4 ワイダニット(whydunit)
リカコは休暇をとった。
プロジェクトがああいう形で中断されたことは、悔しさと後悔の念を少なからず彼女の心に刻んだ。
休暇初日は、ほとんどベッドに横になって過ごした。
世界最高レベルの共同作業を長時間続けた体験。
そのひとつひとつのシーンがフラッシュバックのように彼女の瞼の裏に浮かんでは消える状態が長らく続いた。
夕方、涼しくなった頃、リカコはマンションの周辺を散歩した。
百年前は大きな団地だったという敷地は、半ば廃墟化した建物を一部だけ記念碑然として残し、ナノバイオボットが管理する人工緑化システムによる広大な公園になっている。
その奥には関東地域最大といわれる巨大食糧工場が立ち並び、ピカピカに磨かれた銀色の輸送用ドローンが、夏の日差しをキラキラと反射しながら幾百も飛び立ち、巨大な入道雲が昇る真っ青に抜けた空を飛び交っている。音も立てず、それらは三百六十度さまざまな方向に消えていく。
工場は無人で、並列意思決定機構を持つ複数の制御AIが管理する多数のロボットによって運用されている。品種改良のための遺伝子管理や配合支援を行うナノロボットから、コンテナを運ぶロジスティック用の巨大なものまでさまざまだ。AIは日々の生産プログラムと生産結果とを分析し、修正し、学び直して最適解を探求し続ける。彼らは休むことを知らず手を抜くということを知らない。リアルタイムでフィードバックされる市場の微細な変化に対し対応策を計算し、プログラムを書き換え、全てのロボットの動きを変え生産ラインを調整する。
無駄のない偉大なる調和。
こんな工場が、実世界の生活を支えているのだ。
生身の人間がこれだけの工場に従事しようとしたら、数千人の労働者が必要になるだろう。
AIとロボットが働き、人は古代ギリシャの市民のように娯楽と知的探求と恋愛や家族やコミュニティなどの人間関係に没頭して生きている。
公園には、そうした暮らしを楽しんで生きている人たちが、夕暮れのひとときをゆったりと過ごしている。この人たちは、自分たちの意思で実世界で生きることを選択しているのだ。暑い夏のその風の気持ちよさ、蝉の声、子どもたちの声。何もかもが壊れやすく移ろいいつかは消えるはかないものだが、素晴らしい「現実」でできている世界。
*
気がつくと、プロジェクトの中断から三日が経っていた。
部屋に帰ると、リカコは今回のプロジェクトの全作業ログをワークスペースに展開しローザにスキャンさせた。これで何度目になるか。もちろん何度スキャンしてもクラッキングを受けた形跡はどこにも見つからなかった。
なら、どうして開発中のデータが漏れたの?
ポゴリン共和国の全国民仮想化案件は、チャゾコンサルティングが受託した。
公開された仕様はリカコたちのチームが開発したものそのものだった。
〈新時代のアップローディングプラットフォーム〉として世界中のグリッドメディアから賞賛され、ケヴィンズインベストバンクのAI開発で一躍有名人になったリカコの話は、急速に忘れ去られつつあった。
リカコたちのチームが存在していたことも、世界は知らない。
チャゾ社は、今後も国家単位の仮想化を推進していくと発表した。
*
「まったく、盗人たけだけしいとはこのことですね。まあ、いまの私にとってはあんな技術は過去のものでしかないんですけどね」
「あらあら、落ち込んでるかと思いましたら、心強いですね。リカコ」
「あたりまえじゃない。一応、策はあるんだから」
「策?」
「そう、今回の話は、プロジェクトの共同作業中に起きた。データは常時アップデートされメンバー全員が最新のものを参照することができてた。侵入の形跡はない。とすると」
「とすると?」
「メンバーの誰かが、開発中のデータをリアルタイムで流出させたってことになるじゃない」
「まあ、そうですけど」
「問題は、フーダニット、誰がそれをしたかよね。作業ログは何度もスキャンして解析してみた」
「そうですね。でも流出の形跡はなかった」
「そこなのよね、どんなに巧くやったとしても、あれだけのボリュームのデータを盗んだら、必ず、その形跡は残るはずなのよね。ローザ、あなたがスキャンしてそれが見つけられないはずないのよ」
「はあ、それもそうですね」
「とりあえず、犯人に会ってくるわ。ローザ、メッセージをお願い」
「へっ? 犯人って誰かわかってるんですか?」
「そうね、だいたいね」
*
三分後、素数階段、座標6287にあるバーチャル会議室。
「お忙しいのに、お呼びだてしちゃってごめんなさ〜い」
「また、お会いできるとは光栄です。先日のAIデザインの独創的な発想、手際の良さ、丁寧さ、感動でしたよ。リカコ・スミタニ博士」
「時間がもったいないでしょうから、さっそく本題に入りますね。私たちが作っていたプロトタイプのデータ、チャゾ社に流したのはフィサリス・コトウ博士。あなたですよね〜?」
「ふぉおっ。なんの話かと思ったら、それかぁ……」
「はい、それなんですよね〜」
「うーん……。あのときの作業の様子は、君もずっとみていただろ。XTCがいったように私たちはドリームチームだった。スピーディで正確そして独創的。ホントに、あのチームは素晴らしかった。でも、あの状況で、誰かがデータを流出させるなんて不可能だろ」
「そうなんですよね〜。おっしゃる通り。ラリー博士も私も、シーオ223がプロットしたタスクリストを次々に処理するのに集中してて、あ、フィサリス博士、あなたとライラック社のメンバーもね。だからデータをコピーして流出させるなんてことは、ほとんど不可能なんですよね〜」
「そうなんだよ。作業ログは《ボンク》にすべて残っているし、そのデータは君もスキャンしたんだろ? うちが用意した開発用量子サーバもワールドワイドグリッドから隔絶してたし、外に漏らすための『ドア』がない」
「確かに、サーバは《ボンク》の隔絶領域に接続されていただけで、外に繋がっていませんでしたから。全員が、お互いにログを監視しながら仕事をしていたようなものですものね。ライラック社のメンバーの仕事は素晴らしかった。あれだけの規模の仮想都市をあの速さで構築できるエンジニアは他にみたことないわ。XTCがいってたようにドリームチームだったのよ。私たち」
「だからこそ、あれだけ素晴らしいプロトタイプが完成した」
「もう、盗人のものになっちゃいましたけどね。成果もシステムも」
「名誉もだ。あのプロジェクトを実際に作ったチームが、実は私たちなんだってことを、世界中の誰も知らない」
「……でも、ライラック社はビジネス的には大きな恩恵を受けましたね」
「ああ、サーバの件? 確かにチャゾコンサルティングの量子サーバは、ほぼライラック製だからね。今回も大規模な量子サーバを提供したよ。でも、それはまったく別のチームに任せてあることだからな。私は関与してないよ」
「ええ、ライラック社のエンジニアの人たちのIDも調らべさせてもらったんですよ〜。今回の開発に関わったのは二名の若手。それぞれハンナムインスツルメンツ社製の最新型インプラントを装備。標準的な支援AI搭載。タスクの処理スピードが恐ろしく速い。彼らのログも調べてみたけど、三日前のあの共同作業の時間帯もそれ以降も、大規模なデータをいじった形跡はゼロなんですよね」
「ウチの人間のデバイスのスペックから作業ログまで調べられているとは……。お嬢さんもなかなかの腕をお持ちですな。でもそれで、今回のプロトタイプ流出は、私の会社の犯行ではないと証明されたわけだよな」
「ええ、まあ、表面上はそうなんですけど……」
「いや、無理でしょ。リカコ博士はその調子で、ラリー博士のログも調べたと思う、私も調べたからね。それとシーオ223、彼女はAIだからすべての行動がデジタル信号として解析可能だ。それでも何も出なかった。私たちは、もちろん君のログもすべて調べた。やはり何も怪しいところはなかった」
「そうなんですよね……」
「だったら、いいじゃないか、犯人探しなんてそんなくだらないことしなくても。また一緒に新しい仕事をすればいい。《ボンク》の君のIDには、今回のメンバーからの評価も含めてたくさんの最高の評価が届いているはずだから。いくらでもチャンスはあるよ」
*
五秒程度の時間が過ぎる。
リカコは、大きく息を吸うと、ニコリと微笑みながら、喋り始めた。
「エメラルドグリーン」
「何が?」
「あなたの人格の色彩。私、人の人格を色彩として認知できるんです」
「共感覚?」
「そうです。あなたはエメラルドグリーン。顕著な二重性を持っていて、他人に対する不信感を拭えないタイプ。騙されることが大嫌いで、そういう動きには人一倍敏感。それらを隠すために陽気でフランクな表層をまとっている」
「それじゃあ、私が、見栄っ張りの大ウソつきみたいだな。不快な話だ」
「それは失礼しました。仕方ないですよ、わかっちゃうんですから」
「その共感覚が、君の『超多様人格AI』の秘密というわけか」
「まあ、そんなところです。だからアレは私にしかデザインできないんです」
「ところで博士。今回、ご用意いただいた量子コンピュータはどうやってセッティングしたのですか?」
フィサリスの表情が一瞬固くなる。それをリカコは見逃さない。
「確か、私たちメンバーが集まってオリエンテーションが終わってすぐ、あのサーバが提供されたと記憶していますが」
「その通りだが。ポゴリン共和国の全国民仮想化というプロジェクト内容と、要求されている要件に従って、できるだけ早く用意できるベストなハードを用意したまでだが……。それが、どうかしたか?」
「サーバは二台あったんですよね?」
「面白いことをいうね。お嬢さん。なんのために?」
「もう一台は、チャゾコンサルティング社の研究開発チームにあった」
「だから、何がいいたいんだ?」フィサリスは微妙に語気を高めている。
「私が考えているのは、私たちが作業していた量子サーバは、別のもうひとつの量子サーバとエンタングルメントの状態にあったんじゃないかってことなんです」
フィサリスが、しばし言葉につまるのを見て、リカコは続けた。
「『量子もつれ』の状態になっている粒子で成り立っている二台の量子コンピュータが存在したとすると、一方の量子コンピュータに加えられた改変、つまり具体的な作業工程のすべてです、は、同時にもう一方の量子コンピュータにも現れるはずですよね。仕上がったプロトタイプのデータを抜き出すまでもなく、『量子もつれ』の状態にある粒子ひとつひとつの変化が一瞬にして伝わり、事実上コピーされてしまう。『量子テレポーテーション』によって」
「うーむ。理屈としては可能だろうけど、量子コンピュータ自体が『量子もつれ』を応用しているわけだから、サーバ全体を、エンタングルメントの状態に置くという技術はありえないと思うのだが」
「ですよね。最初は、私もそう思ったんですよ。でも、こちらのデータを見てくださいっ」
リカコはローザに計算させた量子レベルでの解析結果を二人の共有ワークスペースに投げた。
作業が始まってから終わるまでの量子サーバの量子ビットひとつひとつのスピンの状態を逐次的に拾い可視化したデータだった。
「こんなデータを、よく作成できたもんだな」フィサリス博士の表情は驚きを隠し得ない。
「CALTECH時代のカレシが、量子テレポーテーション専門の超弩級の天才だったんですよ。しかもめちゃくちゃイケメンだったんです〜。あ、とっとと別れちゃったんですけどね。今回のことがあって、さすがに量子コンピュータのハードは私にもわからないので、いろいろ知恵を貸してもらっていたんですよ。このプロトタイプ構築時の量子スピンの出現状況データと、チャゾコンサルティングのシステムのコアにある量子サーバのスピンとを比較すれば、2つのサーバが『量子もつれ』の状態にあったかどうか、すぐに確認できるんだけどなぁ」
リカコはニコリと微笑んだ。
「……なるほど。素晴らしいなお嬢さん。この短期間でそこまでたどりついたとは。でもね、君の推理には、ひとつだけ大きな間違いがあるんだよ。チャゾ社の量子サーバを検収したところで、その2つの量子サーバにはエンタングルメントを観察することはできないよ、絶対に」
「まあ、そうでしょ……って、えええーっ? なになに? それってどういうことですか?」
「確かに、私たちは二台の量子サーバーを『量子もつれ』の状態で用意した。それは認めるよ。だけどそれは、チャゾコンサルティングに納品したサーバではないんだよ」
「うーん。どういうこと? わっかんないなぁ。わかるように説明してくれない?」
「そう、だから、私がここで不正にかかわったことを自白する所以はないってことなんだ。君は真相にたどり着いていないからね。でもまあ、いずれお嬢さんならわかってしまうんだろうな。そのときに、どうしてこんなことをしたのか、その理由をしっかりと納得してもらえればうれしいね。大事なのは、フーダニット、誰がやったかではなく、ワイダニット、『どうしてやったか』なんだよな」
フィサリスの声のトーンが少し変わった気がした。
「ううむ……。動機なんて、どうせ、証券化で儲けるとか継続的に案件を独占し続けるとか、そういうことでしょ。そんなの、どうでもいいんですけど」
「いやいやいやいや。言い訳するわけじゃないけど、ライラック社は世界でも圧倒的な強さを持ってる。それは技術の高さだけではなく、公共性を社是としてフェアな商売をしているからで、それが世界から評価されている。量子コンピュータで我が社に勝てる企業はない」
「それは、そうですよね。あのプロジェクトのときの開発スピードを見てたら、認めざるを得ないですよ」
「そして、我が社が売り上げのなかから支払っているAI税、ロボット税、その他、人間を雇用しないことで削減できている全コストにかかっている自動化税の合計は膨大なものだ。小国の国家予算に匹敵するんだよ。ポゴリン共和国程度の人口の国なら全員のベーシックインカムと社会保障コストを支払ってもお釣りがくるくらいだ。つまり、ライラック社はもはや、世界中の人々の生活を支える財源としても、大きな存在として世界に貢献する企業なんだよ」
「ええ、それは理解しています」
「証券化による利益や、継続的なプロジェクトからの収入やら……。そんなものは、我が社が何かコトを起こす動機にはならないんだよ」
「じゃあ、なんのために?」
「……それは、まだ明かすことはできないが。『どうしてやったか』を、考えて欲しい」
「んー、そうですか、残念だなぁ。でも、フィサリス博士、あなたが流出にかかわっているのは、お認めになるんですよね」リカコはニコッと微笑んだ。
フィサリスは素数階段からログアウトした。
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