第44話:竜王と魔王


 王都東側の平原。


 そこには、東へ東へと避難する多くの人々で溢れていた。生き残った兵士や騎士達が時々王都へ振り返りながらも、東への歩みを止めなかった。


 王都は燃えており、王城は崩れ、禍々しい赤い光を天に立ち昇らせていた。


「アドニス君、また追っ手だ。餓鬼とあの赤い鎧の群れが北と南から来ている」

「カグツチの眷属だけでは厳しそうだね」


 東へと向かう人々の塊を前後から挟むように向かってくる敵軍に、アドニスはどう対応すべきか悩んでいた。片方はカグツチだけで問題ないとしても、もう片方を自分独りで処理できる数ではなかった。


「……苦渋の選択だが……彼等を見捨てるしかない私達だけでも先に逃げるべきだ」

「それは……出来ないよカグツチ。僕には、彼等を……ドラグレイクまで導く使命がある」


 そう言って、アドニスが腰のポーチに大切に保管している、ある物に触れた。


「そうだな……すまない。忘れてくれ」

「僕らで……何とかするしかない」


 アドニスが疲れきった顔でそう呟いた。シエンは、タレットは無事だろうか。王都は……どうなってしまうのだろうか。そんな心配事が、余計に気力を消費していく。


「南側が私が行く」

「北側は何とかするよ」


 アドニスがそう言って、カグツチの眷属達を率いて北側へと向かう。


 迫り来る魔物の数は優に一万を超えているだろう。


「やってやらあああああ!!」

「特攻魂見せてやらあああああ」

「いくぞおおおおお」


 竜の騎士達が吼えながら、突撃していく。その声はしかし、少しだけアドニスを鼓舞した。


「……俺達も手伝う」

「俺もだ」

「僕もやるぞ」


 そんな声にアドニスが振り向くと、そこには武器を携えたクロンダイグの兵士や馬に乗った騎士達が立っていた。


「クロンダイグの民は俺達が守る。東門での戦いを見て……俺はあんたがまだクロンダイグの王子であると信じているぞ……アドニス様」


 騎士の一人がアドニスを見て、頷いた。


「……ありがとう」


 アドニスはそれだけ言うと、迫り来る魔物の軍勢に対峙した。


「国なんか関係なく……民を救うことこそが、王の役割だ」

「お供致す」


 騎士達がアドニスの横に並ぶ。


 このまま突っ込めば、間違いなく彼等は死ぬだろう。それはアドニスだけではなく全員が分かっていた。


「クロンダイグは滅びぬ!」


 騎士達が叫び、突撃していく。アドニスも杖を掲げ、少しでも魔物の数を減らそうと攻撃しようとしたその時。


「あらあら……主様ったら、少し見ないうちに更に格好良くなってないかしら~?」


 そんなのんびりした声と共に、魔物の軍勢の中央で巨大な水柱が地面から噴き出した。それは魔物達をバラバラに引き裂くほどの勢いで噴出し、一瞬で数千の魔物を絶命させる。


「お兄様がカッコいいのは元からだよ?」


 そんな幼い声と共に、大地から巨大な根が何本も生え、魔物達を薙ぎ払っていく。その一振りで数百の魔物が吹き飛び、一瞬で魔物達の前線が崩壊した。


「お兄ちゃん……助けに来たよ」


 アドニスの目の前の大地が隆起し、それは巨大な人の形になると、巨岩のような拳を魔物達に叩き付けた。


「……なんだこれは。あんたの力か……アドニス様!」


 突撃を止めた騎士の一人がそうアドニスに聞いた。


「……間に合った」


 アドニスの安堵の声と共に、激流と蠢く根と巨大な岩人形が魔物達を駆逐していく。


 そして彼の側に三つの影が現れた。


「ティアマト……ユグにヨルまで。みんな来てくれたのか」


 アドニスの言葉に、三人が頷く。


「主様の伝令を聞いてすぐに駆け付けたのよ~。酷いことに……なってるわね」


 ティアマトが王都を見て、珍しく真剣な表情を浮かべた。


「ああ。あれが多分……僕らにとって……いや人類にとっての敵だ」

「……あそこに、親玉がいるのかな? みんなで潰しにいこうよ」


 ユグドラシルが、王城から立ち昇る赤い光を見て、瞳を妖しく光らせた。


「駄目だよお姉ちゃん。この人達の避難を優先しないと……だよねお兄ちゃん」


 それをヨルムンガンドが窘めた。王都から避難する人々の数は膨れ上がっている。


 まだ、あの王都内には取り残された人々もいるのだろうが……全ての命を救えないのはアドニスも分かっていた。


「ヨルの言う通りだ。彼等をサリエルド近郊まで護衛する。南側はカグツチ一人だ。誰か一人向こうに行って手伝ってほしい」

「了解よ~」

「はーい」

「うん」


 三者が頷くと、それぞれ行動を開始した。


 既に、魔物達は散り散りになっており、竜姫達やその眷属によって各個撃破されていく。


「……さあ、みんな行こう。大丈夫、サリエルドまで行けば安全だ!」


 アドニスが騎士や兵士達、そして怯えた表情を浮かべる人々に聞こえるようにそう声を張り上げた。


「……タレットとシエンは無事だろうか」


 それだけを心配しながら……アドニスは人々を護衛し、サリエルドまで無事避難させたのだった。これによりドラグレイクの人口は爆発的に増え、それが国を発展させる大きな要因となる。


 そしてこの時、炭と灰で顔どころか、全身が黒く汚れていたアドニスを見て、のちに人々は〝崩壊の日〟と呼ぶこの日の事を思い出し、彼のことをこう呼んだという――


 崩壊の日に人々を導いた、竜姫を従えし救世主――〝黒竜王〟と。




☆☆☆




 王都、王城――謁見の間。


 崩壊した謁見の間で、キールは身動き一つ取れなかった。


 アドニス達が去ってからすぐ、彼は誰よりもいち早く動いた。


「くそ、来い小娘! アドニスの仲間なら人質にする価値がある!」


 キールは剣でシエンを脅して、その手を取ろうとした。しかし、キールは気付かなかった。アドニス達が吹き飛んで消えた直後から――急にシエンの纏う雰囲気が変わっていることに。


「……汚い手で触るな下郎が」


 そんな言葉と同時に、キールの手がまるで手首の先が消失した。千切れたような手首の傷から血が噴き出す。


「ぎ、ぎゃああああああ⁉ 手がああああ! 手がああああああ!」


 キールが吹き飛んだ左手を抑え、跪いた。それを、見下ろすシエンは顔に返り血を浴びており、アドニス達といた頃の無邪気な表情はない。

 

 あるのは冷徹で残忍な、王と呼ぶに相応しい風格。


「うわー、痛そう」


 泣き叫ぶキールを見ながら、乱入者である少年がそんな言葉を吐いた。そして剣を担いだまま、シエンの下へと歩む。


「ちょっとシュタイン。王城襲撃はまだのはずだけど? おかげで私の計画が狂っちゃったじゃない」


 シエンがその少年――シュタインへと非難の目を向けた。


「いやあ、なんか竜王の気配の感じたからついつい。まさか、姫様がいるとは思わなかったので。もしかして、ファルゼンで寝ているのは……」

人形ヒトガタよ。だってアゥマが王都に言っちゃ駄目だってうるさいから。ま、結局串焼きは食べられなかったわ。残念ね」


 まるで当然とばかりにシエンが肩をすくめた。


「にしたって……【天魔】の力まで封印していくなんて無謀過ぎますよ。何かあったらどうする気ですか」


 シュタインが信じられないとばかりの口調でシエンを責める。


「おかげで、正体がばれずに済んだし良いのよ。今回の竜王と竜共の力も少しだけ見れたし、偵察したかいがあったわ。封印もさっき解いたから今はもう大丈夫よ。あー! 身体が軽い!」


 晴れやかな表情で大きく伸びをするシエンを見て、キールが叫ぶ。


「なんなんだ……お前らはなんなんだ!」


 そんなキールを見たあと、シュタインとシエンが顔を見合わせた。


「今さら正体を知ってどうする気かしら?」

「さあ? 地獄で新聞屋でもやるんじゃないでしょうか」


 そんなとぼけた会話をする二人を前に、キールが取った行動は無様だった。彼は剣を放り投げると、一目散に王城の外へと続く隠し通路の方へと逃げる。


 だがそれはあまりに無駄で、そして無謀だった。


「質問したのなら、ちゃんと答えを聞いてから逃げなさい。常識でしょ?」

「ひいいいいいい!」


 一瞬で先回りしたシエンが、まるで子供を叱る母親のような表情をキールに向けた。


「というわけで、貴方にだけ特別に教えてあげるわ――シュタイン、〝六道衆〟を招集なさい。既に王城は落ちた。残党狩りは手下に任せたらいいわ。あのクロンダイグ王もただの老人だったし、この王都に我々の脅威となる者はいな――いやいるけど、まあ逃げてるだけみたいね、今は捨て置きましょう」

「――かしこまりました。すぐに招集をかけます」


 シュタインの返事にシエンが妖艶に笑うと、キールの足を掴み、彼を引きずりながら、崩れた玉座へと進む。


「いやだ! 死にたくない! 助けてくれ!」

「うるさいわね」


 シエンがその細い見た目に反して、尋常でない膂力でキールを玉座の下に放り投げた。


「ぎゃああああ!!」


 その衝撃で、キールは気絶してしまった。


 そしてしばらくの時が経ち、目を覚ますと――謁見の間に異常なほどの魔力の渦が五つ巻き起こっていた。


「〝渾天こんてん……アゥマ〟」


 シエンがその渦を見て、呟いた。


「――姫様。遊びが過ぎますぞ。このアゥマ、どれだけ心配したか。ああ、クロンダイグ王なら先ほど死にました。ついでに逃げる竜王にもちょっかいをかけております。まあ無駄でしょうが」


 現れたのは、漆黒の狩衣を着た陰陽師――アゥマ。彼はそんなことをのたまいながら、手に持っていた、赤を基調としたムカデと花の紋章があしらわれた布――振袖と呼ばれるキサナギ独特の衣装――をまるでマントかのようにシエンへと羽織らせた。


 別の渦に人影が映る。


「〝九渦くか……レーヴ〟」

「――ったく。今回の姫様はやんちゃが過ぎる。ちったあこっちの身にもなってくれ」


 愚痴りながら渦から出てきたのは、九尾と狐耳を持つ青年――レーヴ。その手には、やけに幅広の大剣が握られていた。その刃はなぜか節くれ立っており、両側がノコギリ状になっている。その形はどことなく、ムカデを想起させた。


 そんな大剣を、振袖を肩で羽織ったシエンが受け取った。


 別の渦が蠢く。


「〝都知久母つちぐも……トワル〟」

「――あっけないものだ……国とは……人とは……。我らという毒に、耐えられるものなぞいないという事がまたもや証明されてしまった……」


 ブツブツと呟くのは、妙に膨らんだ白衣に、眼鏡を掛けた青白い顔をした細身の青年――トワル。その白衣が広がると元々ある腕とは別の、まるで蜘蛛のような四本の手が伸び、昆虫の外殻を模したような黒い鎧をシエンへと装着させていく。


 赤い振袖に黒い鎧が、シエンの白髪に良く映えていた。


 更に別の渦から小さな影が飛び出した。


「〝黒鴉こくあ……コルウス〟」

「――喚ばれて飛びでてひゃっほーい! コルウス君参上! あれ? 王は? ぶっ殺した? 早くない?」


 軽薄な声と共に、背中の翼から黒い羽を巻き散らすのは、やけに鼻の高い仮面を頭に乗せ、足下には一本歯の下駄と呼ばれる不思議な形状をした履物を履く美少年――コルウス。


 その騒々しい声にシエンが笑みを浮かべながら、ハイヒールのようになった脚甲でカツカツと床を叩きながら玉座へと歩んでいく。


 最後の渦が消え、巨体が音も無く現れた。


「〝ぬえ……キクレー〟」

「……相変わらずうるせえ奴等ばっかりだな。特に馬鹿天狗、お前はあと五百年ほど口を閉ざしてろ」


 低く重い言葉を発したのは、虎の顔を持ち、猿のような手と尻尾の代わりに生えている蛇が特徴的な、屈強な肉体を持つ男――キクレー。


 キールを踏み台にシエンが崩れた玉座へと腰掛ける。そのスカートから覗く艶めかしい脚を組んで、最後の一人の名を発した。


「そして――〝童子〟……シュタイン」

「……シエン・百夜様。これにて〝六道衆〟、全員参上いたしました」


 シュタインがそう言って、剣を床に置き、跪く。現れた五人の男達全員がそれに従った。それは、人外めいた彼等よりなお、上の存在がいることに他ならない。


「ご苦労様」


 そう声を掛けるシエンを見て、キールはようやく、自分が手に掛けようとした者がとんでもない存在であることに気付く。


 だが、それはあまりに遅すぎた。


「というわけで、自己紹介するわ。我は桜舞帝国キサナギが皇帝の実子にて、〝天魔〟の力に目覚めし者――シエン・百夜。ああ、そういえばこっちでは、私のような存在をこう呼ぶそうね――」


 そこで一拍置いて、シエンが大剣を振り上げると同時にキールへと微笑む。


 それがキールの見た最後の光景だった。


「――〝〟と」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る