二十日目


 部屋を出ろ、という深海魚に対して『浅瀬に住みなよ?』的なお願い事――ではなかった。


 残虐が習いの妹という人種にしては珍しいことにね。人に対する情けという言葉は「お前情けねぇな?」と声を掛ける時ぐらいにしか存在しない生物なのに。


 思わず熱を測って頬に紅葉を咲かせるぐらいの異常事態。ちなみにマインちゃんは照れるということもなく終始真顔だったことをここに記す。バット持ってる手じゃなかったことが慈悲かな?


 泣いたのは帰る時間になって駄々を捏ね始めた幼子ぐらいだったよ。俺? ナカナカッタヨ、えろいでしょ?


 疑問には答えておこう。ゴジだ。


 幼子はお迎えが来たからと抱き上げて強制退出させたのだが、脱出装置に抱き着いて離れなかった。持って帰るとか言い出しやがる。やだ残酷。やはり虫の命で遊ぶ年代、どんな虫にも魂があると分からないのだろう。やれやれ。


 ここは一つお約束というか正に約束事を重ねてお帰り願った。チョロい。所詮はお子様よ。今度遊びに来ること、また遊びに行くこと、次はお菓子を作ること、サプライズにプレゼントを用意すること、将来は結婚すること、って多くない? 望み過ぎじゃない?


 こちらは白紙の証文踏み倒すのつもりだったからいくらでも構わんとか思っていたけど、正直不安になるレベルだったよね。この娘の将来。


 小学校で『女帝』とか呼ばれないことを祈るよ。


 これだけ重ねて膨れっ面だったというのが凄い。凄い可愛げがある。


 うちの妹レベルになると真顔っつーか魔顔だから。


 しかしこれで厄介事が片付いたと部屋に戻ろうとした俺はいつの間にか蓑虫。


 いつかのカウンセラーとかいう謎職業のおねえさんのように動けなくされてしまった。


「逃がすわけないでしょ?」


 ほーらね。可愛げないでしょ? もっと膨れっ面でツンデレ感増し増しで頼むよ。瞳の光彩消して真顔で呟かれたら不安しかない。不安しか勝たん。どうなるの?


 ステージが良くない。うちの玄関だ。ここは俺の領域じゃない。領域展開できない。


「ちちちち違うよ?! ご、ご飯! ご飯の時間だから……」


「リビングに行きましょう」


「おいおい? 夜ご飯は自室で食べるものだよ? やれやれ」


「この前一緒にピザを食べたのは?」


「リビングです」


「なら食事をするのは?」


「リビングです」


 ズルズルとロープの先を引っ張っていくバイヤー。俺にはドナドナを歌うことしか出来ず。


「うるさい」


 歌うことも出来ず。


 珍しく強い拘束だ。原因は何かな? 心当たりしかなくて逆に思いつかない。最悪人生が終わるまである。ちなみに帰ってきた母を俺を跨いでスルーしていた。やはり部屋の外には敵しかいない。


 リビングに引き摺られ妹はソファーで足を組み兄は床。これが兄妹の縮図。


 脱出を図ろう。


 こちとら刑務所を脱出する資料を映像で勉強してるから楽勝。部屋を出る気は皆無だったから睡眠学習だったが問題あるまい。


「マインちゃんマインちゃん。これじゃご飯が食べられないよ〜」


「うるさい」


 おかしいな?


 我々は食事をしにきたのではなかったのか?


 ならトイレに行くとでも言えばいいか。


 おけ。


「マインちゃんマインちゃ」


「黙れ」


 ほかひひな?


 頬が足で潰されてしまったぞ?


 どうしたらいいんだ。こんな展開データベースにはなかったぞ? ええい、やはりフィクションは役に立たん! アニメで勉強すべきだったのだ!


「そ・れ・でー……あたしのお願いごとなんだけどぉ〜?」


 頬をムニムニされながら媚を売る妹を見……見えねえよ。なんだこれ。字面だけ見たらイチャイチャなのに絵面だけ見たら暗黒街の女ボスレベル。


 答えることができないとようやく気付いてくれたのか、頬ムニを止めてくれた。次は頬グシャだろうな。怖いな。


 下手な返答はできない。


「勿論叶えさせて貰いますよ! むしろ叶えさせてくださいとこちらからお願いしたい」


「踏み倒す気なんでしょ?」


 声が冷たいや。


「そ、そんなことするわけないじゃないか! 大丈夫、お兄ちゃんは生まれてこの方ウソをついたことがないから。お兄ちゃんを信じて。お兄ちゃんを解放して」


 お兄ちゃんは人間だぞ!


「あたし、仕組みがいると思うのよ」


 おやぁ? どうやら兄の話を全然聞いてないようですね。


「お兄……あんたが約束を守るなんて一ミリも思ってないんだよね。それはさっきできたから間違いないでしょ? モイちゃんに感謝だよね。危うくまた騙されるところだった。でもあんたもいい歳なんだから発言には責任を持って貰います。約束の履行は絶対。……あたしとのよ? あたしとの約束は絶対。だからあんたが約束を破らないようにしなくちゃダメでしょ?」


「ちょっと何言ってるかわかんない」


「でも契約書にしようが何にしようが強制力が無いと思うんだよねぇ……。なんでそんなに精神力が強いの? ほんとに。このままじゃ確かに踏み倒されてたと思う。うん。ほんと。。……部屋に入れて」


「マ、マインちゃん! トイレ! トイレだ! トイレに行かせてくれ! ヘルプ! 誰かヘルプ!」


 兄妹だからか、妹が何を言ってるのか理解できた。したくなかった。


 ほ、本気か?! それはダメだ! それだけはダメだ?! やめろ! 男女和平平和条約に違反するぞ! やめて!


 こちらの考えを裏付けるようにマインちゃんが立ち上がった。


「あんたのパソコン、没収します」


「マィィィィィイイイイイイイイイイイイン?!!!」


 この人でなしぃいいいいいいいい?!

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今日も俺は、引きこもる トール @mt-r

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