5 ラリー・フィッツジェラルド

——オーストラリア、メルボルン郊外。ラリー・フィッツジェラルドのオフィス。


「やあ、ラリー。このところしょんぼりしている感じだけど、どうしたんだい」支援AIのフリクサスが話しかけてくる。〈こいつの性格だけは少し調整しないと〉と、ラリー・フィッツジェラルドは常々思っているのだが、《ボンク》に届く仕事の依頼が、このところ立て続けなのと、例のプロジェクト中断の一件が後を引いているのとで、そんな気もおきない。

 フリクサスもそのあたりのことを理解していて邪魔にならない程度に機嫌とりをしている。

〈そろそろ次の仕事にかからないとな〉と彼は、心のなかで思う。


   *


「あ、そうだ。《ボンク》に、なんかメッセージが届いてたよ。いやいやそんなのは日常茶飯事なんだけどね。だいたいのくだらないメッセージは君の邪魔にならないように優秀な僕が適当に処理しているわけなんだけどさ。このメッセージは、本人に確認してもらうしかないなってね。あの一件から、君への仕事のオファーはいつもの五倍くらいに膨れ上がっているんだぜ。世界は、ドリームチームの噂で持ちきりさ。公式にはそんなチームが存在したことなんて誰も知らないし、なによりなんにもまともな成果を挙げていないのにね、って。アッハハハハハッ、おっとこれはひとこと多かったかもしれないぜ。参ったな〜。しっかし、どこから噂が立ったんだろうね。世界は不思議なことばっかりだよ。そういえば……」

 延々と続きそうなフリクサスの言葉を聞いていて、なにかが引っかかった。

 ラリーも、例のポゴリン共和国仮想化プロジェクトはフィサリス博士が用意した量子コンピュータから漏れたと思っている。あれから一週間、シーオ223やリカコ、そしてフィサリス自身となんども個別にセッションを持った。核心を突くような質問は避けながら、相手の記憶の奥底にあるひっかかりを探そうと試みたのだ。そこは、何万例ものインプラント移植の臨床で培ってきた問診の技術が役に立っている。


   *


 彼自身は、今回の流出事件には怒りを覚えている。

 六時間にも及んだ共同作業は、彼にとってもずいぶん特別な体験だった。

 フィサリスが用意した最高のハードウェアと仮想空間設計に、自分の中で最高の仮想化デバイス、そしてリカコというひとりの天才が奏でた未到のユーザインタフェイスという主旋律。それらが、シーオ223という伝説の支援AIの論理サポートを通奏低音の上に、完璧に近い形でまとめあげられていく体験。プロジェクトメンバー全員が、一糸乱れずにダンスを踊っているみたいなような時間だった。

 ラリーは、残されたログを何度も再生しては、自分自身が、その作業の主要な仕事をしていたということに対する喜びを繰り返し味わった。

 その素晴らしい共同作業の成果が、無に帰したのだ。

 そうだ。今回のプロジェクトは、世界中の誰も知らないはずだった。

 誰が、どういう理由でわれわれのチームのことを漏らしているのか。

 リカコのアイディアを取り込んで設計することができた全人格スキャンシステムは、なんとかチャゾ社の特許申請を逃れることができた。汎用化した仕様データを作成し国際特許を申請しようという話もリカコとの間で進んだ。特許という制度に何度も煮湯を飲まされているラリーにとって、それはまたとない好事だった。その手続きもフリクサスによって無事終了していた。

 これで、アップローディングの新しい事実上のスタンダードに関するパテントは、ラリーとリカコの共同事業として独占できることになる。

〈こんなもんか〉とラリーは思った。

 こんなもんか、上等だ。

 脳インプラント移植の第一人者として数十年トップを走り続けてきた。いままでは、自分が開発してきた技術のすべてをオープンにしてきた。そのせいで痛い目にあったことも多数ある。自分が発明した技術を盗まれるなんてことは何度も経験済みだった。

 そもそも今回、このプロジェクトの依頼がラリーのところに来たことに、彼自身はずっと懐疑的だった。XTCは、ドリームチームだといっていたが、ラリーは自分にはそんな実力があると考えていない。少なくともビジネスにおいては。〈あくまでも研究者〉そうラリーは自己規定している。最先端の技術を作ることはできても、それをプロジェクトという共同作業の形に残すことは不得意だった。それは自分自身が一番わかっている。


   *


「おいおいラリーどうしちゃったんだい。そういう風に佇んじゃうのは、オッサンの悪い癖だぜ。まずさっさとメッセージを処理しちゃおうぜ」

 メッセージか。

 ラリー・フィッツジェラルドは、フリクサスがピックアップしてくれていた《ボンク》の新メッセージをワークスペースに展開した。

 相手は全く見覚えのない誰か。

 それ自体は、さして気にすることではない。よくあることだ。《ボンク》の評価は、例のプロジェクトのあと「SSS+++」という最上級にまで急上昇した。仕事に対する評価は同業者のトップ5に入っている。ラリーのプロフィールは全世界に公開されているし、彼の実績やレアリティに魅力を感じ仕事の相談をしたいなら、誰もがメッセージを送ることができる。


   *


 もっとも優先度が高いとフリクサスが判断したメッセージを開封すると、ワークスペース男のアバターが展開する。

 男は、古いドイツ語で語り始める。

「ラリー博士。私たちにはあなたが必要だ」

自動翻訳プラグイン経由で展開された音声は、確かにそういった。

 またか……。もううんざりだ。

 自分が必要だと?

 ラリー・フィッツジェラルドは、フリクサスがキッチンシステムに命令して淹れた苦いコーヒーを一気に飲み干した。

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