第37話:魔物と少女


 クロンダイグ王国、王都ザレド――〝三番地区〟


 クロンダイグ王国が誇るこの王都はほぼ円に近い形になっており、クロンダイグ城を中心として、それぞれの区を時計になぞらえて数字で呼んでいた。


 例えば王城から真北に位置する土地は十二番地区であり、貴族街となっている。反対に南の六番地区は貧民街であり、用もなく近寄る者は少ない。


 そんな王都の東側にある商業区――三番地区の賑やか大通りを、ローブを纏いフードを目深に被ったアドニスとカグツチが並んで歩いている。


「活気があるな。それに多種多様だ。だが……にわかにザワついている」


 カグツチが感心したように呟いた。それにアドニスが答える。


「それがクロンダイグだよ。元々は小国だったからね。でも、確かに慌ただしいね」


 大通りの両側には沢山の露店や宿、酒場が並んでおり、そこには様々な民族や文化が混じっている。大陸中央部をそのまま飲み込んだクロンダイグ王国らしい様子であり、アドニスは少しだけそれに懐かしさを感じると同時に、王として、父が成し遂げた事の偉大さが少しだけ理解できたような、そんな気持ちになっていた。


 しかし、どうにも皆が不安そうな表情を浮かべていた。中には、荷物をまとめて出ていこうとする住民もいて、アドニスは来る戦乱を予感させた。


 そういえば王都に入る時、やけに荷物を多く持った人々が東へと去っていくを見た。


「帝国軍が近くまで来ているのかもしれない」

「……長居はできんな」

「うん。早く父に会わないと」


 だが彼は、父である覇王と会うことを分かっていながらも、ずっとあの襲ってきた謎の青年とカグツチ達竜姫の過去が頭から離れなかった。


 彼も勿論、何度も竜姫達に過去について聞いたことがあった。しかし、彼女達は曖昧な戦いの記憶しか持ちあわせておらず、過去は過去とアドニスも流していた。だがここに来て、その過去が現実の脅威となって目の前に現れ始めている。


 カグツチがあの青年によって思い出せたことは少ない。


 彼女がキサナギ出身であること。

 あの青年がキサナギ独特の魔術――陰陽術に長けた存在である陰陽師の力を借りて人形となって襲ってきたこと。

 彼女は元々、キサナギ側に与していたこと。


 そのどれもがやはり曖昧な記憶であり、あの青年の正体も分からずじまいだ。


〝なぜ向こうは全て記憶していて、こちらだけ記憶がないのかは分からない。だが……今の私はアドニス君の味方であることは絶対だ〟


 カグツチのその言葉だけでアドニスは十分だった。だから、この件についてはドラグレイクに帰ったらゆっくりと考えようと思っていた。


 今優先すべきは、目の前のことだ。


「ここをまっすぐ行けば、王城前広場に着くよカグツチ」

「この大通りといい、あの城といい、立派な街だな。流石は大陸一の大国だ」


 余計な飾りは取っ払い、ただただ堅牢さを求めた無骨なクロンダイグ城の威容を見て、カグツチが目を細めた。


「あの城にはあまり良い思い出はないんだけどね……」

「そうか。今はドラグレイクがアドニス君の故郷だ。気にすることはないさ」


 カグツチが、少しだけ感傷的になっているように見えたアドニスへとそう微笑み返す。


「ありがとう、僕もそう思っているよ。少しだけ……郷愁に浸っているだけ」

「なら良いし、無理する必要はない」

「カグツチは優しいね。でも、大丈夫。とりあえず父に会う段取りはタレットが既にしてやってくれているはずだから、待ち合わせを予定している王城前広場の近くにある酒場に向かうよ」

「了解だ」


 アドニスその言葉と同時に、大通りの先がにわかに騒がしくなった。


「なんだろ?」

「魔物の気配がするな」

「……行こう」


 アドニス達が走る始めると、前方から慌てて逃げてくる男がいた。


「ま、魔物が出やがった!! あんたらも逃げろ!」


 青ざめた顔をした男が、アドニス達の前方を指差した。


 見れば、大通りの先で赤い小さなナニカが群れで人々を襲っていた。


 それは子供ほどの背丈しかない、赤い皮膚が特徴的な人型の魔物で、異常に突き出た腹部に反して手足は細く、その手には血の滲んだ棍棒が握られていた。


「あれは?」

「あれは……餓鬼だ」


 カグツチが吐き捨てるようにそう答えた。


「ガキ?」

「ああ、ろくでもない魔物で、群れで人間を襲うし、喰われた人間もまた餓鬼に成ってしまう。そもそもこんな街中にはいないはずだが……」

「止めないと!」


 カグツチが頷くのを見て、アドニスが疾走を開始する


 その先では逃げ惑う人々の悲鳴と怒号が飛び交っている。見れば、既に襲われた商人らしき男が、急激に膨れた腹部を揺らしながら、自分が先刻まで必死に守ろうとしていた妻へと手を掛けていた。


 アドニスが杖の先から炎の刃を出し、こちらへと飛び掛かってくる餓鬼をまとめて炎槍で薙ぎ払う。


「強さはさほどでもないけど……数が多い!」

「犠牲無しには難しいな」


 カグツチが赤熱化した刃を振りかぶるも、無人の荒野ならいざ知らず、このような人が多い場所で使えば周囲への被害は免れない。結局、飛び掛かってきた一体を斬り伏せるに留まった。


「カグツチは確実に一体ずつ倒してくれ。僕が何とかする」

「分かった」


 アドニスが、餓鬼化した元酒場の給仕らしき女性を炎槍で叩き斬り、前へと進んでいく。今は感傷に浸る余裕も時間もない。


「酷い……酷すぎる」


 餓鬼達の群れの中心はまさに地獄だった。身体の半分を喰い千切られた子供が、母親らしく女性の腕を囓っていた。恋人同士だった男女がお互いの足へと噛み付いたまま絶命している。


 もはや、無事な者などいないように見えた――その時。


「……っ!! あの子は……!」


 血と臓物で塗れた地獄で、その銀色にも見える白色の髪はあまりに鮮明で、アドニスの目をくぎ付けにしていた。


 長い白髪に、真っ赤な瞳。それは自分とさして年齢の変わらない少女だった。町娘のようなワンピースを纏っており、アドニスには、今にもその少女が餓鬼に襲われそうに見えた。


 一体の餓鬼がその少女へと手を伸ばす。


「危ない!」


 アドニスが疾走。目の前に救える命があるなら、放ってはおけない。


 炎槍が少女へと手を伸ばした餓鬼へと突き刺さり、その身体を炎上させる。それに驚いた少女をアドニスは抱えると、炎槍を一閃。周囲にいた餓鬼が全て燃え上がり、灰と化した。


「……凄い」


 少女がそんな事を呟くのを耳にしながらアドニスが杖を地面へと突き立てた。


「――【スピアルーツ】」


 その言葉と共に、地面から次々と槍のように尖った木の根が突き出て、餓鬼達だけを串刺しにしていく。見えている範囲全ての餓鬼が絶命し、範囲外に逃げたものは、確実にカグツチが狩っていく。


 餓鬼の死体は全て黒い灰となって、風で消えていった。


「――君、大丈夫?」


 餓鬼の気配が消えたことを確認して、アドニスが抱えていた少女を離した。


「うん。大丈夫。凄いね君!! こんなに強いクロンダイグ人がいたなんて知らなかった!!」


 少女がぴょんと飛び跳ねながら、満面の笑みを浮かべる。アドニスはその笑みを見て、なぜか頬が熱くなるのを感じた。それほどにその少女の天真爛漫な笑顔が素敵で、何よりその顔は、竜姫達に勝るとも劣らないほどに整っていて綺麗だった。


 だがこの凄惨な状況の中で、笑顔を浮かべられる彼女の存在に、胸がザワつくのを感じる。


「あたしはシエン! 君は?」


 少女――シエンがにこやかにそう言って、アドニスの手を握った。


「僕は……アドニス。ただのアドニスだよ」

「ありがとうね、アドニス。私を助けようとしたんでしょ?」

「うん。よく無事だったね」

「あはは、昔からあたしって、運が良いから」


 シエンがそう笑うと、やってきたカグツチを見て、知り合い? とばかりにアドニスを見ながら首を小さく傾げた。


「ああ、彼女は僕の仲間のカグツチだよ」

「そうなんだ。強そうなお姉さんだね」

「この子は……?」


 カグツチの問いにアドニスが事のあらましを説明する。


「なるほど。いずれにせよ、良く助かったな……」

「……そうだね」


 周囲の惨状に気付いたのか、シエンがそこでようやく笑顔を引っ込めた。


 死体とそれにすがりつく人々。なにが起こったか分からず呆然とする商人達。慌ててやってきた王都の衛兵や騎士達。


「――行こうか。騒ぎになって見付かるのもマズイ」

「そうだな」


 アドニス達が、こちらを指差す騎士達を見付けて、足早に去ろうとする。


「お、おいお前ら! 待て!!」


 それに気付いた一人の騎士が声を上げた。


「あ、なんかヤバそうな雰囲気!」

「逃げよう」

「了解だ」


 アドニスとカグツチが走り始めるが――


「もしかして――お二人さんはワケあり?」

「あ、君、なんでついてくれるんだ!」


 なぜかシエンがそれを追いかけてきていた。


「あの場に残ったら絶対にめんどくさいもん! あたし衛兵とか騎士とか嫌いだし」

「いや、うーん」


 煮え切らないアドニスの言葉に、シエンが、それ以上何も言わなくても良いとばかりに深く肯いた。


「うんうん、大丈夫。よし、お礼にこのシエンちゃんが手助けしてあげよう!」

「へ?」

「なんかワケありなんでしょ? 王城前広場に行こうとしているのだろうけど、このまま素直にまっすぐに行くのは危ないかもよ? とっくに騒ぎを聞き付けて騎士達が包囲してる可能性が高いもん。魔物を一匹でも逃したら大変でしょ?」

「それは……まあ」


 その言葉はもっともだった。そもそも、こんな街中――しかも王城のすぐ近くで魔物騒ぎなんて起きたら、王城前広場はその周囲は、沢山の騎士達によって封鎖されてしまうだろう。


「お兄さん達旅人っぽいけど、あんまりこの王都の地理に詳しくないでしょ? 裏路地使えば見付からずに行けるし、あたしなら案内できるよ」

「裏路地か……」


 確かに、アドニスは王都自体の地理については疎い。なんせ人生の殆どを王城内で過ごしたせいだ。ざっくりとした大通りの位置関係は分かるが、裏路地となると全く検討がつかない。それはカグツチも同様だろう。


「ちょっと複雑だし臭いけど……このまま進むよりは見付からないと思うよ」


 その提案に乗って良いかどうかはどうか分からない。だが、アドニスはなぜかこの少女と離れない方が良いような気がしていた。


「……どう思うカグツチ」

「どうとでも。私達をこの子がどうこう出来るとは思えない」

「だよね。うん、じゃあシエン、案内よろしくね」

「お任せあれ~! じゃあこっち! 騒ぎになっている今がチャンスだよ!」


 こうして、アドニスはシエンと共に行動をすることになった。

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