第二十話:信頼
夢を見る。
舞台は以前と同じく、どこかの学校の屋上。
ノートはそこに一人で佇む。
鉛色の空の下で一人ぼっちなのは、強い孤独感を覚える。
だが今日はそれだけなので、まだマシだ。
俯かせていた顔を上げる。
ノートの目の前には、影から出現している巨大な像があった。
黒い靄がかかっており、全貌は分からない。
だがその腕だけは認識できた。
ゴツゴツとした岩でできた腕だ。
「(俺の、魔人体)」
『力と向き合え』
「……どうすればいいのか、わかんない」
『己と向き合え』
「俺自身?」
『我は汝より生まれし存在。我は汝に送られたギフト』
「ギフト……贈り物?」
『我が力は人を越えし力。汝が恐れる力』
人を越える「力」、それはノートが恐れるもの。
過ぎたる「力」は人を変えてしまう。
「俺は、そんな力が欲しいなんて思ってない」
『汝は与えられたのだ。「■■」に近づく力を』
一部の声に雑音が入って聞こえない。
だがそれ以上に、ノートは相手が無責任なものだと思った。
欲してもいない「力」を押し付けて、勝手に向き合えと言う。
「そんな力、要らない!」
『力……己から目を背けるのか』
「違う! 俺は――」
瞬間、ノートの足元にひびが走り、コンクリートが砕け始めた。
同時にノートも立っていられなくなる。
『恐怖を乗り越えろ。力と向き合え』
「お、俺は……」
『我を掴んで、支配してみせろ!』
ひび割れた屋上に倒れ込むノート。
その上から、立ち上がれない程凄まじい「力」がかけられる。
『我は力……純然たる力』
潰される。潰される。
魔人体の持つ力の一端を感じ取り、ノートは更なる恐れを抱いた。
『我をどう使うかは、汝次第だ』
「俺……次第?」
『我を欲するなら、名を叫べ』
力はどんどん強くなる。
それに連動するように、像も大きくなっていった。
『我が名は――』
像が名乗ろうとした瞬間、屋上は砕け散った。
ノートはそのまま深い闇の中へと転落。
強制的に夢から覚める事となった。
◆
「酷い夢だった」
ベッドから起き上がったノートの気分は最悪だった。
寝汗も酷く、筋肉痛まである。
「ドミニクさん、本当に手加減しないんだからさー」
結局昨日は夕暮れまで修業する事となり、終わる頃にはノートはボロボロ。
全身傷だらけで本拠地に帰って来た時は、カリーナに驚かれた。
そして無茶な修業をさせたドミニクはカリーナに叱られた。
「結局、魔人体は出ず、か……」
自身の右手を見ながらノートはぼやく。
拒絶しているのは自分自身だとは理解している。
だが今のノートには、ドミニクの期待に応えたいという思いもあった。
「(恐怖を乗り越えろ、か……)」
夢の中でも言われた言葉を反芻する。
必要なのは何か切っ掛けだろう。
「力」に対する恐怖、これを乗り越える何かだ。
「力の使い方……まだよくわかんないな」
幸い時間はある、自分のペースで考えよう。
ノートはベッドから降り、一階の食堂へと向かった。
朝の食堂だが、まだ誰もいない。
どうやら今日も早く起きてしまったようだ。
今日は食事当番では無いので、ノートはキッチンをスルー。
玄関を開け、投げ込まれていた新聞を回収する。
いつもドミニクやカリーナが読んでいるものだ。
「……俺も読んだ方がいいのかな?」
仮にも冒険者の端くれなのだ。
情報収集くらい出来なくてはならない。
ノートは意気込んで新聞を広げる、が。
「そうだった。俺文字読めないんだった」
生まれてすぐに会話は分かったのだが、生まれの事情もあって読み書きの教育は受けられなかったのだ。
せめて読み書き能力くらい転生特典で欲しかった。
ノートは少し涙目になりながら、そう考えていた。
「おはようございますです。あれ、ノート君新聞を読んでるですか?」
「違うよライカ。文字も読めないのに新聞を広げてしまったバカだよ」
「ノート君文字読めないですか?」
純然たる疑問をぶつけられて、ノートの心に深く突き刺さる。
そして涙目になっていると、ライカは此方に近づいてきて、新聞を覗き込んだ。
「ノート君、どの文字なら読めますか?」
「……全部わかりません」
「じゃあまずは文字のお勉強からですね」
「少し待っててください」と言って、ライカは二回へ駆けあがっていく。
そして数分後、数冊の本を抱えたライカが戻ってきた。
「まずは恥ずかしがらずに、こういうのからお勉強するのです」
「絵本?」
「はいです。私が昔カリーナさんに文字を教わった時に使った本なのです」
そういうとライカは、テーブルに絵本を広げはじめた。
「最初はどれがいいでしょう……」
「もしかしてライカ、教えてくれるの?」
「もちろんです。あっ、もしかして嫌でしたか?」
「まさかそんな。文字を教えて貰えるなんて願ってもなかったよ」
実の所、文字の読み書きはほとんど諦めていたノート。
まさか教えて貰える事になるとは思ってもいなかった。
ノートは静かに歓喜に打ち震える。
「じゃあ最初はこれですね『よいこのモンスターずかん』」
「ファンシーな絵柄に物騒な内容」
可愛らしいイラストで騙されそうになるが、どう見ても危険なモンスター達が表紙になっている。
だが文字を学べるなら何でもいい。
ノートはライカが開いた本を覗き込んだ。
「あー、いー、うー、えー」
「(この世界の文字って五十音だったんだ)」
本の最初についていた文字表を、指さしながら音読するライカ。
それは日本語のひらがなに近かった。
「これが基本文字なのです」
「基本文字?」
「新聞を読もうとすると、これより難しい古代文字や魔法文字も覚えないとなんです」
「先が長いなぁ」
だが基礎を覚えるだけでも大きな前進だ。
ノートはライカ先生の授業に、熱心に耳を傾ける。
長らく忘れていた、学ぶ楽しさを思い出したような感じもした。
「それではノート君、問題なのです。これは何と読むでしょう」
「えーっと……ど、ら。ドラゴン?」
「正解なのです」
「よしっ!」
少しだけだが基本文字を覚えたノート。
モンスターの絵も合わさって、何体かは読めるようになった。
そんな感じでライカの読み書き講座は続いていく。
ふと横を見ると、楽しそうなライカの顔があった。
彼女は自分と違い、魔人体を使役している。
ノートは色々と聞きたい事が湧いてきた。
「そしてこれが――ノート君、どうしたですか?」
「えっと、その」
「なにか質問があるですか?」
「……うん」
「なんでも聞いてくださいなのです!」
胸をポンと叩いてドヤ顔を晒すライカ。
ノートは少し悪いと思いながらも、それを聞いた。
「ライカはさ、魔人体を出せるだろ」
「はい。出せます」
「その、怖くなかったのかなって」
ノートの質問の意図がわからず、ライカはキョトンとした顔になる。
「ある日突然強い力を持つ事とか、自分が変わってしまうこととか……怖くなかったのかなって思ってさ」
「……怖くないと言ったら、嘘になるです」
ライカは自分の右手に視線を落とす。
「私の『
「うん。ドミニクさんに聞いた」
「私は、人を傷つけるのがすごく怖いのです。人だけじゃなくて、モンスターの命を奪うことにも抵抗があるです。おかしいですよね、私冒険者なのに……」
「ライカ」
「自分でモンスターを殺せないんです。すごく可哀想だなって思ってしまって」
「……優しいんだな、ライカは」
「あはは、ドミニクさんやカリーナさんにも同じことを言われたです」
「でも……」とライカは続ける。
「このままじゃダメだって、わかってはいるんです。でもあと一歩を中々踏み出せないです」
「そっか……だからドミニクさん、俺とライカは同じタイプって言ったのか」
「そうなんですか?」
「俺も、人を攻撃するのが怖いんだ」
ノートはドミニクに話した内容と同じ事を、ライカに話した。
「そんなことがあったですか」
「情けないだろ」
「私は、間違ってないと思います。もしも私がノート君と同じ立場でも、そうしたと思います」
「……ありがとう」
ノートは少し9だけ肩の荷が軽くなるのを感じた。
「でも私、ノート君が踏み出さなきゃいけない一歩は分かった気がしますです」
「本当に?」
「はい。ノート君はもう少しだけ、私達を信頼するべきだと思うのです!」
信頼する。それはノートにとってこの上なく妙なものに思えた。
「ドミニクさんも言っていたと思います。万が一のことがあっても、俺が止めてやるって」
「……言ってた」
「そういうことです。もしもノート君がアルカナの「力」に呑まれそうになっても、私達が止めてみせるのです! だから――」
ライカはノートの両手を握る。
「ノート君は、思う存分に本領発揮してください。背中は私達に任せて欲しいのです」
「ライカ……」
「その代わりと言ってはなんですが。もしも私が暴走しそうになったら、ノート君が止めてくださいなのです」
舌を少し出して、恥ずかしそうに告げるライカ。
ノートはそれを見て、彼女の力にはなりたいと感じていた。
「わかった。俺にできることなら、絶対に止めてみせる」
「はい。約束なのです」
小指を差し出すライカ。
ノートはそれに応えて、指切りをする。
そんあ事をしていると、二階から起きてきたパーティーの面々が下りて来た。
「あっ、みなさん起きてきたですね」
「今日の勉強はここまでか」
「続きはお昼になのです」
「やったぁ」
朝食後にも勉強に付き合ってくれると聞いて、ノートは素直に喜んだ。
「ヒャーハー! 今日の朝飯当番は誰だァ?」
「アタシよ。少し待ってなさい」
「あらライカ。絵本を読んでたの?」
「タイスさん。これはノート君のお勉強なのです」
「そういう訳です」
「そうなの。難しい文字があったら私にも聞きなさい。仮にも私は学者よ」
タイスにも読み書きを教えて貰えそうなので、ノートは更に喜ぶ。
これで新聞を読めるようになれば、パーティーにも貢献できそうだ。
「ふわぁ……おはよう皆の衆」
「ドミニクさん、おはようございます」
「おはようノート。どうだ調子は?」
「筋肉痛が酷いです」
「そうか最高か」
人の話を聞かないリーダーである。
だがそんな何気ないやり取りが、ノートの心を温める。
「(信頼か……この人達なら、俺……)」
本当に信頼できるかもしれない。
気がつけばノートの心から、微かに恐怖心が消えている気がした。
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