妹・一

 あたしの兄は引きこもりだ。


 原因はよく分からない。


 容姿は普通の中肉中背やや高め。運動は可もなく不可もなく。成績はトップレベルだったが、得意教科など無かったせいか抜け出た印象がない。


 イジメにあっていた訳でもなく、クラスで浮いていた訳でもなく、なにかと目立つ訳でもなく、普通の男の子……だった。


 兄の交遊関係など知りはしないが、友達はいたと思う。日常生活に不満を持っていたようにも思えない。家族仲も良好。問題を抱えていたようにも見えない。


 しかし何故か引きこもりに。


 訳も分からず引きこもりになった兄に、両親は甘かった。あまり心配もしていない。なんたること。


 由々しき事態だ。


 今まで、あたしに兄弟がいるかどうか聞かれたら「ああ、兄さんが一人いるよ」と軽い感じで答えられた。歳の差が二つなので、大体通う学校が同じだ。名字で「もしかして……」と聞かれることがある。


 しかし!


 今や聞かれる度に答えに詰まり! どちらかと言えば隠したい! ご近所さんに「大変ねぇ」とか言われると、苦笑いしか返せない!


 自慢の兄と呼べるほどじゃなかったが、普通のいい兄だったのに!


 あたしが、あたしがなんとかしなきゃ!


 まずはコミュニケーションを取ってみよう。


 そう決意して開けた玄関の扉の向こうに、兄がいた。なにやってんの?


「ただいま」


 恐ろしく気まずげな表情の兄は、そそくさと玄関の端によって道を空けた。


 ……いや、おかえりって言いなさいよ!


 はっ。いけない。いつもケンカになるのだ。友達にもお兄さんがいる子がいて、その子もお兄さんとはしゅっちゅうケンカをすると言っていたし、兄と妹というのは反発するものなのかもしれない。


 これではいけない。


「た・だ・い・ま」


 ニコリ笑顔だ。こっち見なさいよ。


 おかえりって言うまでこのままでいよう。こういうのは積み重ねが大事って言うし。


 …………うわ、髪サラサラ。なんでセール品のシャンプーだけでこんなんなんの? リンスとか使わないくせに。艶々してるし。……ちょっと触ってみようかな。いいよね別に。挨拶返してこない兄さんが悪い。


 突然鳴ったインターホンにビクリと肩が跳ねる。別に変な事してたわけじゃないけど、なんか焦った。


 ピザの宅配だった。くそー、早く帰れ。クーポンなんか要らないし。自分で作れる。


 二人で食事することになったのに、結局ケンカになってしまった。もう兄妹ってそういう運命にあるんじゃないかな?


 次の日。


 あたしの部屋にあたしの下着を被るあたしの兄がいた。


 よく覚えていないけど、動かなくなったソレを、あたしは消えてなくなるまで叩き続けたかった。離して母さん。そいつ殺せない。


 その日の夜。


 リビングに集まった怪我人を覗く家族に、あたしは言い放った。


「甘過ぎる! もう我慢できない! 殺す! じゃなくて……叩き出してもいいと思う!」


 あたしの言葉に母さんが頬に手を当てながら反論する。


「お兄ちゃんも年頃なのよー。新しい下着買って上げるから、許してあげてー」


「そうじゃない! いやそれもだけど?! あれは許すとかの次元にないから!」


 更正したら叩き殺す方向で手を打とうと思うの。


 父さんがお茶を飲みながら参加してくる。


「うーん、一体何が問題なんだ?」


 何がって?! 信じらんない!


「全部よ全部!」


 逆になんでそんなに心配しないのか不思議なんだけど!


 うちの父さんも母さんも見た目からしてのんびりしている。


 母さんは長い髪を三つ編みにして垂らす、今年三十三歳のおっとりとした美人で、父さんはイケメンじゃないが眼鏡を掛けた優しそうな四十二歳だ。


 見た目もそうだけど、中身も緩い。


「このままじゃ、兄さん一生部屋から出てこないよ! ニートで不健康で職につかずに病気の無職になっちゃうよ!」


「あらー、おんなじ事言ってるわよー?」


「なんでもいいのよ! マズイって理解してくれれば!」


 今日の行動を見るに手遅れだけど!


「うーん、そうか。病気はマズイなあ」


「そうねー。病気にはならないで欲しいわねー」


 もう病気だよ!


「ともかく! 兄さんにだって将来があるから! このまま中退……はもう仕方ないとしても、大検だって受けられるし、就職だってしても可笑しくないんだから!」


 上手いこと誘導できた意見に、内心でガッツポーズを取りながらバシリとテーブルに手をついて立ち上がる。


 のんびりとした夫婦だが、こと健康を上げられると弱いのは分かっている。看病とかされると、風邪を引いたこちらが心配になるほどオタオタするもんね。


 今のうちに自分の意見を決定項のように告げる。


「カウンセラーを呼びます! 兄さんには更正してもらうから!」


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