第5話:運河とメイド


 クロンダイグ王国東端――ミルムース村、村長宅。


「というわけで――運河を結びたいのですが」

「……気でも狂われたか」


 この村の村長であるベルウッドが、真面目な顔でそう口にしたアドニスを侮蔑するような目で見つめた。


「いえ。本気ですよ。村長、前回お聞きした話によると、この村は定期的に水不足で悩んでいらっしゃるとか」

「その通りですぞ、王子。ドラグレイクの地に比べればマシでしょうが、それでもこの村は昔から水不足に悩まされている。なんせ水源が少ないですからな。なのに、運河を結ぶ? 一体どこにそんな水があるのですかな? 仮に魔術で水を流したとしてもすぐに枯れてしまう」


 そんなことも分からないのか、とばかりの村長の態度にアドニスは苦笑する。背後でグラントが殺気立ち、今にも斬りかかりそうになるが、スコシアがそれを制していた。


「水に関しては――ドラグレイクで作った拠点に地下水脈から引き上げた水源があります。調査したところ数百年は困らないほどの量です。ですので、この水を使って運河を作りたいと思いまして、許可を頂きに参りました」

「ドラグレイクに……水源? 王子……追放されて自暴自棄なのかは知りませんが……そんな妄言を私が信じるとでも? 私が生きている間に完成するわけもないを許可するもなにも……」

「てめえ、アドニス王子に向かったなんて口を利きやがる」


 グラントが怒りを露わにするが、アドニスは笑顔のままグラントを宥めた。


「落ち着いて。そう言われるのは、想定済みです。ですから……で申し訳ないのですが――運河を既に村まで通させていただきました」

「は?」


 村長が何を馬鹿なことを……といった表情を浮かべると同時に――村人が血相を変えて飛び込んできた。


「そそそ、村長!! 東から水路が! なんか王子の部下と名乗る女魔術師が一瞬で造り上げました!!」

「ありえん!! そんな馬鹿な話があるか! 運河というのは、いや、たかが水路ですらあの距離を水を流せるまで整備するのに十年と掛かるのだぞ!?」


 そんな言葉と共に、村長がアドニスを無視して外へと出ていった。


「あいつ……アドニス王子が追放されているのを知ってか態度が王族に対するそれじゃねえな」


 そんなグラントの言葉に対し、スコシアが呆れた声を出した。


「あんたとそう変わらないでしょうが。ま、無礼なのは確かだけどね。アドニス様は寛容すぎるわ」

「僕はもう自分を王子だと思っていないから、気にしないさ。さて、ティアマトの仕事っぷりを見に行こうか」


 アドニス達が、村の東に向かうと、そこに村人達が集まって、喜びの声を上げていた。


「凄い!! 水だ!」

「綺麗で、しかも冷たい!」

「こんなに美味い水は初めてだ!」


 そこには、大地を綺麗に削って作られた、小さな船ならすれ違いことができる幅の運河があった。運河は青々とした水をたたえており、その終点となる場所には小さな池が出来ていた。


 村人達の中には池に飛び込む者までいるが、村長は信じられないとばかりにその側でそれを見つめていた。


「というわけで、運河を作らせていただきました。勿論、この水はミルムースの村の皆さんで自由に使っていただいて構いません。ゆくゆくは、我が拠点とここで人や物資の行き来が出来ればと思います」

「ありえん……こんな馬鹿なことがあるか……私は認めん!」

「と言われましても……もう作っちゃいましたし、村の皆さんも気に入っているようですが」

「――この件については預からせてもらう!」


 そう言って、村長がそそくさと再び自宅へと戻っていった。


「なんだあれ」


 グラントがもはや怒る気すらなくして、ため息をついた。


「仕方ないさ。僕が同じ立場だったきっと驚くし、冷静になる時間が欲しいのも分かる」

「お優しいこって」

「あ、タレット」


 そうやって喋っていると、アドニスの見知った姿の女性――暗い茶色の髪に銀縁眼鏡が特徴的で、別に誰も強要していないのに常にメイド服を着ている――メイドのタレットが池の畔へとやってきてアドニスの横に立つと、声を張り上げた。


「村人達よ、聞きなさい! この運河は、この水は、アドニス王子がこの村の水不足を知り、わざわざ引いてきてくださったもの。感謝と尊敬を忘れないようにしなさい!」


 それは、アドニスですらも聞いた事がないほどの声量であり、同時にそれを聞いて次々と村人達がアドニスの下に集まってきた。


「あ、ありがとうございます! タレットさんから聞いたけど、辺境を救いに来たんですよね!?」

「おお、慈悲深き王子よ……まさか水不足をこんなにすぐ解消してくださるとは……タレットさんの言う通りだったな!」

「辺境を活性化させるという壮大な計画、是非とも我々も協力させてください!」

「えっと……」


 村人達の謎の熱量に困り果てていると、タレットがアドニスの耳元で囁いた。


「留守の短い間ではありましたが、ある程度の人心は押さえてあります……ですが、あとはご自身で」


 それだけを告げるとタレットはスッと後ろへと下がった。とても先ほどまで大声を張り上げていた人物とは思えない豹変っぷりに、グラント達も驚く。


「なるほど……予め、王子は追放されてきたのではなく、にやってきたと村人を焚きつけておいたのね。確かにうちの国では資源の少ない辺境は蔑ろにされているから、きっとみんな思うところがあったのでしょう。私が思っていたよりもずっと……策士ね貴女」


 スコシアの言葉にしかしタレットは何も答えない。


「――アドニス様。私は所用があるので一旦離れます」

「うん。留守中ありがとうね、タレット。それしてもあはは……困ったな」


 アドニスが嬉しい誤算だとばかりに苦笑して、村人達にどう返そうか迷っているうちに――気付けば村総出で宴会が準備されはじめたのだった。


 その中でタレットがまるで影の如く気配を消し、村長宅に向かった事に気付いた者は、運河の水に溶け込んで姿を消していたティアマト以外――誰もいなかった。



☆☆☆



「ありえん……ありえん……! すぐに……


 家へと戻った村長が、すぐに自室へと飛び込むと扉に鍵を掛け、テーブルの上に置いていた古ぼけた毛布を取り除いた。そこには水晶と機械を組み合わせた物体が置いてあり、それを慌てた様子で起動させていく。


「ありえん……流刑地で本気で開拓などされたら……私の立場が」


 ドラグレイクの地は――古くよりクロンダイグ王家によって秘密裏に処理したい人間や死体を送る場所として使われていた。その事を知っているのは王とそれに近しい者と――この村代々の村長だけだ。


 だから村長は、あの王子もやがてやってくる〝王の影〟にどうせすぐに殺されると思っていた。なればこそ、相手が王族だろうと強気に出られたのだ。

 

「どういう手を使ったのか分からんが水源に、あの運河を一瞬で造り上げる力……間違いなくベラノ王子の障害になる!」


 村長は、その王家の秘密と引き換えに莫大な財産を約束されていた。言われた任期を終えれば王都に行き貴族同然の生活ができる。


 だからこそ、やりたくもない暗殺や死体処理という汚れ仕事をこれまでやっていたのだ。


 そしてその直属の上司とでも言うべき存在が――ベラノ第一王子だった。


「この事を伝えないと……!」


 村長がベラノから与えられた緊急連絡用の魔力通信機が、遙か遠くの王城へと繋がった瞬間――


 彼は背後に気配を感じた。恐る恐る振り向くとそこには――


「何を――伝える気でしょうか?」


 メイド服の両袖から、黒く塗り潰された長いをだらりとぶら下げた――タレットが佇んでいた。

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