第34話

 そろそろ足がしびれて限界を向かえた頃、寝息が聞こえてきた。

 何も食べないまま、服も着替えないまま寝てしまった。

 涙の残るまつ毛。赤みのさした頬。

 顎のラインの沿って手を滑らせる。

「ん、ううん……」

 眉間に皺が寄る。

 その鼻から抜ける声に、ズクっと胸の奥が疼いた。

 思わず、手を頬から離し、ドクドクと聞こえる心拍に、戸惑う。

 両手を床につけ、体重を支えながら、じっと杉山の寝顔を見た。


 この声で、吐息を聞いたなら……。

 手を出さずにいられるだろうか。

 いやいやと、顔をふり、その考えを振り落とした。



 それよりも問題は、痺れてきた足と、杉山をどうするかだ。

 いくらラグがひいてあるといっても、床で朝まで、というわけにはいかないだろう。一番いいのは、ベッドだが、運べるのかが不安だった。

 ここのところ運動もしていない。

 学生時代に培った筋力が、どれほど維持されているのか。


 運べなかったら、後ろのソファで勘弁してもらおう。

 よく寝ている杉山の首の下から腕を差し込み、そっと頭を起こし床に降ろした。

 自由になった足は痺れ、それをほぐしながら立てるまでの数分間、昨日から今までのことを思い出していた。


 最初は、強引な奴だとあまり好かなかった。

 どこで変わったのだろう。

 弟を実家を思いだしたから?

 切っ掛けなどなく、ただ単に杉山の好意にほだされてしまった――?

 いや、一番の理由は、杉山という人間を知ってしまったからだ。

 どこで、どこが、なんて分からないけれど、ほだされてもいいと思うぐらいに愛おしい。


「そろそろ、いけるか」

 痺れから解放された足に力を入れ、状態を確かめ、杉山の寝ている横に移動して抱き上げた。

 重いが、移動できないわけではなさそうだった。

 揺らしても、規則正しく静かに胸が上下している。

 完全に閉まっていない寝室の扉を足で開けると、薄暗い部屋に光が入る。

 ベッドの上にゆっくりと寝かせた。

「ふぅ」

 重さから解放された腕は、軽く、それでいて、温もりから離れた腕はどことなく寒々とした。

 ベッドの縁に座ると、浅く沈む。

 寝顔は、あどけなく、目にかかる前髪を指で脇に流した。


 布団を掛けようとして、スーツなままであることに気付いた。

「このままでは、皺になってしまうな」

 上着だけでもと、ボタンに手をかけた。




 寝室を出て、スーツとネクタイをハンガーにかけると、ウォークインクローゼットへと仕舞う。そして、テーブルの上に置いた酒類や食べ物を冷蔵庫に詰め込んだ。

 量は多くても、冷蔵庫はスカスカだ。難なく入る。

 手短に食べられるものをお腹に治めるた後、シャワーを浴びた。

 熱いシャワーのお湯が頭皮を打つ。

 首の辺りには、抱きついてきた杉山の熱が残っている。

 泡は流れても、火照りは消えずにいた。




さきほど、杉山をベッドに寝かせたまではよかった。

けれど、脱がせる段になって、寝ている人の服を脱がせるのに手こずった。

袖から腕をなかなか引き抜けず、「杉山」と声をかけた。

「脱がすぞ」

 体を抱き起すと、うっすらと目を開けた。

「あれ、かわなみさん? 夢?」

隼大の顔を見て、柔らかく微笑む。。


「夢でいいから。ほら、脱いで」

 袖を引っ張り、腕から引き抜く。

 両手が自由になった杉山の腕は、ベッドではなく、隼大の首へときつく巻き付いてきた。

「お、おい」


 耳朶に吐息がかかり、囁くように名前を呼ばれた。

 血が沸き、理性が飛ぶ。

 強引に引き離し、下を向く杉山の顎に手を添え、顔を近づけたころで我に返った。どんな顔をしているのかと、恐る恐る覗き込むと、穏やかな寝顔に気がゆるむ。

「なんだよ」

 首を支えながら、ベッドへと横たえさせる。

 自分の行動に熱い頬がもっと熱を上げ、しばらく動くことができなかった――。

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