ボクとキミとキミの本棚
加藤那由多
第1話
「お邪魔します」
キミが亡くなってから二ヶ月。ボクは初めてキミのいないキミの家を訪れた。
「いらっしゃい
出迎えてくれたお母さんは、キミが亡くなった時に比べて元気を取り戻したように見える。よかった。
案内されたのはキミの部屋。音を立てないように、静かに扉を開く。何度も入った部屋なのに、ボクは驚きを隠せなかった。
「何も変わってないですね」
「でしょう。部屋はそのままにしておこうって決めたの。だってあの子、本を大切にする子だったから、触ったりしたら怒りそうだし」
とお母さんは笑った。
確かに。キミは本には厳しかったよね。でも、キミには貸してくれた。キミが勧めてくれた本、どれも面白かったよ。
「それにしても、きれいですね。ちゃんと掃除されてる」
「でしょう。
ボクは部屋を囲うように配置してある本棚の一つに近づく。漫画、ライトノベル、純文学。いろんな本がきれいに並んでる。初めて見た時も驚いたけど、やっぱりすごいや。一体ここには何冊の本があるんだい?
ボクがそうしているとお母さんが言った。
「見てていいよ。お父さん呼んでくるから」
「はい。分りました」
キミのお父さんか。真面目そうな人だよね。怒られるかもしれないな、でもそれでいいよ。甘んじて受け止める。だって不登校って、世間的には悪いことだもんね。
「
そうだ。原良一。ボクの名前だ。両親は共働きで兄弟もいない。名前を呼ばれる機会が減ったから、忘れそうになる。
それで、キミの名前は
「はい。お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「良一君も元気そうだ。ところで、もう光希に線香あげたのかい?」
「いいえ、まだです」
「なら、やってくるといい。母さん」
お父さんに呼ばれて、お母さんが立ち上がる。そっと手招きして、部屋を出た。ボクもそれに続く。
仏壇はそれなりに立派なものが用意されていた。キミにはもったいないくらいだね。…ごめん。ちょっとだけ失礼だった。
それにしても、この写真はいいね。とってもいい笑顔。やっぱりキミは笑顔が似合う。
ボクは香炉に線香を刺す。リンを三度鳴らす。キミに届いただろうか。
「じゃあ、戻ろっか」
「そうですね」
きっと、ここからが本題なんだろう。大丈夫、キミは見守ってて。悪いのはボクだから。
ボクがキミの部屋に戻ると、お父さんは微笑んで訊いてきた。
「俺が言うようなことじゃないと思うんだけど、良一君のお母さんから聞いてさ。学校に行ってないんだって?」
でも大丈夫。ボクは言うよ。
「はい。実は、ここ二ヶ月間学校に行っていないんです」
「不登校か。良一君はそれでいいと思ってるのかい?」
「い、いいえ。でも、行けないんです」
この話題をするとみんな同じ反応をする。なんで行かないのか訊いて、駄目だと怒り、冷静になって諭す。テンプレだ。嫌気が差す。
「どうしてか、話してくれるかい?」
「昔のボクにとって学校は、特に楽しいことがなくても行くのが当たり前の場所でした。でも、光希が転校してきて、学校が楽しくなりました。でも、二ヶ月前に光希が亡くなってから、急に学校がつまらなく感じてきて、前は楽しくなくても通えていたのに、一度頼ったものがなくなってしまって、学校に行く気がなくなりました」
「そうか。それで今はどうしてるんだい?」
うん。全部正直に答えるよ。
「今は、家で一人で勉強をしてます」
お父さんは少し考えるような素振りを見せてから言った。
「そうか、ならいいじゃないか。学校に行かなくても、きちんと勉強をしていれば」
ボクは驚いたよ。だって、こんなことを言ったのは初めてだったんだから。やっぱり、キミのお父さんだね。キミによく似ている。ん? キミが、お父さんに似ているのか。難しいな…
それはともかく、ボクは確信したよ。キミのお父さんなら、ボクを助けてくれる気がする。
だから、ボクの本当のお願いを言ってみることにするよ。
「あの、お父さん。お願いがあります。ボクに、光希の本を貸してくれませんか? ちゃんと勉強もします、でもその合間にここに来て彼の本を読ませてください。生前、彼はボクにたくさんの本を貸してくれました。また彼の本を読めば、彼がそばにいてくれるような気がするんです。彼がそばにいてくれるなら、また学校に行けると思うから。お願いします」
ボクはお父さんに頭を下げる。心の底からお願いをする。だって、キミじゃないとボクを救えない。
「顔をあげなさい。母さん、いいよね」
「うん。光希も本も、良一君に読まれた方が嬉しいでしょうしね」
「あ、ありがとうございます!」
キミの部屋には、数え切れないほどの本がある。それは、キミが亡くなった後も変わらない。
キミが遺したその本は、ボクが読むよ。キミを知って、また学校に行くために。
さてと、本を読んでいる間に思い出話でもしようか。
毎日学校に行くのが憂鬱だった。
そんな中、キミが転校してきた。
二人とも読書が趣味だったから、キミとボクはすぐに友達になった。
それからは、いつものように一緒にいたね。
そして、二ヶ月前だ。
ボクとキミは駅前の本屋に行った。
ボクとキミは一冊づつ本を買った。
そして、帰り道。
ボク達はお互いに買った本を見せ合っていた。それで、ボクがキミに言ったんだ。
「その本面白いの? 十五巻か。結構進んでるね」
「うん。読んでみるといいよ。一から十四まで家にあるから今度貸すよ。絶対に気に入ると思う」
「キミがそんなに言うなら間違いないな。楽しみにしてるよ」
「ああ、じゃあ明日にでも来て」
「分かった。じゃあ、また明日ね」
ボクが言った。
「うん」
キミも返した。
別れてすぐのことだった。
大きな衝撃音の後に、女性の叫び声が聞こえた。
振り向くと、交差点は倒れた車でごった返していた。
既に多く集まった野次馬達の真ん中に、血溜まりの上に浮かぶキミの姿があった。
キミが買ったばかりの本は、キミの血を吸い赤黒く変色していた。
誰かが何かを叫んでいるが、何も耳には入らず、無慈悲に広がるキミの血を眺めていた。
暴走したトラックがキミを潰したのだと気づくのに時間が必要だった。
キミが死んだと認めるのには、もっと時間が必要だった。
翌日は一歩も外には出なかった。
そして、事故から半年が経った。
ボクはキミの本を全部読み終わった。
もちろんあの本も。ああ、そういえば知ってる? あのシリーズ完結したんだよ。キミにも読ませたかったな。
キミのお母さんに読み終わったことを報告して、改めてお礼をした。それで、家に帰る。もう本は読み終わったけど、また遊びに来るよ。
「ただいま」
母さんはキッチンで夕飯を作ってるのだろう。
案の定そこに母さんがいた。
言うんだ。言わなくちゃ。でも、言ったら変えられない。
ねぇ光希。頼りすぎかもしれないけど、臆病なボクに力を貸して。
「あのさ、明日、学校行ってみようと思う」
母さんは驚いた表情を見せたが、頷いて学校に行く準備を手伝ってくれた。
廊下って、こんな感じだったっけ? もうほとんど忘れてるな。時間って怖い。でも大丈夫だよ。ボクにはキミがついてるんだもん。ボクは一人じゃない。ボクはキミの軌跡を知ってる。少なくとも、ボクの中にキミはちゃんといる。
キミのいない学校には行きたくない。
でも、これからはボクの行く場所がキミの行く場所だ。
だから、ボクはどこへでも行ける。
ボクはキミと、教室の扉に手をかけると勢いよく開いた。
ボクとキミとキミの本棚 加藤那由多 @Tanakayuuto
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