続、乙女ゲームの世界に転生しましたが平和が一番です!

鴎 みい

第1話

トントンッ。

 静寂の世界に響き渡る紙を揃える音。

普段から静寂なこの場所はそれ以外の、人の息遣いやちょっとした音が聞こえるけれど今日に限ってはそれも殆どない。

 何せ現在、図書室には私を含めて三人しかいないからだ。


「ふぅっ……」


 一つ息を吐きつつ、右肩をぐるぐると回し、首を左右に傾げる。

ゴキゴキッて音が聞こえた気がするけど、それは仕方ない。

流石に同じ姿勢で只管のタイピングは、少々肩にくるものがあるし。

 年寄りくさい動作かもしれないけれど、こうやってたまに動かさないと血流が悪くなって肩が凝り固まってしまいそうだから、その予防の為だと内心で誰にともなく言い訳をする。

 そんな私の動作を見てか、クスリと笑い声を一つ耳が拾った。


「あらあら春宮はるみやさん。若い娘さんがそんな動作をしちゃうなんて。そこまで根を詰めなくてもいいのよ?」


 司書の成邑なりむら先生が微笑みながらもこちらを労わる視線を寄越した。


「そうなんですけれど、出来れば今日中に仕上げたいじゃないですか」


 よし、もう一頑張り!と、気合を籠め直してディスプレイと向き合おうとしたところで声がかかる。


「ごめんね。僕の力が足りないばかりに、春宮さんには無理をさせてしまっているよね……」


 沈んだ声に視線を向ければ、声よりも尚更暗い表情の久我くが先輩。

 先輩に非があるわけではないのに、私しか居ない現実が自分を責めたてる事に拍車をかけてしまっているのだろう。

必然と一人の仕事量も多くなって負担を与えてしまっていると分かっているから、それが更に追い打ちをかけているんだろうなぁ。

 先輩、責任感強いから。しかも図書委員長だから余計に感じてしまっているんだろうね。


「先輩が謝る必要はないですよ。みなさん都合がつかなかっただけですし、第一お昼休みに私達が先輩を引き留めてしまったようなものですから」


 ──そう、お昼休み。


 先輩が私を探していたのは今日の放課後、卒業生から寄贈された本の整理とリスト化の為に図書委員の人に残って仕事をしてもらう為の連絡だった。

 本来そういう連絡は個々ではなく、委員の中で回して連絡しあう筈なんだけど急遽という事と、相手によっては断りづらい人もいるかもしれないと思って先輩本人が各クラスの図書委員へと連絡に回っていたらしい。

 さすがは久我先輩とでも言うべきか。こんな配慮が出来る高校生見たことないよ。

だから役員決めでの図書委員の倍率高かったんだね。

久我先輩がイケメンだから女子からの人気は当たり前だけど、自分の都合を優先してくれる委員長なんて中々いないから男子からも人気が出ていて、上級生の図書委員争奪戦は凄かったの一言に尽きたそうです。

 同じ委員の先輩が疲れ切った表情で教えてくれました。

普段はそこまでの人気はない委員なのよと、成邑先生が苦笑と共に付け加えてくれた一言がやけに印象深かったなぁ。

それ程までに久我先輩効果は凄いという事か……。

 因みに、新入生だった私達はそんな事は知らないからすんなりと委員が決まりました。──後から知ってショック受けていた子は沢山いたけれど。

 この世界が自分が前世でやっていた乙女ゲームの世界と同じだと知っている私は、図書委員に久我先輩がいる事が分かっていたから図書委員を選んだ──わけではなく、純粋に本が好きだから。

ただ、その理由で図書委員になりました。

 図書委員って楽そうに見えるけど、地味に肉体労働とか仕事が多いんだよね。

今回のもそうだし。だから本好きじゃないと苦痛に感じると思うんだ。

まぁ、本好きでも苦痛に感じる事はあるけれどね。

──っと、話が逸れてしまったけれど、お昼休みの愛瑠あいるちゃんとのあのやり取りがなければみんなへの通達が早くなって、もう少し人員は確保出来た筈なのよね。

だから、非があるとしたら私達──というより、愛瑠ちゃんなんだけど愛瑠ちゃんは図書委員ではないので私が頑張ってやるしかないのです。


「そんな事ないよ。もう少し僕に人望があれば、他にも手伝ってくれる人はいたと思うんだ」


 なんなんですかね、そのマイナス思考は。

思いっきりため息を吐きたい。勿論、吐くわけにはいかないので我慢しますけど。

 先輩はこの学園のプリンスと言われている人ですよ? 女子の人気は言うまでもなく、男子からも概ね好意的に見られている人なんですよ?

そんな人が人望ないとか言っても説得力は皆無だと思います。それどころか逆に反感買うかもしれません。

 第一、自分の都合を優先してくれるのにわざわざ嘘をついてまで休む意味はないですから、ずる休みというか用事もなく断っている人はいないと思います。

それ程委員全員の人となりを知っているわけではないけれど、少なくともそんな姑息な嘘をつく人はいませんよ。

 なんて先輩に言ったって納得はしてくれないと分かってます。だから……。


「久我先輩。今ここには私達しかいないんですから、気にせずにお仕事しましょう! ねっ!」

「そうよ、久我君。春宮さんの言う通り。出来るところまででいいから、やりましょう」

「そう、ですね。今は仕事を片付けるのが先ですね」


 成邑先生のフォローもあってか、久我先輩はゆるゆると笑った。


──あれから四時間。帰宅を促す校内放送が鳴り始めた頃、私達は作業を止めた。


「うー……」


 肩と背中がバキバキ言っている感じがする。先輩をこれ以上落ち込ませないようにと、ちょっと頑張りすぎたかも。

今日が金曜日で助かった!

 明日は一日何の予定も入っていないし、部屋でゴロゴロと寝て過ごすとしよう。身体の休養の為に!

宿題は……。

さすがにこれ以上の目の酷使は避けたいから日曜日に纏めてすればいいや。


「久我君も春宮さんも遅くまでありがとうね。まさか半分以上終わるとは思わなかったわ。

 ここまで進んだのも二人のお蔭ね。本当にありがとう」


 いえいえ、私は只管タイピングしていただけですから。一番貢献していたのは久我先輩だと思いますよ。と、続けようと思ったけれどそれは出来なかった。


「いえ、これも図書委員の務めですから。それに春宮さんのタイピングが早かったから僕の仕事もはかどりましたし。

 さぁ、そろそろ帰る準備をしましょう。もうすぐ学校が閉まってしまいますよ?」

「そうだったわね! こんなに遅くまで頑張ってもらって本当にごめんなさいね。

 そうだわ! ちょっと待っててね」


 成邑先生は良い事を思いついたと言わんばかりの表情で司書室へと行くと、すぐに何かを持って出て来て「はい」と笑顔で私達に差し出してきた。

 その手の中にあったのは白い洋風の封筒ひとつだけ。

 何だろう。中身が何かは分からないけれど、受け取らない方がいい気がする。


「あの、成邑先生」

「あっ! 別に変なものじゃないのよ?

 遅くまで手伝ってくれた私の感謝の気持ちなの。受け取って貰えないかしら?」


 成邑先生は私の態度に何かを感じたのか、強引にその封筒を久我先輩へと渡すとそのまま私達を図書室から追い出した。


──ピシャンッ!と、音が聞こえそうな程強く目の前で閉められた扉。茫然とその扉を見る私達。

 ちょっと強引すぎやしませんか。成邑先生……。

内心でため息を一つだけ吐くと、気持ちを切り替る。

未だに嫌な予感は消え去らなかったから、あの封筒の中身が原因なのはきっと間違いない。だから……。


「久我先輩」

「どうやら封筒の中身はペアの映画の鑑賞券みたいだね」


 このまま立ち去ろうと声をかけたのに、被せ気味に中身を言って遮られるとは思わなかった。

それでも私は諦めないよ、うん。


「そうなんですか。それでは……」

「あっ! 有効期限が来週までだ。何時行こうか、春宮さん」


 ……。

久我先輩ってこんな人だったっけ?

いや、きっと私の言い方が悪かったに違いない。うん、そうだ。そうに違いない。


「私の事は気にせずに、そのチケットは久我先輩がお使いください」

「どうして?」


 そのチケットに関わらない方が良いと私の勘が告げているから……。いや、違う。

チケットをきっかけとしてこれ以上久我先輩に深く関わらない方が良いと言っている気がする。

でも何でだろう。

 久我先輩は何か問題がある人ではない。

学園のプリンス呼ばれる人で、乙女ゲーの攻略キャラでもある人だ。そんな人が危険な人物であるはずがない。

ならばなんで……?

 あっ!

こ、これはもしかして噂に聞く世界の強制力というもの!?

成程成程。この警鐘はチケットを受け取るなという事の世界の強制力なわけですね、うん。

このチケットを使って久我先輩が遠野さんを誘うのだから、モブの私は大人しく辞退しろという事なのですね!

そんな警鐘鳴らさなくても、元から受け取るつもりはなかったのに。

きっと、念の為という事ですね。それでは今からきちんと断る事にします。


「久我先輩。あの……」

「聡明な春宮さんなら分かってくれるとは思うけど、このチケットは成邑先生が遅くまで仕事をしていた僕達への感謝とお詫びの気持ちを籠めて渡してくれたモノなんだ。

 単に『映画のチケット』という事ではなく、そこには成邑先生の気持ちが籠められている、この世に二つと無いモノなんだよ」


 そう、ですよね。それは分かっています。分かっていますけど……。

視線と無言の圧力が怖いです。でも負けるわけには……。


「ハイソウデスネ。来週ハ予定ガアリマスノデ、明日カ明後日ナラ大丈夫デス……」

「良かった」


 その言葉と同時に浮かべれた笑みに、何故か背筋がヒヤッとしたのは気のせいだったと思いたい。

凄く綺麗な笑みなのに感じるのは恐怖とか。きっと私疲れているんだ。


「では、日曜日でどうかな? 今日は疲れているだろうから、明日はゆっくり休んだ方がいいと思うしね」


 まぁ、確かに。

疲れている大半の原因は久我先輩の所為だけれど、さすがにそれを言う勇気はない。


「分かりました。待ち合わせの場所や時間はどうしますか?」

「そうだね……。さすがに今日はこれ以上春宮さんを引き留めておくと、ご家族の方も心配するだろうし。

 お家に帰ってからメールか電話で決めようか」

「あっ。そうですね」


 そういえばかなり遅い時間だった事を忘れていた。

事前連絡はいれたものの、さすがにこれ以上遅くなると心配をかけてしまうだろうし。

あまりにも今の状況が受け入れ辛くて、時間の事をすっかり忘れていた……。


「そ、それでは久我先輩お先に失礼いたしますっ!」


 そう言って慌てて走り出そうとした私を、「ちょっと待って」と久我先輩が引き留めてきた。

この後に及んでまだ何かあるというのですか!?


「急いでるのにごめんね。はい、これ」


 その言葉と同時に手渡されたのは、二つ折りにされた小さなメモ用紙。

この場で見て欲しそうな雰囲気だったので、よく分からないままメモ用紙を開ける。


「えっと、これは……」


 そこに書かれていたのは、携帯番号とメールアドレスだった。

でも、委員で連絡する事もあるだろうからと、春先にお互いの番号とメールアドレスは交換している筈なのに。

番号もしくはメールアドレスを変更したのだろうか?

困惑している私の様子に気が付いたらしく、補足をしてくれた。


「ああ、ごめんね。それはプライベート用のなんだ。だから、日曜日の打ち合わせはそっちでするから登録をお願いするね」


 高校生でプライベート用と使い分けるとは。さすがイケメン、その他大勢の私とは違うなぁ。

そんな事を思いながら、再度別れの挨拶を告げて帰宅をした。

 案の定、予定の時間よりかなり遅くなっていたので両親には心配され、何故か弟には怒られてしまった。

理由を説明するわけにもいかないし、それを説明するとまた何か問題が発生しそうだったので言い訳を一切せずに素直にお話を聞いておく。

心配をかけさせてしまったのは事実だから。

それに、家族の反対を押し切ってこの学校を選んだのは私なので、あまり心配もかけたくない。

そんな思いから素直に話は聞いているけれど、思考は別のところへと行っている。

考えるのは言うまでもなく、久我先輩の事。

 ああ、日曜日が憂鬱だなぁ……。 

思わず零れ出そうなため息を何とか押しとどめて、家族からのもうお腹いっぱいだと思ってしまう程のお話という名のお説教をゲームにはこんなイベントなかったよね……。と、思いながら延々と聞き続けた。


「姉さん、ちゃんと分かって聞いてるよね、勿論」

「え、あっ、はいっ!」


 なんか弟が怖いんですけど、これも世界の強制力ってわけじゃないよね?


「姉さん?」

「はいっー!」


 ああ、これも久我先輩に関わったから……?

やっぱり攻略対象者に関わるとろくな事がないと痛感しました。

ああ、早く私に平和が訪れますようにっ!


「姉さんっ!」

「ごめんなさいっー!」

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