第10話

 隼大は杉山を気にしつつ、風呂に入った。

 しっとりとした温もりが裸体を包む。毎日、入っているはずの風呂場。けれど、肌から感じられる体温だけで、いつもと違う感じがすることに戸惑った。他人が入った後の風呂場が嫌かと問われると、嫌ではなかった。その温もりはの実家を思わせた。

 

 どうしているだろう、と湯船に浸かりながら、親を思い、弟を思い出した。

 弟の顔を思い出そうとすると、顔が杉山の顔に変わった。


「いやいや、お前じゃないよ」と、クスリと笑う。


 さっき、押し切られるように家に上げてしまった。


 人の動きに敏い奴だ。


 顔だけの知り合い。挨拶を交わすぐらいの相手が今、自分のリビングにいる事が不思議だ。それを、嫌だと思わない自分自身が一番不思議だった。タプンと鼻まで湯船に浸かると、一気に湯船からでた。ザバッと音がする。二十歳前半の頃よりも、肉付きのよくなった体を、お湯が流れ落ちていく。


「まあ、奴のペースに乗ってやるか」


 温かい風呂場から出ながらひとりごちた。


 杉山は、リビングでソファに座りながらTVを見ていた。頭が、じっとしていない。横顔を見ると、心なしかソワソワして見えた。

 居心地が悪いのだろうか。面識があまりないのだから、当然だろう。


「杉山」


声をかけると、杉山は、こちらを振り返り、TVを消してソファから立ち上がった。耳があったらピンと立てていそうだ。そんな顔をしている杉山の方へと、タオルで頭を拭きながら近づいた。


「退屈だろ?眠たかったら、寝ろよ」

「はい。でも、川浪さんは」


 ああ、俺を気遣って寝てないのか。


 上目遣いではなく、真っ直ぐこちらを見る目線が嬉しい。

「寝るさ」

 三人がけのソファにどかっと座ると、スプリングが沈む。背もたれのクッションに身を任せ目を瞑った。


「いえ、晩ご飯を買って来られたでしょ?食べないのかなって」

「ああ」

 そういえば、買っていた。


 ビニール袋が二つ。テーブルの上に置きっぱなしになっている。

 水とおにぎり二つ。

 杉山は、確か、スルメだったか。

 隼大は、重い腰を上げて冷蔵庫へと向かった。


 冷蔵庫から、杉山を呼んだ。

「なんですか?」

 隣に立つ杉山に何が好きかと聞いた。振り向くと、すぐ側に黒髪があった。

シャンプーの匂いが香りに、顔を背けた。

 

 冷蔵庫の中を一緒に覘く。

「どれがいい?」

「ビールですかね」

「じゃあ、ビールな」

 二缶取って、一つを渡す。


「寝酒ですか?」

「夜食に付き合えよ」

「はい」

 素直な笑みに、今度こそドキリとする。

 綺麗な笑みをする。


 気持ちを逸らすために、彼の側から離れた。


 棚から、つまみを出す。

 袋から、スルメを二枚とり、杉山に渡すと、なぜだかツボに入ったように、しばらく笑っていた。


「な、なんですか、このでかいスルメ。これ、割いてお皿にいれません?そのままかぶりつけと」

「空きっ腹にアルコールよりマシだろ?」

「だからって、これですか?」

 笑いが治まらない杉山を放っておいて、さっさと缶ビールをあけた。


 プシュッと空く音と、泡が爆ぜる音がする。

「冷蔵庫、見ただろ?」

「はい、なんもなかったです。だからって」

 また、スルメを見て笑っている。


 笑う杉山を見ながら、ゴクリと喉をならす。

 その音に杉山がやっと、笑いを引っ込めて、缶をあけた。

 

 誰もいない部屋よりも、誰かがいた方が、明るい事に隼大は、気づいた。


 彼の笑い声が、部屋を明るく感じさせているのだろうか。

 

 ごくごくと一気に飲んでいる杉山を見た。

 喉仏が上下に動く。それは男特有のものだ。

 それなのに、時折、気持ちが動く。

 じっと見ていると、飲み終わった杉山と目が合った。


 時が止まったように、辺りに静寂がおりる。

 笑い声も雑音もない。

 静かな室内。


 どちらとも目を逸らさずにいた。


「川浪さん」


 そう、彼が名を呼んだ。

 唾を飲み、喉がなる。


 何を言われるのかと、構えた。


「もう一本」

「おい」


 隣にある、杉山の頭を軽く小突く。

 へへへ、と笑う無邪気な笑顔につられて、笑った。

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