第31話:再会


 目の前で起きているあまりに一方的な戦いを、アドニスは騎乗用の竜の眷属である〝地駆竜コレール〟の上で険しい顔のまま睨み付けた。


「ぎゃあああああ!!」

「助けてくれええええええ」


 討伐軍の兵士達が悲鳴を上げながら、もはや軍事行動とは思えない無秩序さで敗走していく。巨獣隊ベヒーモスの面々がそれを容赦なく狩っていくが、こちらには被害はほぼなく、相手側はもはや秩序すら失っている。


 これ以上の犠牲は不要だろう。そうアドニスは判断した。


「――深追いしなくていい。もはや勝負は決した」


 アドニスは手の甲を光らせながら言葉を放つと、淡く光る、手のひらほどの大きさの小さな飛竜が現れ、各方面へと光の軌跡を残しながら飛んでいく。


 言葉や音という形のない概念を魔力で竜の姿にし、短時間の間だけ使役できるその力は、アドニスがカグツチを召喚したことで得た覚醒スキル【竜化】の力だった。


「アドニス様、北門のグラント様率いる騎竜隊によって北方面の敵部隊は潰走。南門のバーギ様によるサリエルド防衛隊によって南方面の敵部隊は全滅。東門に至ってはそこに辿り着く前に敵部隊が戦闘が巻き込まれて敗走。もはや残る敵はここ西門の者達だけかと」


 伝令の言葉にアドニスが頷く。どうやらグラントと自警団の面々は無事のようで安心した。ここサリエルドの現領主エルギンの部下であるバーギの部隊もきっちり仕事をしてくれたようだ。


「グラント及びバーギに引き続き各門を守備するように伝えてください。ほぼ勝利は確定でしょうが、油断をしてはいけません」

「はっ!」


 伝令が短く返事すると、特に足の速い小型の地駆竜を巧みに操って駆けていく。


「人間とはこんなに脆い生き物なのか。これでは我らがまるで圧政者のようではないか」


 アドニスが右に立つ護衛であるミノタウロスのリーダー、ゴンゾが不服そうな声を出すのを見て苦笑する。


「我らだけの力ではない。カグツチ殿の武具のおかげだと知れゴンゾ。それにこの力も元を正せば竜の力でありそしてそれはつまりアドニス様の力だ。あまり自信過剰になるな」


 左に立つオーク達のボスであるトランの言葉にゴンゾが鼻息を荒くする。


「ブモ! 分かっている!! だが、それにしても歯応えがなかった」

「それは同意する。覇国と聞いていたクロンダイグ王国軍はこの程度なのかと失望する」

「彼等も万全ではなかったからね。ヨルムンガンドに造らせた山脈内での妨害工作がかなり効いているのさ。食糧や水の枯渇、更にようやく山脈を抜けて休息と補給が取れるはずだったサリエルドが裏切ったせいで、それもままならずそのまま攻城戦に突入。兵士の士気が下がるのも仕方ない」


 アドニスの言葉に両側にいた二人が頷いた。


「然り。だがそれを含めて全てアドニス様の手の内ということですぞ」

「その通りだ。更に竜達の力すらも直接使ってはいない。寡兵でこれだけやれれば、将来はどうなるやら……我は楽しみだ。願わくば――命の火が燃えるような闘争を」


 ゴンゾの言葉にアドニスは何も応えず、騎竜を前へと進ませた。


「さて、じゃあちょっと行ってくるよ。この戦いに、終止符を打つ」

「ブモ? どちらへ?」


 その言葉に、アドニスが怖いぐらいに冷たい笑みを浮かべた。


「勿論――



☆☆☆


 急造山脈内――谷間の街道。


 二十騎の馬が西へと駆けていく。それは前後を直属の魔導兵で守られたベラノだった。


「ありえん……ありえん……くそ……くそ……」


 ベラノの呪いのような言葉が響く。部下達は何も答えず、無言で馬を走らせた。もう、この王子は駄目かもしれない。そんな予感を胸に抱きながら。


 そんな彼等の中でも一番先頭を走る魔導兵が、前方の街道上に佇む人影を見付け、舌打ちをする。


「ちっ!! 敵影あり!!」

「やはり待ち伏せていたか!!」

「押し通るぞ!!」


 魔導兵達が馬の速度を落とさずに杖をまるで槍のように構え疾走。


「……!? 民間人か!?」


 視力を強化して、街道の先に佇む人影を凝視した先頭の魔導兵が訝しむ。そこに立っていたのは、青に白が混じった長く豊かな髪の美女だった。露出の多い水着のような服を着ており、とても兵士には見えない。どこかの娼婦か踊り子の類いだろうか?


 しかし迷う時間はない。そんな時、背後から声が掛かる。


「……殺せ……邪魔するやつは殺せ……」


 ベラノのその言葉に、部下達が覚悟する。王子の命あらば仕方ない。


「死にたくなければ、道から離れろ!――【サンダーランス】!」


 せめて警告だけでもと先頭の魔導兵が叫びながら魔術を発動。杖の先から雷が迸り、まるで槍のような形状に変化し、杖に纏わり付く。傍から見れば、この魔術を発動した魔導兵達はまるで騎乗槍を構えているかのようだ。

 

 そのまま雷槍を前方へと放った魔導兵達は分かっていた。例え警告されたところで、この狭い街道上に逃げ場などどこにもないことを。

 

「あらあら……まだまだ元気みたいね~」


 だがその美女は避けようとともせず、ただ手を前へとかざした。


「――【七つの赤い絶望ムシュマッヘ


 その手から放たれたのは、七条の水流。それはまるで七つの首を持つ竜のような姿に変化すると、そのまま迫り来る雷槍へと食らい付いていく。

 

 雷槍は激しく光と雷撃を周囲に散らすも、それはその七首竜にはまるでダメージを与えておらず、当然その後ろに佇む美女にも届かない。


「さ、サンダーランスが無効化されただと!?」

「魔力で生成した水は雷なんて通さないのよ、覚えておくことね~」


 美女ののんびりした声が届くと同時に、七首竜がそれぞれの首を伸ばし、魔導兵達に食らい付いていく。その尋常でない速度に魔導兵達は反応しきれず、その牙によって血を散らしていく。


「あぎゃああああ!!」

「ぼ、防護魔術を早――ああああ!!」


 魔導兵達の血が混じり、赤く染まった七首竜を前に、ベラノが目を見開きながら馬首を返す。


「あ、あれはまずい……あんな魔術見たことがない!!」

「ベラノ様、ここは逃げましょう! 我らがここでアレの足止めを!」


 魔導兵達の一部が魔術を赤き七首竜へと放つ間に、ベラノが巧みに馬を操り反転、来た道を数人の魔導兵と共に戻っていく。


 だが――その視界に、今度は幼い少女の姿が映る。植物の葉や蔦、花で出来たドレスを纏ったショートカットの緑髪の美少女で、耳にはイヤリングのように果実がぶら下がっている。


 ベラノは既にそれもまた刺客だとすぐに気付いた。


「そいつも殺せええええええ!!」

「――【フレイムランス】!!」


 魔導兵達が今度は炎の槍を放った。それは、ちょっとした草原であれば燃やし尽くしてしまうほどの炎を秘めた威力を持つが――


「あはは……あはははは!! 【ムスペルヘイムの花々】」


 それに対し少女がしたことは、楽しそうに笑いながら手をパンと叩くだけだった。


 その音と共に、彼女の前方の地面から赤黒い茎を持つ植物が次々と生えてきて、まるで獣か何かの顔を思わせる巨大な花の蕾がそれぞれ開いていく。


 その開いた花々は見た目通り、まるで凶暴な獣の顎のようであり、迫り来る炎槍をバクリと丸呑みにしていく。


「ありえん……」


 ベラノがそう呟きながら杖を構えた。その光景はあまりに滑稽で、いっそ笑いがこみ上げてくるほどだ。


 一体どこの世界に、大樹すら焼き尽くす魔術を丸呑みにする植物があるだろうか。


「炎よ、雷撃と共に逆巻け!――【サンダーブレイズ】!」


 ベラノがスキルを行使し炎と雷、二つの属性を組み合わせた魔術を放つ。それは【全属性】と呼ばれる希少なスキルを持つ彼だから出来る芸当であり、威力の高い炎魔術と、速度に優れる雷魔術の両方の長所を持った必殺の魔術だった。


 雷撃の速度で迫る炎はしかし、先程のフレイムランスを食べて巨大に成長した獣花の前では何の意味も持たなかった。


「炎は効かないって分からないの? 馬鹿だね」


 少女の嘲笑うような声が街道にこだまにする。ベラノの放った魔術が獣花に喰われたと同時に、魔導兵達が馬ごと丸呑みにされていく。


「あぎゃあああ!」

「痛いいいいい!」


 咀嚼音と悲鳴が響くと共に――気付けばベラノはただ独り、馬の上に佇んで効きもしない魔術を連打していた。


「嘘だ!! 嘘だ!! 俺の魔術が効かないなんて!! 炎が駄目なら氷の魔術で――あがっ!!」


 ベラノが魔術を放とうとした瞬間、獣花の蔦が彼の身体を絡め取っていく。


「は、放せ!!」

「はい、捕獲完了」

「あとは、待つだけね~」


 美女の声が背後から聞こえてくる。ベラノは、美女を足止めしていた魔導兵達が全滅した事実を受け入れられなかった。


 蔦に絡められて身動きが取れないベラノの前に、美女と少女がやってくる。


「ふーん、お兄様にあんまり似てないね」

「そうね~」

「は、放せ!! 今ならまだ許してやるぞ!」


 ベラノが精一杯の虚勢を張るが、二人は視線すら向けない。


「貴様ら、俺を誰だと思っている!! 俺は――」


 ベラノがそう叫ぼうとした瞬間、彼にとって聞き覚えのある声が街道に響いた。


 そしてそれは今、一番聞きたくない人物の声だった。


「貴方は……クロンダイグ王国第一王子ベラノ。勿論分かっていますよ――久しぶりですね、


 そう言って地駆竜から降りたのは――何の感情もその顔に浮かんでいない、アドニス。


 それは、数ヶ月ぶりの兄弟の再会となったのだった。


 しかしその再会に喜びはなかった。

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