第39話:赤い狼煙


 クロンダイグ城――謁見の間


 玉座に座りながら肘をついて、ため息をつくクロンダイグ王――ハルヴェイに、隣に立つ宰相が恐る恐る声を掛けた。


「つ、次の者を呼んで構いませんか……?」

「構わん、通せ」

「はっ! 次は、ええっと……」


 宰相が謁見の予定が書かれたスクロールを見て、首を傾げた。


「おや、次はカドニア侯爵の予定でしたが……急遽変わっていますな。……家の者、だそうです」

「スニドア? どこの貴族だ?」

「おそらく、成り上がりの一代貴族かと」


 宰相の言葉に、ハルヴェイが頷く。王政や経済、戦に貢献した平民に与えられる、文字通り一代限りの貴族の位である〝一代貴族〟についてはここ数年で把握しきれないほどに増えている。紋章官であれば詳細は分かろうが、それを呼ぶ暇はハルヴェイにはなかった。


「……今は非常時だ。あしらうからさっさと通せ」

「かしこまりました。では――スドニア家の者よ、入るが良い!!」


 宰相の言葉と友に、謁見の間の重々しい扉が兵士によって開いていく。


 入ってきたのは、フードを目深に被った男と、その後ろに立つ三人の女だ。


「なんだ貴様ら!! 王の御前で顔を隠すなど!!」


 宰相が怒鳴るが、その四人はハルヴェイの前まで歩くと――そのフードを上げた。


「お、お前は!!」


 宰相が目を見開き、そのフードの下にある顔を見た。

 そして、ハルヴェイが身じろぎもせずに鼻で笑う。


「ふん、スニドアか。つまらん偽名だな」

「……久しぶりですね、父上」


 先頭にいた男――アドニスが玉座に座るハルヴェイをまっすぐに見つめた。


 アドニスの頭の中で想起されるのは、あの追放された時の場面だ。唯一の味方であり、尊敬する師であった賢者の死。


 忘れるわけがない。


 賢者亡き後、あの場に味方なんて誰一人いなかった。


 だけど今は違う。


「――随分とやつれていますね。酒の飲み過ぎでは? メイドの教育がなっていませんね」


 タレットがハルヴェイを見て、尊大にそう言葉を投げた。


「覇王というから期待してみれば……ただのつまらん男じゃないか。まるで覇気がない」


 カグツチがハルヴェイを一瞥すると、落胆したような表情を浮かべる。


「ええっと……お二人さん!? あの人ってクロンダイグ王ですよね!? 不敬罪でヤバくないですか!?」


 そして、ここまで連れて来られたシエンが泣きそうになりながら、訴えていた。


「タレット。やはりお前はまだミナーの遺志を……」


 ハルヴェイが表情を変えずに、タレットを見つめた。その視線には複雑な感情が宿っていた。


「――言葉も返さず、目すら合わせないのですね……父上」


 ようやく口を開いたアドニスだったが、そのまっすぐな視線を、ハルヴェイを無視していた。


 いや、存在すらも無視しているように見えた。


「え、衛兵!!」


 ようやく事態を飲み込んだ宰相が声を上げると、控えていた兵士達が槍をアドニス達へと向けた。


 しかしアドニス達は、シエンを除いて指一つすら動かさない。


「あたしは無関係ですうううう!!」


 シエンが叫ぶも、誰もそれを聞いていない。兵士達がじりじりとアドニス達に近付く中、アドニスは笑みを浮かべ、口を開いた。


「たった数か月で……随分と老いましたね父上。〝謁見に警護も衛兵などいらぬ、俺がいる限りそれが最高の武力であるからな〟と豪語していたのが嘘のようです」


 アドニスが、ハルヴェイを睨む。


「随分と……軽い口を利くようになったな。偽りの玉座はそれほど心地良いのか?」

「同じ王という立場になって色々と見えてきただけです」

「軽々しく王を語るなよ、青二才」

「老王が言いそうな言葉ですよね、それ」


 そんなアドニスの皮肉を聞いて、宰相が激怒する。


「貴様!! 追放された身で勝手に領土から独立し、そのような暴言!! 万死に値するぞ!! お前のようなクズが何を語――ひっ」

「――?」


 宰相がカグツチから発せられた殺気に当てられ、腰を抜かす。兵士達もアドニスまで十歩ほどの距離から近付けないでいた。彼等は優秀な兵士であり、ゆえに本能的に察していた。


 これ以上近付けば――死ぬと。


 それほどに、カグツチとそしてタレットから迸るような殺気が放たれていた。チリチリと肌を焼くようなその殺気を感じてなお、前進できる兵士はこの場にはいなかった。


「タレットの仕業だろうが、わざわざこのような不意打ちで、何しに来た」

「べラノ兄さんの処遇や先の戦争の賠償金について……ですが」

「ミナーについてか」


 ハルヴェイの重苦しい言葉に、アドニスが頷く。


「その通りです」

「お前の母親は死んだ。それにベラノとキールの馬鹿共が関わっていることも知っているな」

「ええ」

「ならばそれ以上はない。ミナーに発情したあの馬鹿共がミナーを犯し、そして勢い余って殺した。当然、そんな醜聞は外に出すわけにはいかないから揉み消した。話は以上だ」


 まるで話は終わったとばかりに、ハルヴェイが手を払った。


「――ふざけるな。なんで母さんがそんなくだらないことで死ななきゃならないんだ! なんで隠した!! なんであの二人は許された!! なんで……僕には何も教えてくれなかった」


 アドニスも、ベラノの言葉で何となく察していた。母が病死ではなく、殺されたということを。だからこそ……それを知ってなお、何もしなかった父親が許せない。


 悲しみが、怒りを覆い尽くす。


 王宮内で疎まれていることを知りながら明るく振る舞った母が好きだった。

 陽光に当たると、深い緑にも見えたあの長く綺麗で黒い髪が好きだった。

 内緒だよ、と魔術をこっそり見せてくれた時の、あの子供みたいな表情が好きだった。


 なのに……なんで


「それは貴様が……無能だからだ。ミナーの力を何一つ継承しなかった。俺の期待に応えられなかった。お前もミナーも」

「力……なんだよそれ。竜王のことじゃないのか!?」

……いやある意味、そうなのかもしれんな。お前が生まれたせいで、魔王が生まれ、魔物が生まれ、帝国が蘇った。全て全て……貴様が原因だ! アドニス!!」

「竜王の何を知っているんだ!? あんたは僕のスキルの存在すら信じなかった! それが何を今さら!」

「分かるさ……分かったんだ。そしてもう……手遅れだ。俺は間違っていたんだ……ミナーを連れてくるべきではなかった。子を生ませるべきではなかった!!」

「それはどういう意味で――っ!?」


 アドニスがハルヴェイへと詰め寄ろうとした瞬間――


「な、なんだ!? 何が起きた!?」


 宰相が叫ぶと同時に、謁見の間に兵士が飛び込んで来る。


「へ、陛下!! 王都各地に……ま、魔物の軍勢が!! それに王都の西側に帝国軍が!!」

「な、なんだと!? ありえん!! 帝国軍は今朝の報告ではまだファルゼンにいたはずだ!!」


 宰相が狼狽えている隙に、ハルヴェイが玉座から離れると、素早くバルコニーへと出た。


「お、王! 危険です!」


 止める宰相を無理して、ハルヴェイがバルコニーから王都の南側を見渡した


「街が……」


 ハルヴェイの横にいち早く駆け付けたアドニスが絶句する。


「ここまで侵攻されていたか……!」


 アドニスの見える範囲だけでも、東の三番地区、南の六番地区、そして西の九番地区全てが赤いモヤに包まれており――



 まるで狼煙のように赤い煙が空高く昇っている


 それはまさしく――虐殺の合図となった。

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