間章:動き始める各国

 リダルシア大陸北部、〝白聖国ルア・ククア〟。


 白聖国はこの大陸において、ドラグレイク竜王国の南部にある〝砂老国イルサエル〟に次ぐ歴史を誇り、ギンガル湾内の火山島にその首都であるルアンの街があった。ルアンの中心――すなわちこの島を形成した死火山の火口に、この大陸で最も普及している宗教、〝白零教〟の聖地であり、また白聖国における最高指導者である法王の住まうエテラ神殿が建っている。


 星の女神の名を冠するエテラ神殿は、如何なる力が働いているのか火口内に浮かぶ巨岩の上に建ててあり、その壮麗な建築様式も伴ってまさにそこは聖地と呼ぶに相応しい光景だった。


 そんなエテラ神殿の最奥――上位の神官ですら、よほどでない限り立ち入ることを禁じられた法王専用の礼拝堂に、三人の姿があった。


「ロールフェルトが落ちたか」


 重々しい口調と共に、祭壇の黒いエテラ像に祈りを捧げていた老人が振り向いた。法王にしか纏うことが許されない、黒の祭服を纏ったその老人の名はウルクス。白零教の頂点であり、かつこの白聖国の最高指導者である、法王の座につく男である。


「クロンダイグが滅びた、あの〝崩壊の日〟からたった三ヶ月……かの帝国は苛烈にして邪悪。このまま傍観していては、我が国も危ういねえ」


 言っている内容に反して、軽い口調でそうウルクスへと告げたのは、長い銀髪を後頭部でまとめた、法衣を纏う年齢不詳の美女だった。彼女の名はエインリア――繊細な装飾が施された片眼鏡(モノクル)に、金の刺繍が施された灰色の法衣は、彼女が神官の中でも最も高い位である神官長だという証拠に他ならない。その身に纏うのは、聖職者にあるまじき煙草の香りだが、この場も誰もそれを気にしてはいない。


「ウルクス様、それにエインリア神官長。我々は一刻も早く対策をしないといけません。大陸各地で蛮族や野盗、それに邪教徒達が帝国への従属を宣言し、好き放題をしています。我が国の領土は幸いまだ無事ですが、被害を受けるのも時間の問題です。更に南部のドラグレイク竜王国も放置できません。クロンダイグの元王子の国とあって、滅びた王都ザレドの難民や騎士達を受け入れ、着実に国力を蓄えています。かの国は帝国軍の悪鬼共に匹敵する力を有していて、第二の帝国となる可能性は十分にありえます」


 そう切羽詰まった表情で訴えたのは、白銀の鎧を纏った黄髪の女騎士――テレサだ。白聖国が古くよりその土地と教えを守ってこられたのは、ひとえに彼女が所属している、白聖騎士団のおかげだ。


「テレサ、あんたは確かドラグレイクの戦いを実際に見たんだよねえ。悪魔の力がどうたらとか報告していたけども」


 エインリアの言葉に、テレサが頷く。


「その通りです。サリエルドを攻めたクロンダイグ軍が為す術なく撃滅されたのを確かに見ました。あれもまた帝国と同じ、悪魔の類いかと」


 そのテレサの言葉を聞いて、ウルクスが髭を撫でながら目を細めた。


「悪魔、か。君にはそのように見えたのか」

「はい」


テレサが確信を持って、頷いた。サリエルドで見たあの圧倒的な力。魔物らしき兵を率いるかの王は、魔王と呼ぶに相応しい。


「若き騎士よ、この文句を聞いたことがあるかな? 〝百王と六つの悪魔が目覚める時、星の守護者は覚醒し七曜を従える――ククアの絶書第三章第二節〟」

「ウ、ウルクス様! それは禁書の中の文句では⁉」


 テレサが思わず目を見開いてしまう。禁書とはつまり偽典であり、その中でも天使信仰と呼ばれるものは特に禁忌として扱われていた。現に、テレサの知り合いのとある神官はそれを読んだが為に牢獄に囚われてしまった。なのに、その禁書の文句をよりにもよって白零教の頂点であり象徴である、法王が口にするなどあってはならないことだった。


 しかし隣に立つ神官長であるはずのエインリアも、それがどうしたとばかりに動じない。


「七曜、それはすなわちこの世界を構成する七つの理。絶書の中では、天使だなんて呼んではいるけど、私からすれば悪魔に勝てる力なんて、それこそ悪魔みたいなもんだ」

「そんな……」


 それは、この国ならばすぐに異端審問に掛けられるほどの、問題発言だ。だからこそテレサは混乱していた。実質的なこの国の頂点である二人が揃って、異端と呼ばれる天使信仰の偽典をまるでそれが正しいかのように取り扱っている。


「いずれにせよ、六人の異形を従えたあのキサナギの姫は、本国のキサナギ皇帝崩御のどさくさに紛れて、〝百夜帝国〟なんて国を図々しくもクロンダイグ……いえ、旧クロンダイグ領に作りやがった。ま、皇帝も暗殺されたって噂があるし、仕組まれていた可能性が高いけども。彼女が絶書の中における〝百王〟であり、その手下の六人の異形こそが、〝六つの悪魔〟、だとすれば……七曜無き我が国に勝てる術はない」


 エインリアがそう言い切ってしまう。その言葉には、もはや戦う意志すらないようにテレサには感じられた。


「待ってください! 禁書の内容を信じて、戦いもしないなんて間違っていませんか⁉」

「勿論、戦う。が、無策で挑んで勝てる相手ではなかろう。テレサ、なぜ君をここに呼んだか分かるか?」


 ウルクスの言葉に、テレサが首を力無く横に振った。


「……いえ」


 テレサにとってそれが大きな疑問だった。自分は白聖騎士としても、特に高い位にいるわけでもなく、神官達ほど信心深くもない。いわば、この白聖国においてはありふれた存在であり、なぜそのような存在である自分が、なぜ法王と神官長の二人による密談に参加させられたのだろうか。何度考えても分からない。


「信心深い者ほど、真実は見えない。だが、国に忠誠を誓う者でないと任せられない任務がある。君はその目で、黒竜王を確かに見たのだろう? それを悪魔だと感じた君の感性はきっと正しい。天使と悪魔の違いなんて、呼び方の違いでしかないのだからな」

「貴女が悪魔だと、魔王だと感じたドラグレイクの竜王が――七曜を従えし者、つまり陳腐な言い方をすれば救世主――だとすれば、彼らこそが唯一、百夜帝国に対抗できる存在ということになるんだよねえ。ならばその力、是非とも我が国の為に使ってもらわないと」

「それはつまり、同盟を呼び掛けるという事ですか」

「その通りだ。その使者を君にやってもらいたい。ドラグレイク竜王国へと赴き、竜王と謁見せよ。対帝国の連合を一刻も早く作らねばならぬ」


 ウルクスの言葉に、テレサはすぐに言葉を返せない。それは、一介の騎士に与えるにはあまりに責任重大な任務ではないだろうか。


「そりゃあ、本当なら私ぐらいの立場の人間が行けばいいんだけどね。知っての通り、我々のやり方を快く思わない反法王派もいる。更にあんたの相棒であるかの男と同様に、ドラグレイクの竜王こそ救世主であり、天使を従えた女神エテラの化身であると信じる、天使派の連中も水面下で動いている。だからこそ――どちらでもないあんたにこの使者を頼みたいんだよ」

「……拒否権はなさそうですね」


 テレサは声を震わせないようにそう答えるのが精一杯だった。この一時で、あまりにこの国の深部に触れすぎている気がしていた。


「頼んだぞ」


 ウルクスの言葉に、テレサは最上位の礼を行い、それに応えた。断れば、死が待っていることは容易に想像がつく。


「ああ、そうそう、あんたの助けになるかもしれないから、あの男は釈放しておくよ。あいつも連れていくといい」

「ペペは相棒などではありませんが……」


 テレサが、牢獄に囚われている腐れ縁の男――ペペの顔を思い浮かべ顔をしかめた。それを見て、エインリアがにやりと笑う。


「あの男……としか言っていないのに、まっさきにあのティオ家の異端児であるペペの顔が浮かぶなら、それはきっと相棒だと思うがね。とにかく、君達には再び行ってもらうことになる。砂礫の上に築かれし国――ドラグレイク竜王国へとね」


 こうして、白聖国を含め大陸各地で策謀が蠢き始めた。その中心には必ず――アドニス率いるドラグレイク竜王国が存在していた。


 星の歴史は六度目にして、また繰り返されるのだった。



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