第29話:戦いが始まる


 城塞都市サリエルド――西方。


 ようやく山を抜けた討伐軍にベラノが出した指令は、サリエルドの西方に広がる平原に陣を敷かせることだった。


「王子、やはり……サリエルドは」


 その指令を聞き、今回の討伐軍に同行してきた歴戦の将軍であるヘインズが馬を走らせ、同じく既に馬に乗ったベラノの下へとやってきた。


 白髪交じりの髪に、傷と皺が刻まれた顔。その壮年の男性――ヘインズはまさに武人と呼ぶに相応しい風貌だった。


「ああ。捕縛した山賊共や通りすがりの商人を装った密偵の自白からしてそうとしか考えられない。既にサリエルドは敵側に落ちている」

「儂もそう思う。だが……サリエルドは古くからの交易と交通の要を守ってきた不落の城塞都市。それがあっさりとこんな短期間で落ちるなどと……」


 ヘインズが信じられないとばかりの声を出すが、ベラノは城壁に真新しい傷もなく、地面や城門の周囲に戦闘の跡がないところからして、間違いなく無血開城かもしくはそもそも戦闘すら起こっていないと推測した。大体、そんな戦闘行為があれば王都まで伝わっているはずだ。


 それに、常に開け放れているはずの城門が完全に閉ざされている。斥候に確認させたところ、東西南北それぞれにある門も全て同様だった。


「信じられないが、あのドハウが行方不明。現在は商人ギルドマスターが領主をやっているそうだ。つまりは……そういうことだろう」

「無能が……。まさか内部から乗っ取られるとは」


 ヘインズがまるで仇敵を睨むが如く、サリエルドの中心に見える領主の館を睨む。最も高所にあるがゆえに、この位置からでも良く見えた。


「サリエルドは元々独立都市のような扱いだった上に、住む者達も王国に対する帰属意識は薄い。馬鹿正直にこの難攻不落の城塞を攻めるよりは賢いやり方だ」


 ベラノがそう言ってため息をついた。当然、攻城戦の準備などしていない。貴重な魔導兵を攻城という攻める側が不利となる戦いで使うしかないだろうこの状況に憂鬱になる。


「しかし……あのアドニス王子……おっと元王子か。あの小僧にこんな事が出来るとは思えないが」


 ヘインズの言葉にベラノが同意する。


「誰か黒幕がいると思って間違いない。北の〝白聖国〟か、南の〝砂老国〟か……いずれにせよこのまま無警戒にサリエルドに入るのは自殺行為だ。ゆえにこうして陣を敷くしかあるまい。先ほど伝令をサリエルドに向かわせた。それで分かるだろうさ」

「……我が王国にここまで牙を剥く馬鹿がおったとはな。サリエルドの者どもには申し訳ないが――徹底的に叩くしかあるまい」


 ヘインズが低くそう言い切った。もはや敵地となれば、本来なら庇護すべきその都市の住民も敵同然と見なす、そのある意味冷徹で苛烈なヘインズの思考にベラノは辟易しながら、同じ結論に至るしかないことに嫌気がさしていた。


 こういう愚かな殺し合いは馬鹿な軍人同士でやるべきで、自分のような上の存在がこんな前線にいること自体に苛立つ。


 これも全て――アドニスのせいだ。


 ベラノの中で、怒りと憎しみが募っていく。


「ベラノ王子! で、伝令が帰ってきました!」


 慌てた様子の部下にベラノが短く言葉を返す。


「すぐに通せ」


 やってきた伝令は顔を真っ青にしながら、どうやらサリエルド側から預かった書簡らしきものを読み上げるかを躊躇っていた。その様子を見て、ベラノは嫌な予感が的中したことを確信した。


 しかしヘインズに脅され、恐る恐るといった様子で伝令が読み上げた内容は――ベラノとヘインズを激怒させるに十分の内容だった。


「〝我が領土を侵す者達に告げる。即座に軍を撤退させよ。サリエルドは悪意ある剣槍を持つ者に開ける門戸はない。もしそれでも引き下がらないと言うのならば、我々は竜の加護の下、敵対するあらゆる存在を撃滅することをここに宣言する。期限は本日の夕刻まで。もしそれまでにそちらに動きがなければ、夜の帳と共に我らは行動を開始する――【ドラグレイク竜王国】〟」



☆☆☆



 夕刻。

 サリエルド内――領主の館。


 バルコニーから、慌ただしく動く討伐軍の陣地を見ながら、エルギンが笑った。


「かはは……どうやら相当にお怒りのようだな。まあそうでないと困るのだが」

「少々、過激する文章だったかもしれませんね。彼等からすれば侵略者はこちらでしょうし」


 隣に立つアドニスがエルギンに微笑み返す。今頃、長兄ベラノは怒りのあまり周囲に当たり散らしているだろう。普段は冷静だが、ある一線を越えると途端に子供のような癇癪を彼が起こすことを幼い頃から良く知っている。


 なんせ散々、自分はその鬱憤晴らしの相手をさせられていたからだ。


 良い思い出なんて何一つない。


 だからこそ、良かった。おかげで……一切の情なく事が進められる。


「いずれにせよ、竜王。あんたがドラグレイクを支配し、そしてこのサリエルドを傘下に置いたのは事実だ。それは奴等が認めようが認めまいが、事実は覆らない。そもそもクロンダイグ王国だってそうやって領土を広げてきたからな。お互い様だ」

「ええ。勿論、引け目を感じるつもりは一切ありません。それにこの戦いを制すれば、周辺諸国にドラグレイク竜王国の存在をアピールする絶好の機会ですからね」

「時間を稼いでくれたおかげで、準備は万端だ。勝つ為の準備も――勝ったあとの準備もな」


 エルギンが自信満々にそう言って、アドニスへと小さく頷いた。


「では――あとは勝つだけですね」

「心配はしてねえよ。アレらを見たら……いっそ討伐軍が憐れだよ」

「何とか間に合って良かったです」


 眼下。城門の裏には、今回の防衛線で最も重要な役割を持つ部隊が待機している。それらを見た、この都市の住人は最初は絶句し、やがて声を上げた。


「だがな、竜王。あんたの実力を疑っているわけではないが……王自ら先陣を切るのは止めたほうが良いんじゃねえか? 相手は腐ってもヘインズ率いるクロンダイグ王国の精鋭に、あの【全属性】ベラノとその部下の魔導兵共だ。決して軽視して良い相手じゃない」


 エルギンの真面目な表情を見て、アドニスがニコリと笑い返す。


「ご心配ありがとうございます。ですが、心配に及びません。実際の戦闘ではちゃんと後方に引っ込みますよ。先陣を切るのはただのアピールと士気高揚の為です」

「だったら良いがな」

「あとはまあ……兄が僕に釣られて前線に出てきたらそれはそれで……


 その発言の時のアドニスの顔を見た時に、エルギンはぞわりと悪寒を感じた。


 部下である自分に対しても柔らかな物腰を崩さないこの青年を、彼はどこかまだ若造だと見下している部分があった。だが、その微笑みの奥にある――ある種、人を超越したような存在となった者のみが纏うその雰囲気に、エルギンは認識を改めざるを得なかった。


 この男は――正真正銘のバケモノ……あるいは英雄と呼ばれるに値する人物かもしれないと。


「アドニス様――そろそろ時間かと」


 背後から、メイドのタレットからそんな声が掛かる。


 既に日は沈みかけており、怖いぐらいに真っ赤な月が雲間から顔を出していた。まるで、これから流れる血を暗示するかのような月。


「うん。では、エルギンさん。後方支援及びサリエルド都市内の監視と情報の流布をお願いしますね」

「あ、ああ。任せてくれ――いや、任せてください、我が主よ」


 エルギンはそう言って深々と頭を下げた。


「じゃ、いってくる」


 アドニスは【竜纏い】を発動し身体に赤いオーラを纏うと、そのままバルコニーの手すりの向こう側へと跳躍。


 城門のほうへと落下していく。


「……やっぱり人間じゃねえな」


 顔を上げたエルギンが思わずそうこぼしてしまう。


「例え相手がなんであろうと、竜の力を得たアドニス様に勝てる存在はいませんよ」


 タレットのその言葉にエルギンは頷きながらも、心のどこかでこんな事を考えていた。


 そのあまりに規格外な力を持つ者が――


「ま、いたとしても、あの竜共を従えてる時点で誰も勝ち目ないか」


 エルギンは肩をすくめると同時に、タレットや部下へと指示を飛ばし始めた。


「良いか、潜んでいる暗部や情報部の連中に聞こえるようにガンガン戦況を都市内に流していけ。きっと度肝を抜くぞ。なんせこれから始まるのは籠城戦なんて生易しいもんじゃねえからな。良いか、まずはこう伝えろ――〝この戦いにおいて我々は、〟、と」

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