗るこの男が薬局に近づかないようになればそれでいい――その程度の小さな嫌がらせのつもりに過ぎなかった。
「ダニーロ部長。最近明らかに詐病と思われる患者を見たことがありませんか?」
ダニーロと呼ばれた丸々肥えた中年男は、眼鏡をはずして顔の汗をぬぐった後、眼鏡をかけなおしながらファティマの訴えを聞いた。
「え?そんな人いるかな?まあ、内部疾患の人は見た目じゃわからないからなあ」
「それはそうなんですけど……。タリスンを毎月最大処方量処方されている、見るからに元気な人が居るんです。怪しくありませんか?」
ダニーロはタリスンという商品名に眉を寄せたが、すぐに首をひねった。
「タリスンは強力な薬だ。そのせいで一見元気に見えるかもしれない。簡単に処方を中断するわけにいかない薬なんだよ。詐病ではないと思うよ」
「そう……ですか……。なんかその患者さんにナンパされそうになって……。キモいんですけど」
ダニーロはハハハと笑い、
「タリスンのジャンキーなら普通の症状だよ。軽く流して相手にしないといい。彼らは今とてもハッピーなんだ。薬のせいでね」
と、ファティマの肩をポンポン叩いた。
ファティマは内心キモいと思っている上司に触られて心臓が飛び上がった。あとでウェットティッシュで拭こう。
「わかり……ました……」
とは言ったものの、怪しさが拭えない。処方箋の人物について病院に確認の電話を入れてみる。
「もしもし?セレンティア総合病院ですか?確認してほしいのですが、サントスという人物の処方箋が発行されているか調べてもらえますか?ええ、患者コードは3596―1548―75」
しばらく待ってみると、保留音が解除されて受付の女性が電話に出た。
「え?通院歴あり?!そ、そうですか……。失礼しました。何でもないんです。気になったことがあって。え?最近もきた?はあ、解りました……」
一体どういうことだろう?明らかに怪しいサントスだが、通院歴があり、処方箋も発行しているという。サントスの出す処方箋を改めて確認してみる。偽造され、コピーされつくした紙のような、印刷のちらつきは見当たらない。新しく印刷されたようなきれいな処方箋だ。特に怪しいところは――。
――いや、一点違和感がある。ファティマはセレンティア総合病院から出された処方箋と、紙の質を見比べてみた。セレンティア総合病院の紙は、エコに配慮された再生紙パルプだった。わずかに黄ばんで、手触りが柔らかな紙を使用していた。だが、サントスの処方箋は真っ白だ。紙も硬く、手が切れそうな鋭いエッジの紙だった。
「これだわーー!」
ファティマは処方箋を自宅に持ち帰り、ある人物に話を聞こうと考えた。
ファティマは扉の前に立ち、二枚の処方箋を手に、心を落ち着けようと深呼吸した。
そこはファティマの自宅の、父の書斎のドアの前。ファティマは父に処方箋を見せようと考えた。意を決して二回ドアをノックする。
「父さん。話があるの。相談に乗ってくれない?」
すると扉の奥で、キイ、と椅子が軋む音がして、ほどなくドアが開かれた。
「どうした、ファティマ」
中から出てきたのは白髪で髪色が薄くなった、五十代半ばのやせぎすの男だった。顔色は白く、威圧的な緑色の瞳。ファティマはこの男――父がこの世で最も苦手だった。
「リビングに来て。話があるの」
父とファティマがリビングのソファに向かい合わせに座ると、ファティマは二通の処方箋を差し出した。
「うちのモナウン薬局に出された処方箋なんだけどね。見て。このマグダレーナさんの処方箋は、エコパルプのコピー用紙に印刷されてるの。でも、このサントスという人の処方箋は、市販されている安いコピー用紙だわ。セレンティア総合病院ではエコパルプを使っているんじゃなかった?」
父は二枚の処方箋を見比べ、紙のエッジに指を滑らせ、蛍光灯にかざして色を確かめた。
「うちの紙じゃないな」
父は、セレンティア総合病院の院長だった。病院の方針は隅々まで把握している。
「でね、一回処方箋の様式を大幅に刷新してみない?それで、あの男が古い様式で処方箋出して来たら、偽造された処方箋だってわかるじゃない。不正に入手している奴らを一掃できるかもしれないわ」
「不正に入手している者がいるのか?」
「ソフィアが、最近処方薬を密売しているサイトがあるっていうことを、ニュースで特集していたって言ってたの。密売組織がいるかもしれない」
父は顎に手を当てて考えると、
「……わかった。事務の者に新しい雛型を作ってもらって、システムを刷新してみよう。念のため、警察にも話を通しておこう。偽造処方箋が見つかったら、警察が動くようにしておくから、通報するといい」
ファティマは鼻からフーっとため息を吐くと、「ありがとう、パパ」と顔をほころばせた。
「仕事はうまくいっているのか?」
「ええ、まあまあね」
「カスパールとは?」
父は婚約者のカスパールの名を出した。ファティマの顔が一瞬引きつる。
「仲良くやってるわよ。安心して」
父はにんまり笑うと、「そうか」といって、書斎に戻った。
さて、一ヵ月が経過した。処方箋の様式は十日前にようやく使用され始めた。未だ偽造処方箋は見つかっていない。ファティマはサントスが現れるのを今か今かと待ち構えていた。おそらく、来るとしたら今日だ。「今に見ていろサントス。気色の悪い目つきでニヤニヤ話しかけるお前など、お縄にしてやる」ファティマはそう考えていたが、サントスことヴィクトールは、ただお気に入りの薬剤師との会話を好意的に楽しんでいるに過ぎなかったのだが。
自動ドアが開き、灰色のパーカー姿の金髪碧眼の男が姿を現した。襟足で長髪をくくっている。間違いない、サントスだ。
サントスは受付に保険証と処方箋を出した。処方箋は――旧式の様式だった。紙の種類もエコパルプではない。白くてエッジの効いた硬い紙だ。間違いない。この男は薬の密売人だ。
受け付けたソフィアはファティマに目配せを送った。ファティマは小さくうなずく。
「保健証はお返しします。それではお席でお待ちください」
ソフィアが何食わぬ顔で処方箋を奥に持っていく。
「ビンゴよファティマ」
ソフィアが不敵な笑みを浮かべてファティマに偽造処方箋を見せた。
「OK。警察呼ぶわね」
ファティマは受話器を手に取り、緊急通報ダイヤルを押した。
ほどなくして、警察が局内にやってきた。うろうろと歩き回り、患者の様子を見回りながら、受付に歩いていく。驚いたのはヴィクトールだ。体中から汗が噴き出し、心臓が早鐘を打つ。
(バレた?なんで?なんで今日に限ってサツが来るんだよ?早く帰れよ。俺は知らねえよ)
祈るような気持ちで平静を装う。待合室のテレビを凝視し、心を無にして、一般人を装う。心臓が大きく波打つのを感じる。汗が止まらない。
しかし、警察は彼めがけて一直線に歩いてくる。
「君、ちょっと話を聞かせてもらえるかな?」
たまらずヴィクトールは警察を突き飛ばして逃げ出そうとした。そこをうまく腕を確保され、逃走は失敗に終わる。受付を見ると、ファティマが腕を組んで仁王立ちして彼を見ていた。――嵌められた。あの女……!
「てめえ!!嵌めやがったな!!」
ファティマが涼しい顔で言う。
「今まで嵌めていたのはあんたのほうでしょ。バレないと思ったの?悪党!」
警察官がヴィクトールの手首に手錠をかけた。
「十時三十七分、確保しました」
警察官は無線に報告する。
「畜生――――――!!覚えてろよてめえ―――――!!!ぜってえ手前のツラ忘れねえからな!!!」
警察官は暴れるヴィクトールをがっちりホールドし、パトカーに引きずっていった。
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