2 ドリームチーム?

 素数階段は、オイラーからリーマンに至る数学者の夢の象徴。


 三郷のリカコのマンション。バーチャルスクリーン上のワークスペースに、誰か無名のハッカーが造りあげた素数階段が展開されている。無限に並ぶ整数の回廊。それはひとつの素数に出会う度に一段ずつ上がる階段になっている。その昔、十五歳の天才少年ガウスが素数の謎を解こうとして手探りで登ったものだ。2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31……。グリッド上の素数階段は、一段登るごとに暗号防壁が張られていて、それは簡単には破られない。一分程度の時間を経て、リカコはやっと座標9631にたどり着くことができた。

 この座標に存在するバーチャル会議室を指定してくること自体が、プロジェクトメンバーに対するテストになっているのだろう。


   *


 会議室には、すでにひとりのアバターが到着していた。

「こんにちは、はじめまして。リカコ・スミタニ、AIデザイナーです」

 リカコは声をかけ、そのメンバーの向かい側の席に座る。

「ああ、よろしくお願いしますリカコ博士。僕は、ラリー・フィッツジェラルド。脳インプラント研究者で、その移植専門医、脳科学者でもある」

 型通りの挨拶を交わしなから、相手のIDをグリッドの検索システムに照会しそのプロフィールと実績を互いに確認した。

「ああ、聞いた事がある名前だと思ったら、こないだローンチしたケヴィンズインベストバンクの接客AIをデザインした子だよね。感動だな、時の人に会えるなんて。あのシステムは驚異的ですよ。AIの人格設計の大きな進歩です」

「ありがとうございます。ラリー博士は、脳インプラント手術の名医ですよね。数々の技術革新を起こしていらっしゃる。それでいて、開発した技術をすべてオープンにしてますよね。特許を持っていれば大富豪でしょうに。お会いできて光栄です、あなたの功績は計り知れない。」

「ああ、ありがとうございます。まあ、それはそうなんですが、今回呼ばれたのはおそらく……」

 ラリーが続けようとしたとき、二人のアバターが相次いで到着した。

「あっれま、私が一番最初にたどり着いたと思ったんだけどな。すでに二人もいらしてましたか。あ、フィサリス・コトウです」

「ライラック社のファウンダーでCEOの?」訊いたのはラリー。ライラック社とは、量子コンピュータ市場をほぼ独占しているメーカだ。

「ええ。その通り! ラリー博士、そしてリカコ博士、よろしく」

「理論物理学者としても名高いフィサリス博士にお会いできるとは、面白い仕事になりそうですね」と、リカコは無邪気にいう。

「私は、シーオ223。AIです」と、もうひとりが自己紹介をする。

「あの有名なクァンタムバイオテクノロジー社の経営支援AI? 引退してグリッド上に一般公開されていると聞いたけど」とフィサリス。

「ええ、いつもは子どもや学生たちがいつでも使えるフリーAIとして、まあ隠居生活のようなものをさせていただいています」とシーオ223が応える。

 フィサリスとシーオ223は、タイムシフトでリカコとラリーが自己紹介を交換したデータを取得済みである。タイムシフト会議のおかげで、後から来た人もそれまでの会話の内容を一瞬で追体験することができる。これは、この時代の大きな進歩のひとつだ。仕事のスピードが速くなっているいま、数十秒でもかかる時間を短縮できるところは短縮して進める必要があるのだ。

 ひと通り、お互いのプロフィールと実績の共有が済んだ。

 あとは、彼らを招集したクライアントの登場を待つばかりだが、その間は、やはりリカコのデザインしたケヴィンズバンクの接客AIシステムの話で会話が弾んだ。


   *


 やがてひとりの男性アバターが出現した。

 同時に、《ボンク》の共有ワークスペースが会議室の周囲三百六十度に広がる。

「非常に優秀なプロフェッショナルのみなさま。突然のオファーにもかかわらず集まっていただき感謝します」

 リカコは、プライベート記憶域に残されたメッセージを再生したときから、この男を知っているような気がしている。他のメンバーの表情を見ると、みんなもそう感じている雰囲気だ。

「私は、今回、みなさまに声をかけさせていただいた者です。訳あって身分を明らかにすることはできません。仮に、XTCとでも呼んでください」男は続ける。「みなさまへの支払いはすでに済ませてありますので、安心してプロジェクトに没頭してください。今回、私は、ある大きなプロジェクトを受注するため、みなさまに集まっていただきました。お集まりいただいたプロフェッショナルの方々は、各領域で現在のベストです。このチームは、いわばドリームチームなのです。ラリー・フィッツジェラルド博士。大脳にインプラントを移植する技術で彼の右に出る者はいません。フィサリス・コトウ博士。彼が率いるライラック社は周知の通り量子コンピュータ市場トップを走る企業です。今回のプロジェクトでは量子サーバ上の仮想都市の設計が欠かせません。彼と彼の会社には大きな負担を強いることになるでしょう。リカコ・スミタニ博士。十八歳という若さで、先日ローンチされたケヴィンズインベストバンクの接客AIを設計した新進気鋭のAIデザインのプロ。すべてのデポジッタに対して親身に対応できるその革命的な対話性能は、いまや世界が認めるものとなっています。そして、シーオ223。実は、彼女とはずいぶん昔からの付き合いになります。私が会社経営をしていた頃に、無料で利用できるフリーAIである彼女には、何度も困難な意思決定のシミュレーションをしてもらいました。もっとも彼女にも私が誰なのかはわからないと思いますが……。プロジェクトの進行と論理サポートを任せます。このメンバーなら、世界最高の仕事ができるでしょう。さて、始めましょう」

 共有ワークスペース上に、膨大なプロポーザル応募者向けの仕様データが展開した。

「プロジェクトの概要はこちらです」

 XTCと名乗る男が話している間、メンバー全員がそのIDを探ってみたが彼のデータには届かない。ビットバンク各社のデポジッタ情報にもないし、あらゆる国家、自治体のデータと照合しても、XTCの現在のIDに相当するものはいなかった。

 提示された資料が表す公募型プロジェクトの内容は、つい先週国家破産を宣言したポゴリン共和国に関するものだった。国家破綻したこの国の全国民を維持するだけの財政的な課題を、現在の国際社会は解決できない。AIが基本的な仕事こなし、AIとロボットが稼ぎ出した利益で人々が暮らしている非労働型社会なので、人口二千万人の国家の破綻は吸収不能なのだ。

 国連は、ポゴリン共和国全国民の仮想化を行うことを、四日前に決議した。

 つまり、肉体を捨て、ワールドワイドグリッド上に配置された量子コンピュータのメモリ上に、記憶と意識のすべてを移行するということだ。彼らは以後の人生を、ネットワーク上の仮想データとして生き続ける事になる。

 この時代、人間の仮想化は、まだまだ少数だが決して珍しいことではない。

 最初期には、先進的な研究者や思想家、経営者などが仮想世界で生きる事を選択し進んで肉体を捨てていった。彼らに影響された人々が、それに続き、現在では、さまざまなコミュニティや家族単位で次々に肉体を捨て仮想世界に移行する人々が出てきている。

 仮想世界で、家を持ち、家族を持ち、畑を耕し、あらゆる情報の間を浮遊して永遠にも思える時間を過ごしている人たちは、すでに数千万人に達しているともいわれている。

 彼らは、常に世代交代を繰り返しハード的には問題のない状態を維持し続けているワールドワイドグリッド上を自由に飛び回り、肉体を持った人間の数十倍にも及ぶスピードで学習と経験を楽しんでいる。

 また、肉体を捨て仮想世界に生きるということは、まったく倫理的な問題になっていない。

 肉体を捨てるとこを「死」と同じであると考える迷信はなくなっていたのだ。先んじて仮想世界に住み替えた人たちが、そうではないとことを証明しているからだ。

 精神や魂といわれていたものも、脳と身体に刻まれていた記憶とともに残らずデータとしてスキャンされネット上に移行できていた。人々はリアルな肉体として生きていたときと変わらぬアイデンティティを維持し、人と出会い、恋に落ち、子どもを作り育てることも可能だったのだ。

 それでも、人口二千万人の国家をまるごと仮想化するのは、人類にとって始めてのことだった。そのプロジェクトを請け負うチームを、国連は、企画入札で公募した。XTCと名乗る男は、その公募に提案するプランニングをリカコたちのチームに任せるというのだ。

「私たちが、もっとも気をつけなければならない競合相手が、チャゾコンサルティングです。彼らは集団レベルでの仮想化をすでに何万例も成功させています。現在、もっとも安全で信頼できる仮想化技術を持っているといっていいでしょう。それなら、そこにやってもらえばいいという考え方もありますが、私は、ひとつだけ気になっていることがあるのです」

「なんなんですか? それ」と、リカコ。

「それは、『強引さ』とでもいいましょうか……」彼は応えた。

「彼らの仮想化システムは、脳全体と身体の記憶を完璧にスキャンしスムーズに仮想社会に移行させる技術としては目を瞠るものがあります。並列AI処理を量子サーバで行うその技術力の高さは素晴らしい。唯一無二といってもいいものです。

 でも、人は、いざ仮想化に向き合った瞬間、肉体の死を恐れたり仮想化について理解できていなかったりすることがあります。そういう人々に対し、彼らはきちんとしたケアができないんです。

 アップロード志願者は、自分の意思でそれを決定したとしても、長い間馴染んだ肉体を、おいそれと簡単に捨てられるものではないです。逡巡もあれば不安もある。本来は、それをケアし、恐れる事なく仮想化に導くプロセスが必要なのですが、チャゾコンサルティングは、眠らせて目覚めたらすべてが終了しているという方法をとっているだけなのです。

 これまでは、自分から進んで志願した人たちばかりでしたから、その方法も結果的には問題なしとされてきました。しかし、今回、ほぼ強制的に国家全体が移行するとなると、自らの意思に反して仮想化させられる多くの人々に対して、『強引』な手法をとらざるを得なくなります。

 そしてそれは、殺人に近いものになるのではと私は考えるのです。

 こういう案件だからこそ、時間をかけて説得したり、カウンセリングで不安を解消したりというプロセスが全員に必要になる。すべての人々が心の底から納得し、恐れることなく仮想化へ向かってもらうことが必要なのです。そしてそれは、チャゾ社には絶対にできない」

〈なるほど〉と、会議に参加した誰もが思った。

 同時に、いま依頼されているプロジェクトの困難さをひとりひとりが感じていた。

 チャゾコンサルティングといえば、ほぼ、仮想化市場を独占している。

 現存するワールドワイドグリッド上に仮想化都市群を構築してきたのも彼らだ。いわば、仮想化の歴史とともに彼らが作り上げてきたプラットフォームが企画入札の舞台なわけだから、勝負は圧倒的に不利だ。


   *


「これは、難しい案件ですね」

 世界をリードする量子コンピュータ企業の経営者としての判断を、フィサリスが述べる。チャゾ社はライラック社のメインの取引先のひとつでもあった。

「チャゾ社が相手だとなると私たちも必死にならないとね。インプラント経由での人格スキャン技術は私の研究が世界の最先端ですから、負ける気はしないですけどね。AIさえ、いい物がデザインできれば」と、脳インプラント学者のラリー・フィッツジェラルドがいう。

「それって、私次第だということですか〜」リカコがニッコリと笑顔を作りながらいう。「私にも、私にしかできないことがあるんですよ。特に、様々な人とAIとの対話ですよね。それに関しては絶対に彼らには負けませんわよ」彼女は、声に出していった。

「まあ、依頼人がドリームチームというのですから大丈夫でしょ。ジョブのプロッティングとタスク整理は、いま終わらせましたのでみなさん早速作業に取りかかれますよ。とにかく、ベストを尽くして良いものをつくりましょうよ。各タスクの論理サポートはこちらで一元的に管理しますので、みなさまそれぞれの支援AIとも連携を取らせてください。混乱しますので」シーオ223が歴戦の優秀な支援AIらしくその場をまとめた。


 〈いいチームだ〉

 そうリカコは思った。

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