第29話

 隼大の手の甲を掴んでいた杉山の手に力が入る。

 綺麗に整えられた爪の先が白くなっていた。

「川浪さんは、こうやって手を握られるのは大丈夫ですか?」

 杉山は、握った手を見ながら言った。


「ん? さっき指で触った時の感触が嫌かどうかを聞いているのか? それとも、ただ単に、手を握られている事が嫌かどうかってことか?」

 杉山は考えているのか、少し首を傾げた後、隼大に目線を戻すと「両方です」と言った。

「じゃあ、どちらも、嫌じゃない」

「本当ですか?」

 そう問う杉山の目には、不安があった。


 しっぽがあるなら、下に垂れてしっぽの先だけで左右に振っていそうだ。

 そこで、堂岡の言った事が頭をよぎった。

 確か『大きな闇を抱えている』とかなんとか。


 もし、その事を言いだそうとしているのなら、この機を逃してはいけない気がした。

 グッと表情を引き締める。

「何があった? 杉山が、こうやって誰かの手を持ったところで、嫌がる奴なんていないだろ?」

 違うかと、問うように見ると、杉山の目が狼狽えた。

 言うか言わまいか、口が開いてはまた閉じる。

 杉山の葛藤が見えるようだ。

 何を抱えているのか。

 輪郭を描く弧は美しく、見た者を釘付けにするだろう。その容姿を持ちながら何を抱えるのか。

 手を出しそうになるのを必死に耐える。

 無理やり聞き出すものではない。これは、杉山から言いださなければならない気がした。



 しばらく躊躇したのち、口を開いた。

「人に触られるのがダメなんです」

 辛うじて聞き取れる声。

「……けど、さっき大丈夫だって……。それは、悪かった」

「違うんです。川浪さんは大丈夫なんです。それは、前から確認済みで。じゃなかったら、昨日、一緒に寝ていません」

 儚げに笑う。

 隼大は、その笑みに苦しさを覚えた。

 きっと、堂岡もこの耐えるような笑みを何度も目にしてきたに違いない。

「それだったら良かった。杉山、ひとつ聞きたい」

「はい」

「他の人に触れられたいと思うのか」

 どうでもいいと思うなら、こんな悲しそうに笑わない。

 本当は、触れられ触れたいのではないだろうか。


「それは、そうですが。無意識の反応なので、もうどうしようもないです。触れられた時の嫌悪感を隠さなくてもいいなら、とは思います」

「そうか」

 杉山は、触れる、触れられるというよりも、笑みで本当の気持ちを隠してきたことの方が辛いのかも知れない。

 どれだけ、笑みの下に傷を持っているのか――。


 儚げな笑みから、傷の深さが見えるようだった。

「そんな顔をしないで下さい。それに、まだ何も話していません」

「泣きそうな顔をしている」

「笑っていますよ」

「俺には、泣いた顔に見える」

「人を弱いように言わないで下さい」

 笑みのまま下を向くその素振りが、昔の弟の姿と被った。


 あれは、いつだったか。

 父親に怒られ、泣きたいのを必死にこらえて、耐えている姿に重なった。

 あの時は、何も声をかけられなかった。身内だからこそ、声をかけたら、跳ね除けられることがわかっていた。

 しかし、今、目の前にいるのは、弟ではない。

 それに、先ほど『川浪さんは大丈夫』だと言った。


 なら――。


 隼大は、手の甲を返し、杉山の手首を持つと、グッと自分の方へと引き寄せた。

 反対の手で、肩へと回し、頭を軽く撫でる。

 手には滑らかな黒髪の感触。

 離れようとする杉山の頬の手を添え囁いた。

「ここじゃ俺しかいないんだ。笑わなくていい」

 瞳が揺れる。

「ぼくを試してますか」

 少し眉を寄せて言う。

「泣くのをかい」

「それもありますけど……」

 杉山は、目を閉じると頬に沿えた手に体重をのせた。


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