第34話:魔の手

 ドラグレイク竜王国――大樹の館


 執務室で、溜まっていた書類仕事を終え一息つくアドニス。


「兄の様子はどう?」


 丁度そこへ、試験農園についての報告をしにやってきたスコシアへとアドニスが問うた。


 ベラノを捕虜にして一週間。彼は一切の抵抗を見せず、そして何も語らなかった。アドニスもあれから母について問うこともなかった。聞きたい気持ちと、聞いたところで話さないだろうという決めつけが彼にそうさせていた。


「大人しくしてますよ。諦観したような感じですね。その余裕さがムカつきますが」


 普段からこの館に滞在しているスコシアとヨルムンガンド、そしてその配下の眷属達が館周辺を警護しており、その中でもスコシアが主にベラノの監視役となっていた。


「嫌な役を押し付けてすまないとは思っているよ」


 スコシアとベラノとの確執を知っているだけに、アドニスがそう謝るも、彼女は笑みを浮かべる。


「構いませんよ。ああなったらあいつはもはや、王子でもなんでもなく、ただの魔術師ですから、私が適任なのは理解できますし。ああ、そういえばあいつから伝言があります。聞きますか?」

「もちろん」

「では――」


 スコシアが持っていた杖の先端をトンッと床へと当てると、そこから白銀のモヤが立ちのぼり、それがやがて人のような姿になっていく。


 そのモヤの顔の部分にある穴が器用に動き、ベラノと全く同じ声を発した。


『――アドニスに伝えて欲しいことがある。まず第一に、父上に対して俺を使って交渉しても無駄だ。例え第一王子だろうが、虜囚の辱めを受けた人間は容赦なく切り捨てるのがアイツのやり方だからな。だから、お前らにはもうクロンダイグとの全面戦争しか道は残されてはいまい。もはやどっちがどうなろうが俺は知ったこっちゃないが精々頑張る事だな』


 冷静かつ投げやりなその言葉に、アドニスはため息をつく。


「それで終わり?」

「いえ、まだ続きが」


 スコシアの言葉と共に、モヤが再び音声を発しはじめた。


『俺の処遇については好きにするといい。殺すなり、無駄と分かってても交渉に使うなり。ふん、化け物に成り下がった貴様に道理を説く気はないが、敵国の王子を安易に抱えておくことは厄介事しか産まないぞ。ああ、そうそう、お前の母親についてだが――』


 その言葉に、アドニスが目をスッと細めた。


『――拷問されようが俺から話す気はない。次兄のキールなら喜んで話しそうだから聞くならあいつに聞くことだな。父上もおそらく真相を知ってなお知らない振りをしているだろうから聞いても無駄だぞ。くくく……ああ、思い出すだけで愉快だ。その思い出だけが今の俺を癒やす。あの表情が今でも劣――』


 その言葉の途中でモヤが突如立ち消えた。


「これ以上はお伝えするに値しない言葉だったので記憶させていません」

「うん、ありがとう。大体は分かったし、まあ予想通りではあった」


 アドニスが、大きく息を吐いて、椅子の背もたれへと体重を預けた。


 ベラノの言う通り、彼の身代金や今回の戦に対する賠償金について、王都には何度も書簡を送ったが返事はなかった。使者を送ることも現在検討しているが、あの覇王のやり方を知っている以上は、使者の無事が保証できないため、アドニスは安易に使者を送ることを良しとしなかった。


「やはり……使者を送るべきでは? 先の戦いでかなり資金が減ったみたいですし、せめて使った分はクロンダイグから徴収しないと割に合いません。何なら竜姫達を送りこめば、少なくとも身の危険はないのでは?」


 そのスコシアの提案にアドニスは力無く首を振った。


「王都が灰燼と帰す結果になりそうだからね……」

「ああ……うーん……ヨルちゃんだけとかならそんな無茶はしないと思うけど」

「彼女達を信頼していないわけではないけども、あの父が使者を丁重に扱うとは思えない。下手したら刃を向けられる可能性がある。そうなった時に、どうなるか分からない以上は行かせられないよ」

「確かに……しかしベラノの言う通り、彼を抱え込んでおくことはあまり私も賛成できません」

「僕だって嫌さ。だけども、現状はそうするしかな――ん?」


 アドニスがそこで、なんだか妙に懐かしい気配を扉の向こうに感じた。


 同時に、扉が勢いよく開く。


「っ!? 誰!?」


 驚いたスコシアが咄嗟に扉の方へと杖を向けた。少なくともこの執務室の扉をノックも声掛けも無しに開ける存在はこのドラグレイクにはいない。


 それはつまり、敵ということになる。


 そう判断しての行動だったがーー


「よう――、アドニス」


 向けられた杖を気にすらせず、そう挨拶しながら入ってきたのは、燃えるような赤髪に黒衣を纏った魔女だった。


「カレッサさん。久しぶりですね」


 アドニスが微笑みを浮かべ、椅子から立ち上がった。スコシアが驚きながらも杖を引っ込める。


「はん、そっちのちっこいのも成長したな。前はいきなり魔術をぶっ放されたが」

「むー、いつもいきなり過ぎるんですよ貴女は」


 アドニスをこの地で待ち、そして七竜召喚の方法を教えた〝竜の魔女エキドナ〟――カレッサが、拗ねるスコシアを見てからかうように笑うと、アドニスの前へと立った。


「良い面構えになったな。今は竜姫を四人目まで召喚済みか」

「ええ。おかげで何とかやれています」

「だろうな。サリエルドもミルムースも見てきたが大したもんだ。よりよっぽど上手くやっている」


 カレッサが壁際にあった椅子を引きずってくると、執務机の前でそれにドカリと座った。


「さて、色々と話したいところだが、あまり時間がない」

「時間……?」


 アドニスも椅子に再び座ると、カレッサに話を促した。


「アドニス――まず、お前は自ら王都へと向かい、あの覇王と決着を付けるがいい。護衛に竜姫を誰か一人だけ連れていくことを勧める。それで問題はとりあえず解決するはずだ。お前の考えている通り、何人使者を送ったって無駄だ。クロンダイグはお前もお前の国も認めちゃいないし、何より――


 カレッサの言葉に、アドニスが不穏な空気を感じた。

 

「どういうことでしょうか? 一方的に領土から独立した国に大敗して、第一王子を捕らわれてなお、それどころではない状況とは」

「かの王国は、現在――西

「西……? ですが西には〝絶流海峡〟が……もしかしてここと同じように西部が独立したとか?」

「いや、まさにその、〝越えられずの海〟を渡ってやってきたのさ――帝国が。魔物達を引き連れて」


 その言葉にアドニスもスコシアも驚く。


 かの海の更に西と言えば、幻やおとぎ話に出てくるあの島々の事だろう。だがそれはあくまで空想の話であり、数百年前の、そこには確かに島があり、とある帝国が支配していたという、記録が残っているに過ぎない。


 だからこそ、信じられなかった。


「桜舞帝国キサナギ……実在いや、まだ存続していたのですか?」

「もちろんだ。そしてついに、その研ぎ澄まされた牙が――このリダルシア大陸へと向けられた」

「再び……?」


 アドニスの疑問に、カレッサが意地の悪そうな笑みを浮かべて答えた。


「前も言ったろ? お前達が知っている歴史は――ほんの上澄みに過ぎないと」

「魔物を引き連れてということは、ここ最近大陸全土で魔物が発生、活性化したのと関係があるのですね」

「その通り。そして、お前にも深く関係がある話だ――竜王よ」


 前回と違い、次期竜王と呼ばなかったカレッサに、アドニスは内心で少しだけ喜びつつ話を進める。


「【竜王】のスキルに、魔物の発生や活性化を抑える効果があることと関係しているのですね」

「ああ。詳しく話す暇はねえし、どちらかと言えばお前自身で色々と知った方が良いので深くは話さないが、お前は言わば、盾のような存在だ」

「盾? ですか」

「そしてかの帝国と魔物が、矛だ」


 その言葉にアドニスが頷く。


「つまり……帝国の侵略に対抗するために、【竜王】はあると」


 カレッサが無言で頷く。


「……父はこれを知っているのですか」

「知っていたらお前を追放なんてしなかったと思うがな。だが、知る機会はあったはずだ。それに耳を貸したかどうかは不明だが。全てはお前の馬鹿な兄共のせいだな。あいつらのせいで全てが狂ったのだろうさ」

「兄が……?」

「それもまたお前自身で知るといい。それも含め、お前は一度王都に戻るべきだ。そして真実を見てくるんだ」


 カレッサの言葉にアドニスが、少しだけ思案した末に頷いた。


「そうですね……その通りです」

「アドニス様自ら向かわれるのは危険では」


 スコシアが思わずそう発言したが、カレッサがそれを否定した。


「竜王と竜姫が行って危険な場所なんてこの大陸には存在しねえよ、。だが、そうでなくなる時が迫っている。だから――時間がないんだ」


 そう言って、カレッサが立ち上がった。


「さて言いたいことは言った。あたしはまたここを離れる」

「助言感謝します、カレッサさん」

「じゃあ精々、気張れよ竜王」


 去ろうとするカレッサの背へと、アドニスが言葉を投げる。


「カレッサさん。一つだけ良いですか」

「一つだけなら良いぜ。答えるかどうかは別だが」

「貴女は――


 アドニスの言葉に、カレッサの歩みが止まった。


「かはは……誰の為かって? そりゃあ勿論――


 背を向けたままのカレッサの言葉。その表情をアドニスは窺い知ることは出来ないが、彼女はそれだけを言い残すと、去っていった。


「星の為、か。答えていないのと一緒ですよそれは……」


 そうしてアドニスはため息をついて、王都へと向かう際に、誰を連れていくかが最適かを思考しはじめたのだった。



☆☆☆



 城塞都市サリエルド、領主の館。

 中央にいくに連れて高くなるサリエルドで、最も高い場所であろう、館にある尖塔の屋根の上。


 そこに人影があった。その人影は右手の親指と人差し指をくっつけて輪を作ると、それを目に当てて、東方――ドラグレイクの方へと目を凝らしていた。


「なるほどなるほど……あれが拠点か。馬鹿みてえにデカい樹を生やしやがって……ったく、不届き者がいるから来てみりゃ、なんだよ、竜王じゃねえか。クソ雑魚ペテン野郎じゃなかったってことか……かはは、悪くねえ」


 嬉しそうに口角を歪めるその影は、涼しげな目元の、見た目麗しい青年だった。このリダルシア大陸では見かけない、長い布を一枚だけ使った独特の民族衣装を動きやすいように改良しており、腰には反りの入った小刀を差していた。


 だが何より目を引くのは、その黄金色の髪と同色である頭部から生えたと――背中の後ろに広がるフサフサのだった。


「〝姫様〟には、まだちょっかい掛けるなと言われたが……今回の竜王がどの程度か、するのも――悪くねえな」


 青年が邪悪な笑みを浮かべると共に、その血のように真っ赤な縦長の瞳が妖しく光る。


 風が吹くと同時に――尖塔の上から気配が消えた。まるで、最初からそこには何もいなかったとばかりに。


 アドニスに文字通りの意味で、〝魔の手〟が迫る。

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