第32話:激昂


「アドニスうううううう!!」


 ベラノが唾を吐きながら顔を歪ませ、目の前に立つアドニスの名を叫んだ。その顔には、王子という肩書きを脱ぎ捨てた、剥き出しの感情が宿っている。


「久々の再会がこのような形になったことはとても残念です」


 対照的に、アドニスの顔には何の感情も浮かんでいない。


「黙れ!! すぐにこの拘束を解かせろ!!」


 左右に立つ美女と少女――ティアマトとユグドラシルを睨むベラノを見て、アドニスはため息をついた。


「敵軍の長である貴方を解放する道理がありません。諦めてください」

「外道が……お前が手にした力は外道の力だ! こんなバケモノどもを使って、何を悦に入っている!! やはりお前は!」


 ベラノが歪んだ笑いを浮かべ、この状況でなお、憐みの視線をアドニスへと向けた。


「バケモノを使役して、王と呼ばれて満足か!? お前のような者が追放されたとはいえ我がクロンダイグ王家にいたことを俺は恥に思う! 俺を殺したところで、キールが、いや父上が放ってはおかないぞ!! お前も知っているだろ、あの征服好きの馬鹿共がいかに凶悪かを」

「だから……なんです? そちらが戦争を望むなら迎え撃つまでですよ。僕を魔王と呼ぶのは結構ですが、良いのですか? 僕をまがりなりにも王と認めていますが。まあ、貴方達が認めようが認めまいが、クロンダイグ王国第一王子率いる軍を見事に撃退した独立国家があると、周辺諸国には存分にアピールできました」


 アドニスの冷たい言葉に、ベラノが唇を噛む。


 こいつは……? あの弱々しい、いつも俺達の影に隠れていたあの黒髪の少年と同じ人物なのか?


 アドニスのその変わり果てた態度と冷めた表情を見て、ベラノはようやく怒りよりも恐怖の感情が湧き上がってきていることを感じていた。


 こいつは……弟の皮を被ったバケモノなのかもしれない。


「兄さん……いえベラノ王子。貴方をここで始末する気はありません。貴方には、クロンダイグ王国との今後の取引の材料として使わせていただきます」


 それだけを告げると、アドニスがベラノに背を向けた。もはやこれ以上話すことはない。


「殺す! お前は絶対に殺す!! お前みたいな出来損ないが調子に乗っている姿を見ているだけで反吐が出る! 俺を……俺を誰だと思っている!!」

「ティアマト、ヨル。死なない程度に弱らせてドラグレイクへと連れて帰る。あとはよろしくね」


 ベラノの言葉を無視して、アドニスがにわかに殺気立つ二人の竜を鎮めるようにそう声を掛けた。


「逃げるのかアドニス! こんなことになるんだったら……!」


 その怨嗟の声で、アドニスが歩みを止める。


「……何の話ですか」


 背を向けたまま、ここで初めてアドニスが声に感情を滲ませた。


「ん? なんだお前知らなかったのか? そりゃあそうだよなあ!! お前はあの魔女ははおやの死について何も聞かされてないもんなあ!! アハハ!! 教えて欲しけりゃ解放しろ!!」


 アドニスが笑いの混じったその言葉を聞いた途端にくるりと反転、蔦で拘束されたベラノへと迫り、その襟元を掴んだ。


「今すぐ吐け」

「かはは……ようやく人間らしい表情になったなアドニス!!」


 怒りの形相でベラノを睨むアドニスが、その嘲りの言葉を聞いて右手を振りあげる。


「殴るのか? いいさ殴れよ。好きなだけやるがいい! だがな、そんなことをすればお前は――お前が毛嫌いする! アハハ!! あの時の事は今でも思い出すと興奮する!! 同じように拘束されて殴られた時、お前の母親は良い声で鳴いたぞ! 俺ではとてもその役は務まらないな!!」


 アドニスが振りあげた拳をそのまま止めた。震えるその手に内在する葛藤を竜達は静かに見守っていた。


 もはやそこに他者が干渉できる余地はなかった。


「母さんを……まさかお前が」

「今さらだな! 悲劇の主人公のつもりか?」

「――ユグ、こいつを解放しろ」


 アドニスのその声に、ユグドラシルが頷いた。


「素直だな、愛しい弟よ」


 蔦が解かれ、ベラノが落ちていた杖を拾う。もはや自分が力を行使したところで、バケモノを従えるアドニスに勝てるなんて思ってはいない。


 だがこのまま捕虜として囚われ利用され、五体満足で王都に帰還できたとしても、待っているのは地獄だ。


 同じ地獄ならばせめて自分で選んだ道の先であるべきだ。


 そうベラノは決意した。彼は否定はするだろうが――その覚悟もまた覇王と呼ばれる父譲りのものだった。


「俺は間違った。致命的に間違えていた。お前も、お前の母親もでしかなかったことに気付けなかった。父上がそれをどこまで飲み込んでいるかは知らないが……きっとお前には失望したのだろうさ」

「そんな話はどうでもいい。母さんをどうしたんだ。母さんに何があった!? 病死したんじゃないのか!?」


 アドニスが叫ぶ。その初めて見る姿に、しかし竜達は口を出さない。


「教えてほしけりゃ、俺の靴を舐めろアドニス。昔やったみたいにな」

「……もういい」


 アドニスが杖をベラノへと向けた。その殺意に、ベラノは笑いしか出てこなかった。


「あはは……殺せよ。ほら、早く!!」


 ベラノが両手を広げ挑発する。


「昔も今も――あんたが大っ嫌いだ!」


 アドニスが赤いオーラを纏いつつ、杖へと魔力を込めていく。ベラノはやってくるだろう死を前にして、精一杯笑顔を浮かべようとした。


「――がはっ」


 しかし、背後からの頭部への打撃と共にベラノは地面へと沈んだ。


「――駄目だよ、お兄ちゃん。そいつを殺したって何も得られない」


 倒れたベラノの背後にいたのは、髪色が茶色の、砂漠の民のように肌を露出しながらも全体を透けて見える生地で作ったローブを纏った、ユグドラシルと同じ顔の少女――ヨルムンガンドだった。


 どうやら、彼女が放った石弾がベラノに直撃したようだ。アドニスの視線の先で、ベラノは気を失っているだけなのか、その胸は微かに上下している。


「ヨル! なんでここに」


 ユグドラシルがそう声を上げた。ヨルムンガンドとカグツチは今回の戦いには参加せず、ドラグレイクにいるはずだった。そもそも、戦いをあまり好まないこの双子の妹が自ら戦場に来るとは思えなかった。


「スコシアに、様子を見に行った方が良いかもしれないと言われて。ごめんなさい……」


 そう言ってヨルムンガンドが恥ずかしそうに俯いた。その姿を見て、アドニスは深呼吸するとその小さな頭を優しく撫でた。


「いや、ありがとうヨル。冷静になれたよ。こいつは殺す価値もない奴だった」


 スコシアに後で礼を言わないといけないな、そう思いながらアドニスは優しくヨルムンガンドへと言葉を掛けた。きっとスコシアは、自分とこの兄の関係性を知っているからこそ……ヨルをこうやって向かわせたのだろう。


 そして三人の前で冷静さを失っていたことを深く恥じた。よく考えれば、この兄が真実を語っているという証拠は何もない。挑発して殺させて、利用させないようにしていたのかもしれない。


 安い挑発に乗ってしまったことを悔やむと同時に、それを止めてくれたヨルとスコシアに感謝しかない。


「で、主様、こいつはどうするのかしら~?」


 ティアマトが気絶しているベラノの足を掴んで持ち上げた。


「連れて帰る。聞きたいことが増えたし、存分に利用させてもらう」

「お兄様……大丈夫? お母さんのこととか……」


 ユグドラシルの心配そうな声に、アドニスが笑みを浮かべて答えた。


「もう大丈夫だよ。ずっと忘れたフリをしていたことを急に思い出さされて、取り乱しただけだよ」


 心の奥に潜むその暗い影も、もう見えてしまえば怖くない。だけど、どこかでその本当の正体を知ってしまうことを恐れる自分がいた。


 いつもどこか陰のある笑みを浮かべていた母。

 異国人の平民でありながら、覇王とも呼ばれる男から寵愛を受け、妃の嫉妬を買った母。

 王宮内で疎まれていた母。

 

 幼い頃、突然の病死を告げられ、別れを惜しむことすらなくその死体を燃やされた母。


 だけど母のその本当の姿を、自分はきっと知らない。


 いつかどこかで、それを知る必要があるのかもしれないが、今はいい。

  

「――行こうか。この戦い、僕らの勝ちだ」


 アドニスはそう告げ、空を見上げた。月はいつのまにか青い光を取り戻していた。


☆☆☆


 こうして、クロンダイグ討伐軍は潰滅。それを率いていたベラノは捕虜となった。


 それと同時に、アドニスとドラグレイク竜王国の名が大陸中に知れ渡り、各国が動き始めた。


 魔物の活性化、新たなる国家の誕生、そして――


 激動の時代の幕が、いよいよ開くことになる。

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