3 プロジェクトが盗まれる?

 すぐに共同作業が始まった。


 まずフィサリスが、世界最大規模の処理能力を持つ385万Qビットの量子サーバを作業用のグリッド上に配置した。作業は、そのサーバ上に、二千万人分の全人格データをアップロードするための仮想国家を設定することから始まる。

「こんなサーバはみたことないわっ」と、リカコ。

「本気ですね」とラリー。

 そのサーバに、フィサリス率いるライラック社の開発チームが、猛スピードで仮想都市の構築を進める。地理的なデザインは、現実のポゴリン共和国をベースにし、その国土を忠実に再現。国民が馴染んでいる都市や農村も細かいところまで再現している。仮想化され移り住む人々が、なんの違和感もなく生活を持続していると感じられる程度にはリアルに。それから細部が作られていく。

 そもそも世界中で現実の人々が見ている世界がARとVRを駆使したものになっているので、仮想国家の中にデザインされる「現実」も、さほど嘘くさくはならないだろう。


 組み立てられていく「世界」を、共同ワークスペースで確認しながら、リカコは、仮想世界に移行するポゴリン共和国の人々と対話するためのAIインターフェイスのデザインを始める。全住民の基本データ、社会的役割、家族構成や趣味、興味を持っていること、毎日の過ごし方、そして仮想化資産の投資状況などありとあらゆるデータをAIに記憶させ、それぞれの人々の多様性に対応できるように対話AIのニューラルネットワークを組んでいくのだ。

 論理サポートを行うのはもちろんローザだ。

「さすが、ライラック社ですね。このレベルの超弩級量子サーバを持ち出してくるとは驚きましたね。それと、ものすごいスピードで構築されていく驚異的にリアルな仮想世界。これだけリアルな三次元仮想国家なら、仮想化されたことに気づかないまま永遠の余生を送る人もいそうですね」とローザ。

「あら、私がデザインしてあげたあなたのお家の素晴らしさほどじゃないでしょう」

 ローザは、リカコが客観的な自己分析の結果作り出したパターンにより構成され、二人は気の合うパートナー同士のような関係になっている。リカコは彼女に仮想の住居も作っている。リアルな家のメタファーで、ローザも気に入っている。ローザはその家に住みながら、ワールドワイドグリッド上を自由に飛び回っているのだ。セキュリティフリーの共有スペースなら、世界中どこにでも情報の海をわたって出かけていくことができる。

 現象としては、ローザも仮想化した人格も日々の生活にあまり違いはない。

「今回の対応の難しさはひとつ。『未知に対する不安をどう取り除いてあげるか』ですからね。おそらく、クライアントのオッサンは、私の設計したAIが、多様な性格やバックボーンを持った人々に対し、彼らにとって一番心やすい人格を即座に割り出しその人の担当人格にあてるという設計を買ってくれたのね。『超多様人格AI』は、私がCALTECHにいたときからの専門なのだからね」

「そうですね。それも、リカコの持つ不思議な力のおかげ。超多様性時代と呼ばれる現在の、無数にある多様な人格のひとつひとつが、無数の色彩と結びついて認識される特別な『共感覚』の持ち主ですからね、リカコは」

「そうそう、生まれつき恵まれた能力なんだよね。会う人すべての人格のタイプが、スペクトルにになって見えちゃうんだもの、しようがないわよ。ケヴィンズ社の接客AIのときに初めて『共感覚』を使ってアルゴリズムをデザインしたんだけどね。AI側が相手の人格を即座にスキャンし、それをスペクトルとして参照して、それに対応した色彩を持つ人格の仮面をかぶって、最良のパートナーになれるように話しかける。まるで信頼していてなんでも話せる家族みたいにね」

 そんなことを話しているうちに、リカコの担当であるAIデザインのプロトタイプ設計が終了する。二時間程度でディープラーニングを終了しテスト運用が可能になるはずだ。ここまでの成果へのリンクを共有ワークスペースにアップする。

 数秒で、全員の「既読」を示すフラッグが立つ。

 フィサリス、ラリー、シーオ223からメッセージが届く。

 それぞれが、リカコの仕事に対して驚いている様子が伝わって来る。この速さで、これだけのAI設計ができる人間はおそらくいない。

 ラリーが提示してきた、脳インプラントからの全人格スキャンシステムのプロトタイプもすぐに共有され評価された。スキャンと仮想化には、一人当たり三十秒程度かかるという。リカコは、それを十五秒まで短縮するアイディアを返信する。スキャンした人格データモデリング作業の一部を、「超多様人格AI」に接続するというものだ。

 仮想化する人間のスキャンを実施しながら、同タイプの人格データをベースにしてモデリングすることで、スキャンの時間を短縮できるのではという仮説だ。

 ラリーとシーオ223が早速実証を始める。

「ブラボー。このシステムは世界初、世界最高速、そしてひとりひとりの人間に優しいアップローディングを実現するね」メッセージで、フィサリスが賞賛を送ってくる。


   *


 作業の開始から六時間程度が経過している。

 リカコにとっても、ラリーにも、フィサリスとライラック社にとっても、これだけの長丁場は滅多にあることではない。

「少し休まないか?」と提案したのは、フィサリスだった。

 三人は合意し、二十分の休憩に入った。

 シーオ223は、ローザやほかの二人のメンバーのAI と連携し、プロトタイプの反証シミュレーションを繰り返している。いまのところ問題はない。巨大な仮想化システムのプロトタイプが仕上がろうとしているのだ。

 そのとき、リカコは違和感を感じた。

 このチームで開発しているプロトタイプが、別の場所にも作られているような気がしたのだ。

 嫌な予感。《ボンク》のセキュリティレベルには、まったく問題ないはずだ。

「やられてるかもしれない」と発言したのはラリーだ。

 フィサリスも何かに感づいている。

 シーオ223は、ライラック社の量子サーバに入り、仮組みを終えた全データのセキュリティスキャンを始めた。


   *


「みなさん、大変なことが起きた」

 共有ワークスペースにアナウンスが流れる。XTCの声だ。

「現在、設計している仮想化システムの仕様に入ってるいくつかの主要技術が、チャゾコンサルティングの名前で特許申請された。十五分前のことだ」

 盗まれたのだ。

 六時間かけて設計中のシステムの仕様の中には、リカコの「超多様人格AI」とそれを活用したモデリング方法などの新技術が詰め込まれている。それを触ることができるのは、リカコ、ラリー、フィサリス、そしてシーオ223、クライアントのXTCの五人と、その支援AIだけだ。

「なんてこと!」

 リカコは、データグローブを投げ出しながら叫ぶ。

現実のリカコの住む高層マンションの窓ガラスに、それは音をたて勢いよくぶつかる。

「こんな特許、認められない」

 フィサリスは、すぐにライラック社法務部を通し国際特許庁に異議を申し立てた。

 ラリー博士は、話す気力も失せている。

 特許として出願されたという事実の重さを知り尽くしている男だ。

 今までも脳インプラント移植技術をどれだけ盗まれてきたことか。いまごろどこかのビットインベスターがチャゾ社名義のこの特許を証券化する準備を始めているだろうことも知っている。異議を申し立てて争っても、経験上勝ち目はない。そもそも、開発しながら、すべての技術を申請していくのは基本中の基本だった。

 技術が盗まれるということはこの開発の中止に直結しているとともに、証券化によりデポジッタたちから集めようとしていた運用予算のアテがなくなることも意味していた。


事実上、リカコたちのチームはプロジェクトを中断せざるを得なかった。


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