第46話:ドラグレイクの今(1)
ドラグレイク竜王国――〝大樹の館〟。
荒涼とした景色の中に、そびえ立つ大樹。その周囲には、ここが砂漠とは思えないほどの水量を誇る水路が張り巡らされており、その間にある青々とした農園によって、そこは一種のオアシスのような景観を生みだしていた。大樹の広がった枝葉によって、ギラつく日光は遮られ、水路によって温度が落ちた涼しい風が吹き抜ける。
その大樹の幹と一体化したような石造りの館こそが、ドラグレイク竜王国における最重要拠点であり、この国における王の居城である。その一番上にある見晴らしの良い部屋に、王専用の執政室があった。
座り心地の良さそうな、継ぎ目のない木製の椅子に座り、大量の報告書に目を通しているのは、この部屋の主であるアドニスだ。母親譲りの黒髪と、深い海のような蒼を湛えた瞳には理性の光が宿っているが、その顔色は明るくない。
「ロールフェルトがあっさり陥落、各地で帝国を名乗る武装集団が蜂起している、か。厄介なことになった……」
アドニスの疲れの滲む声に、彼の執務机の前に座る人物が答えた。
「かはは、あの小娘には参ったね。ここまで性急な天魔は初めて見たよ。今にも、ここに殴り込んで来そうだな」
燃えるような赤髪に、身体のラインに沿った黒いローブ、大きなとんがり帽子。まさに魔女と形容するに相応しいその美女の名はカレッサ――〝竜の魔女(エキドナ)〟という名で呼ばれる謎多き存在であり、アドニスにスキル【竜王】の力の使い方を教えた張本人だ。その正体についてはアドニスすらも分かっていない。
「一度、シエンとは話をしたいと思っていますけどね」
アドニスは短い間ではあるが、崩壊前の王都ザレドにて、とある少女と行動を共にしていた。だが、その少女の正体が、自分の宿敵である天魔であり、この大陸を恐怖に陥れた帝国軍の女帝であることを、未だに飲み込めずにいた。
「話すことなんてないぞ。あれは星の敵で、人類の敵だ。その報告書を読んだのなら、分かるだろ? クロンダイグやロールフェルトの民がどれだけ虐げられているか……いや、虐げられているという言い方すら生温いな。今、彼らは地獄を味わっているぞ。帝国の為に奴隷となって働くか、食料になるか、の二択だからな。そりゃあ難民達がここに流れてくるさ」
カレッサの言葉が、更にアドニスの顔を暗くさせる。
王都が崩落したあの日。魔物達が住民達を襲い、むさぼり食っていた光景を今でも鮮明に思い出せた。あれが、今や大陸中で起こりつつあるのだ。
「難民達は全て受け入れていますよ。今のところ、大きな問題は出てきていません。元々ここはクロンダイグ領でしたから、双方受け入れやすいのでしょうね。住居についても竜姫達のおかげで即席ではありますが用意できました。食糧についても、サリエルドが豊富に溜め込んでいたおかげでなんとかなっています。ですが将来を見据えて、難民達には農作業に従事してもらわないと、いずれは食糧難になるでしょうね」
アドニスが机の上にあった、最新のドラグレイク竜王国の領内地図をカレッサに手渡した。それを見て、カレッサが頷く。
「ミルムースもすっかり発展したな。もはや村ではなく街になっている」
この大樹の館の西方に位置するミルムース村は、難民の受け入れの為にその周囲に即席住居及び生活に必要な施設が大量に作られていた。元々は人口が数百人程度の村だったが、ここに来てその人口は膨れ上がっており、竜王国の西端にある城塞都市サリエルドとミルムース、そしてこの大樹の館との間には街道と運河が敷かれ、人や物の移動が活発化していた。
本来なら、数ヶ月で出来るような事業では決してないのだが、竜姫という規格外の力を持つ者達のおかげで、ア
ドニスはこれを実現させた。
「サリエルドを国境の防衛拠点として考えると周囲に街は形成できず、住民は城壁内にしか住めませんからね。必然的にミルムースが発展の中心となりました」
「人が増えるのは良いことだ。兵士も増えたのだろ? 〝崩壊の日〟に民を導いた英雄――黒竜王なんて喚ばれて慕われているそうじゃないか」
そのカレッサの言葉に、アドニスは少し照れながら答えた。
「ええ、なんとも慣れないですけどね。でもありがたいことに、僕が元クロンダイグの王子ということもあってか、元クロンダイグの兵士や騎士達が次々うちの国に仕えたいと言ってきてくれています。おかげで、グラントが毎日死にそうな顔でその対応に追われていますよ」
アドニスの言葉に、カレッサが笑う。
「あの男も偉くなったもんだ。元々は騎士団の鼻つまみ者だった奴が、今ではドラグレイク軍の長だからな」
「本人は嫌がっていますけどね。でも彼以外に適任者がいないので。スコシアにもあれこれやってもらっていて、二人には本当に頭が上がりません」
アドニスは、この何もなかった地へと半ば流刑のような形でやって来た時に、それでも最後までついてきてくれていた護衛役である騎士のグラントと、魔術師のスコシアには感謝しても、し足りなかった。その恩返しもかねて、グラントをドラグレイク軍の長である将軍に、スコシアを内政面の長である宰相に任命した。もちろん、それに足る実力があるからこそではあるが。
それを聞いたカレッサが意地悪そうに、アドニスの側に仕える一人のメイドへと目線をやった。
「そっちはすっかり元気そうだが、メイドのままなんだな。同期に先を越された気分はどうだ?」
暗い茶色の髪に、銀縁眼鏡のメイドがニコリともせずに、その言葉に答える。
「私の一番の仕事は、アドニスのお世話をすることですから。これ以上はないかと。それに今は――メイド長です」
「タレットにも感謝しているよ。怪我も治って良かった」
アドニスがタレットへと笑顔を向けた。自分の我が儘のせいで彼女に大怪我を負わせてしまったことを悔やんでいたが、本人はそれを全く気にしていない。
「ご心配お掛けして申し訳ございません。ですが、安心してください。二度とあのような不手際は起こさないように色々と準備はしております。あの小娘とその配下の暗殺ならばすぐにでも実行しますが」
タレットがそう言って、暗い笑みを浮かべた。それを見てアドニスは苦笑するしかない。このメイドがただのメイドではなく、暗殺者という裏の顔があるということを忘れてはいけないな、と自戒する。
「それは、まあとりあえずはいいかな」
「残念」
「ま、それをやる時は竜姫を連れていくこったな。天魔も六道衆も、文字通りバケモノだ。生身の人間が相手していい類いのもんじゃねえ」
そのカレッサの言葉に対し、真面目な表情でタレットが答えた。
「あんな派手な人達を連れていったら暗殺になりませんが。それはもうただの襲撃です」
「そりゃあ確かに」
カレッサが笑うのを見て、アドニスが口を開く。
「それで、カレッサさん。今日は、この国の現状を把握するためだけにやってきたわけではないでしょう?」
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