第9話

「すまん」

 杉山から顔を逸らし、左手にある棚からバスタオルを取った。着替えと一緒に洗濯機の上に置くと、素早く、脱衣所から出た。

 女でもない男の身体だ。なんてことはない。

 そう自分に言い聞かせても、ドクっと脈を打つ心臓に手をやった。

「水でも飲むか」

 ふらっと、キッチンへと向かう。

 水をグラスに入れながら、さっき見た杉山の裸体が脳裏にちらつく。頭をふっても、消えてくれない。

 黒髪から滴り落ちる水滴が、滑らかな肌を滑っていく。その水滴を思わず、すくい取りたくなっただなんて、口が裂けても言えない。

 氷を入れ、カランとグラスを回す。手のひらから冷たさが伝わってきた。ひんやりとした感触。それが逆に、杉山の温まった肌が思い出されてきた。

 その想像を流し込むように、グラスに口をつけた途端、「川浪さん、お風呂ありがとうございます」という声が後ろから聞こえてきた。


ごくっ


「げほ、ごぼっ」

「だ、大丈夫ですか?」

 想像していた本人の登場で、むせた。

 いがらい喉を正常に戻すように、咳をする。

「すみません」

 済まなさそうに言い、そっと背中を撫でる杉山の手から、ぬくもりが伝わってきた。じんわりとあたたかい手に、隼大は申し訳なく思った。

 咳と羞恥が落ち着いてくると、丸めた背を伸ばした。

「す、すまん。服は着れた?」

「はい」

 自分の服なのに他人が着ると、違って見えるから不思議だった。

 杉山の私服を知らないが、隼大が見る限りよく似合っていた。シックな青の

Tシャツに、黒のダボッとしたデーパードパンツ。ラフな家着なのに、ちょっとそこまで出かけても違和感がない装いに見える。

「私服もいいな。似合ってるよ」


「いえ、服までありがとうございます」

 褒めると、杉山は照れたように下を向いた。まだ濡れている髪から雫がたれ、床に落ちた。

 濡れた女の人は色気が増すと思っていたが、男でも同じように感じるのだろうか。

 風呂上がりの蒸気した肌は水気を含み、全体が柔らかく見える。形のいい耳から鎖骨にかけての線を辿ると、背中にぞくりと戦慄がはしりそうになった隼大は、慌てて目を背けた。

「どうかしましたか?」

「い、いや。なんでもない。それより、髪の毛。ドライヤーで乾かしてこい」

 杉山は自分の濡れた髪に手をやった。

「じゃあ、お言葉に甘えてお借りします」

「ああ、そうしろ」


 脱衣所に引き返す杉山の後ろ姿を見て、隼大はフッと息を吐いた。

 そして、気づいた。


――俺が目を逸らした時、杉山は下を向いていた。そして、滴る水滴を手で受け止めていたはず。ほんの小さな動きだけで、変化を感じ取れるものなのか。


 隼大はドライヤーの音がする脱衣所の方を、じっと見つめた。

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