第30話:それは地獄に似て(討伐軍視点)


 サリエルド西側――討伐軍本陣。


「百人で一部隊を三つ再編成し、東を除く全て門の前に陣取って封鎖する。ネズミ一匹通すなよ。残りの戦力で東門を一気に突破し館を落とす」


 ヘインズの号令によって討伐軍の各部隊が慌ただしく動いていく。それを見つつ、苛立ちを隠さないままベラノがヘインズへと言葉を投げた。


「こちらに包囲するほどの人数もいない。食糧と水の残りを考えても長期戦は不利だ。短期決戦で一気に東門を落とすしかない」

「その通りです王子。そして最悪と言ってもいい。攻城戦はただですら攻める側が不利です。本来はそれを数で補うか、包囲封鎖して向こうが根を上げるのを待つかの、どちらかしかない。だが、それをする人数も物資もない」


 ヘインズの苦々しい顔を見て、ベラノが歯ぎしりをする。


 こんなはずじゃなかった。そんな言葉がべったりとまるで汚泥のように付き纏う。それをまるで振り払うように彼は杖を抜いた。


「俺も出る。あんな門、俺の【全属性】を使った魔術を使って吹き飛ばしてやるさ」

「……本来なら止めるところですが、王子とその部下の魔導兵の火力が無ければあの門は抜けますまい。幸い、サリエルドの常駐軍の練度はしれています。ドハウの子飼いの部下も暗殺などの類いを得意とする者しかおらず、野戦にはさして慣れておらん。門さえ潰せばあとは制圧できますでしょう」

「だと良いがな」


 ベラノが冷たくそう言って、馬を進めた。部下の魔導兵達が無言で付いてくる。平時より、王国最強の魔導兵となるべく訓練された強者達であり、勿論魔術だけではなく、近接戦闘も人並み以上の腕前を持つ。


「まずは即席で作らせた破城槌で門を叩かせろ! 敵の反撃があればすぐに弓部隊と魔導兵で対処する!」


 ベラノの号令と共に、山の木から切り出された丸太を加工した破城槌が運ばれていく。


 幸い、月明かりのおかげか、松明がなくても視界は良好だ。そもそも魔術を少しでも囓っているものは視力を魔力で強化する術を身に付けているので夜だろうが視界は変わらない。


 だが結果としてそれらは全て無駄に終わった。


 なぜなら――


「べ、ベラノ王子! 門が!!」


 その部下の言葉を聞きながら、ベラノも視線の先にある門がゆっくりと開いていくのを目にした。


 そして高らかに鳴るのは――ラッパの音だった。それはまるで王者の出陣を祝福するかのような荘厳かつ勇猛な音色を、赤い月が浮かぶ夜空に響かせた。


「ふん、戦う意志すらないか」


 ヘインズがつまらないとばかりにそう吐き捨てるが、ベラノはそうは思わない。


「違うな。あれは降伏なんかじゃない」


 ベラノの視線の先。

 討伐軍の最前線に立つ兵士達は、手に持つ破城槌をどうすれば良いか分からず、ただその光景を呆然と見つめる他なかった。


 ゆっくりと門が――開いていく。


「な……なんだあれは……」


 それが誰の発言であったかは定かではないが、討伐軍にいた全員の気持ちを代弁するに十分な言葉だった。


 門からまず現れたのは――軍馬ぐらいの大きさの二足歩行のトカゲだった。前脚は短く、その代わりに立派に発達した後ろ脚がしっかりと大地を蹴っている。


 その背の鞍の上に乗り、黒い金属質の鎧を纏い、杖を片手に持っていたのは黒髪の青年だった。


 頭には、まるで角のようにも見える王冠が乗せ、背後にはマントがはためいていた。見る者を静かに、しかし確かに圧倒する雰囲気を纏っており、最前線にいた兵士達もそれに飲まれてしまう。


「あ、あ、あ、アドニス王子です!! アドニス王子が現れました!!」


 隣にいた部下の言葉を聞いたと同時に、ベラノが目を見開く。当然、魔力で強化された彼の目にも、その黒髪の青年――アドニスの堂々とした姿が目に映っていた。


「あの……野郎……っ!!」


 まるで、地獄から響くようなベラノの声と同時に前線でどよめきが起こる。


 なぜならアドニスの左右を守るかのように現れたのは、アドニスと同じ黒い金属鎧を纏った、身長が三メートルを越す異形の軍勢だったからだ。


 右側を守るのは顔が牛にそっくりの異形達であり、立派な角が兜から突き出ていた。手には、尋常ではないほど巨大で、まるで炉から出したばかりかのように火が燻る戦斧が握られている。


 左側を守っているのは豚に似た容姿の異形達で、こちらも同じように鎧と兜を装着しており、右手に人の手に余るほど巨大なタワーシールド、左手には火が燻る斧槍を構えていた。


 その数、左右合わせて二百にも満たないが――その威圧感は異常だった。


「嘘だろ……なんだよあの化物……」


 兵士達がそう呟いてしまうのも無理はなかった。それはこれまで戦ってきた何よりも、恐ろしくそして――絶望そのものだった。


「――討伐軍に告ぐ。。我がドラグレイク軍は強力無比である。虐殺を行うのは……こちらの本懐ではない」


 異形の軍勢を率いたアドニスのその不思議と良く通る声に、前線の兵士達がどうすれば良いか分からず顔を見合わせる。


 当然、それは後方にいたベラノとヘインズにも届いていた。


「まるで……こちらが一方的にやられるとばかりに……!! 舐めくさりよって!!」


 ヘインズが怒号を放ち、周囲にいた部下が竦む。

 

「――魔術を放て。矢を放て。すぐにあれを殺せ……殺せえええええ!!」


 そしてベラノが怒りの形相のまま号令を出した。


 無数の火矢、そして魔術によって放たれた火球が夜空を切り裂き、サリエルドへと殺到。


 その光景は、ある種の美しさを持っていた。赤い月と黒い空を背景に、流れ星のように走る炎。それが残酷さを併せ持つことにさえ目を瞑れば。


 そしてそれは――開戦の合図となった。


「――抜刀。〝巨獣隊ベヒーモス〟進軍せよ。目の前の全ての敵を蹂躙じゅうりんすることを許可する」


 迫り来る美しき炎の雨を見すらせず、アドニスが杖を前へと向け、静かに命令を下した。


 〝巨獣隊ベヒーモス〟――それはアドニスが命名した、武装したミノタウロスとオークの部隊名だ。カグツチ製の竜の武具を身に纏った彼等はアドニスの近衛兵として採用され、この戦いにおける矛の役割を担っていた。


「御意!!」


 巨獣隊が咆吼を上げつつ武器を構え、突撃。それは地響きを伴い、それだけで前線の兵士達が怖じけづく。


「あああ……うわあああああ!!」


 ミノタウロスの一薙ぎで、前線の兵士が十人単位で吹っ飛んでいく。その薙ぎ払いは炎を纏い、範囲外の兵士達にまで被害が及んだ。


「熱いぃぃぃ!!! 焼けるううううう」

「誰があれを止めてくれええええ――ぐえ」


 オークの一突きで兵士数人が絶命。更に穂先から迸る炎が線となって陣を抉っていく。それが何重と重なり、その一瞬で前線を切り裂いた。


「――翼獣隊ヴィドフニル、迎撃用意」


 阿鼻叫喚の中、迫り来る火矢と火球に対して、アドニスが出した号令はシンプルだった。


「お任せあれ――放て!!」


 その言葉はアドニスの頭上から降ってきた。


「ありえん……!!」


 それを見ていたベラノが思わずそう叫んでしまうのも仕方なかった。


 なぜなら、城壁と門の上から飛び立ったのは、両腕の翼で空を舞うまるで鶏のような顔をした異形の群れだったからだ。彼等も同じように武装しており、そしてなぜかその足には――巨大な弩が付いていた。


 空飛ぶ異形は器用に足を使ってその弩を構えると――迫り来る火矢と火球へと矢を放つ。


 放たれた矢は青白い光を纏っており、火矢や火球に命中した途端に弾け、青い光で夜空を覆った。


「馬鹿な……」


 あれだけ討ったはずの矢と火球がほとんどが空中で消失しており、撃ち漏らしの一部だけがサリエルドの城壁と門に届くも、損害はほとんど与えていなかった。


「魔術をたかが矢で迎撃なぞありえません!! 第二射を!!」


 部下の言葉を無視して、ベラノは信じられないとばかりに目の前で起きている光景を見つめていた。


 ヘインズが怒鳴りながら前線を立て直すべく走り回っているが、五千に及ぶ討伐軍の前線が二百人にも満たない部隊によって崩壊しかかっている事実。


 魔物がそもそも武装し、規律だって行動をしている時点で異常であるし、それを従えているアドニスはもっと異常だ。


 炎と血が舞い、味方の兵士達がまるで紙切れのように引き裂かれていく。


「魔術を……魔術を使え……あんなものを物理的に倒すのは不可能だ……」


 ベラノがようやく口にした言葉がそれだった。


「ベラノ王子! 王子も攻撃に参加してください! 王子の【全属性】があれば!」

「分かってる……分かってる……」


 何が起きている。俺は一体、


 分からない。


 思考が混乱する。


「第二射を放――!! 回避!!」


 ベラノが混乱している間に、前線より後方にあるはずの弓部隊と魔導兵の部隊へと、青白い光を放つ矢が殺到する。


 その矢は太く鋭く、いとも容易く鎧を貫通し、更に地面や兵士に刺さったと同時に――爆発。


「ぎゃあああああ!!」


 爆炎が巻き起こり、周囲を炎上させた。


 たった一瞬でベラノがいた場所が、地獄へと様変わりする。


「――お逃げください!! ベラノ王子!! あれは……あれらは……人の手に余るものです!!」


 右腕が吹き飛んだ部下が血塗れになりながらそうベラノに縋ってくる。


「あああ……ヘインズは……ヘインズは何をしている!!」

「分かりません! とにかく前線は崩壊! 敵軍がこちらの陣を引き裂きつつ前進。更に空中から矢を放つ部隊の攻撃でこちらの後方部隊は甚大な被害を受けています!! 幸いベラノ王子直属の魔導兵部隊はまだ無事です! 今すぐ王都に戻って、この危機を知らせてください! あれは――魔王です! 生半可な軍では勝てません!!」

「あああ……あああああ!!」


 ベラノが馬首を返す。あるいは、自分の魔術を使えば形勢が逆転するかもしれない。そんな考えが一瞬脳裏をよぎり、しかしすぐに消えた。


 どう考えても無理だ。魔術とて万能ではない。


「ベラノ王子! まずは街道まで撤退します! 軍の指揮はヘインズ将軍がやるでしょう!」


 部下の魔導兵達が茫然自失のベラノを半ば無理矢理引っ張るような形で、散々苦労して抜けてきた街道へと向かって駆けた。背後では地獄が続いており、悲鳴と怒号が響いている。


「ありえない……おかしい……こんなことあってたまるか……」


 ブツブツと呟きながら――ベラノ王子は結局、何をすることもなく撤退したのだった。


 街道で待ち構えている者がいることも知らずに。


 彼が勇猛にアドニス達へと戦いを挑んでいれば……あるいは彼の運命は変わったかもしれなかった。だが、運命はここで決してしまった。


 間もなく――討伐軍は崩壊することになる。

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