第十七話:綺麗なものは……

 窓から入る日差しと、モンスターの咆哮。

 朝を告げるには騒がしい要素に、ノートは無理矢理起こされた。


「……風情も何もあったもんじゃないな」


 山の上で鳥の鳴き声を聞くのとは訳が違う。

 荒々しいモンスターの咆哮では、爽やかさの欠片も無かった。


 二度寝する気も無いので、ノートはベッドから降りようとする。

 すると床には、毛布に包まって眠っているシドがいた。


「なんか悪いことしちゃったな」


 彼を起こさないように、ゆっくりとベッドから降りる。

 そして音を立てないようにベッドを整えてから、ノートは部屋を後にした。


 扉を閉めると、どこからか良い香りが漂ってくる。

 誰かがもう起きているのだろうか。

 匂いを辿る様に、ノートはキッチンにむけて歩き出した。


「あらノート君。早いのね」

「あっ、ルーナ」

「朝ごはんはもう少し待っててね」


 キッチンで料理をしていたのは、長い金髪をポニーテールにしたルーナであった。

 匂いの正体は、彼女が作っているスープだ。


「俺も何か手伝うよ」

「あらいいの?」

「どうせ暇だし」

「それじゃあ、卵とベーコンを焼いてくれるかしら?」

「了解」


 既に台に要因されていた卵とベーコンを確認するノート。

 包丁とまな板を借りて、ベーコンをスライスし始めた。


「はい、フライパン」

「あっ、ありがとう」


 ルーナにフライパンを渡されたので、あとは焼くだけ。

 そこでノートはある事に気がついた。


「ルーナ、ここのキッチンって」

「火打石が必要よ」

「ならよかった」


 一般家庭にさえ、着火魔道具つきのキッチンが標準の世界だ。

 魔道具を使えないノートにとっては不便なことこの上ない。

 故に火を使って調理するには、原始的な方法をとるしか無いのだ。

 ノートはルーナから火打石を渡されて、火をつける。


「うーん。ベーコンの良い香り」


 香ばしく焼きあがっていくベーコンを堪能しながら、ノートは少し頭が冴えてくる。

 冷静に考えれば、魔道具職人の家に旧式キッチンがあるというのも妙な話だ。

 きっとルーナの為に、シドがわざわざ用意したのだろう。


「(優しさ、か……)」


 人の悪意ばかり見てきたノートにとって、それはある種新鮮なものであった。

 だが同時に、昨夜のやり取りが脳裏に浮かびあがる。


「(この世界は汚いか……)」


 含んでいたのは相当深いものだろう。

 だがノートにはその全てを計りきれなかった。


 フライパンの上で踊るベーコンを弄りながら、一瞬だけルーナの方を見る。


「(後で聞いてみるか?)」


 綺麗に焼けてきたので、卵を割り落として仕上げにかかる。

 それを察してくれたのか、ルーナが先回って皿を用意してくれた。

 卵がベストな焼き加減になったところで、フライパンを火から遠さげる。


「これで完成!」


 美味しそうなベーコンエッグが出来上がった。

 それを丁寧に皿へと移しつつ、ノートはルーナに質問をした。


「なぁルーナ」

「なにかしら?」

「昨日さ、俺……シドさんと話をしたんだ」

「……私のこと、聞いたの?」


 ノートは無言で頷く。

 重い話のはずだが、ルーナの表情は軽いものであった。


「気にしなくていいわよ。アルカナホルダーなんて、そんなものだから」

「だとしても、酷い話だよ。ライカもそうだ」

「そうね。少なくとも普通ではないわね」


 やや自虐的なルーナ。

 その様子には、どこか諦めのようなものも感じ取れた。


「ノート君はどうなの? 少しは普通に生きられた?」

「……シドさん曰く、両親には恵まれてたらしいよ」

「よかったじゃない」

「でもそれだけだと思う。村を飛び出してからは辛い事ばかりだった」


 そしてノートは、例の質問について、ルーナに聞いた。


「シドさんに聞かれたんだ『この世界は汚いか?』って」

「……」

「ルーナはどう思う?」

「そうね……汚い方だとは思うわよ」


 「でもね」とルーナは続ける。


「この世界にも、綺麗なものはある。それで良いじゃない」


 そう言われてノートは思い返す。

 昨夜見た星空を、自分に優しくしてくれた『戦乙女の焔』の人々を。

 ノートには、それらまで否定する気は起きなかった。


「そっか……そっか」

「そうよ」


 泥だらけだと思っていた世界にも、小さく輝く宝石はあるのかもしれない。

 ノートは少しだけ自分の考えを改めようかと考えていた。


「ねぇ、今度は私が質問してもいいかしら?」

「ん、なに?」

「ライカと添い寝した気分はどうだったの?」


 ノートはその場で転げそうになった。


「な、な、なんで!?」

「昨日ライカから直接聞いたのよ」

「ライカー!」

「それで、ノート君はライカに何かしたのかしら?」


 妙な圧をかけながら、ルーナが問いただしてくる。

 心なしか、どす黒いオーラすら感じ取れた。

 もしかすると今、命が危ないかもしれない。


「してないしてない! 変なことはしてない!」

「本当かしら? あんなに可愛い子なのに」

「本当に変なことは何もしてないから!」


 本当はうっかり胸を触ってしまったが、ノート必死にそれを隠した。

 それを察したのかは分からないが、ルーナは訝し気な様子でノートを見ていた。


「まぁいいわ。本当に変な事されてたら、あの子の方から言ってきただろうし」

「ホッ」

「ノート君も許してあげてね。あの子、誰かと一緒じゃないと眠れないのよ」

「えっ、そうなの」

「昔色々あったせいかは分からないけど、ライカは寂しがりやなのよ。一人で眠るのを怖がるくらいにね」


 そこでノートは思い出した。

 ライカが実の両親から酷い扱いを受けていた事を。

 きっとそれが影響しているのだろう。


「普段はカリーナさんと一緒に寝てるらしいけど、ノート君でも大丈夫らしいわね」

「そうなのかな?」

「そうなのよ。だからたまにはライカに付き合ってあげてね」

「いや、俺男なんだけど。色々と不味くない?」

「あの子に変な事しなければ大丈夫よ」


 それでいいのだろうか。ノートは些か疑問に思う。


「ねぇノート君。さっき『この世界は汚いか?』って聞いたわよね」

「うん」

「それ、ライカにも言ってあげてね。あの子明るく振る舞ってるけど、中身はドロドロに黒いから」

「……善処する」

「ノート君は、綺麗なものになってあげてね。どう言い繕っても、この世界はアルカナホルダーに優しくないから」

「そうだな……できる事は、やってきるよ」


 口先だけではない。本心からの言葉。

 ライカには強い恩を感じているノートである故に、彼女には何かをしてあげたかった。


「まぁ、万が一ライカを泣かせるような事があれば、私が貴方を始末するのだけどね」


 これ以上ない笑顔を浮かべながら、ルーナは背中から『怖く+蠱惑+困惑=月光サイケデリック・ムーン』を出現させる。

 友達思いと言えば聞こえは良いかもしれないが、ノートには完全に過保護のそれに見えた。


「あの、ルーナさん……危ないから魔人体はしまってもらえると」

「ライカに変な事はしないわよね?」

「その前に魔人体」

「しないわよね?」

「はい、しません!」


 凄まじい圧に屈したノート。

 流石にこれには逆らえなかった。


 そんなやり取りをしている内に、他の面々も起きてきた。

 スープも良い感じに仕上がっている。


「おはようルーナ」

「ふぁ……ルーナちゃん、おはようございますです」


 まだ寝ぼけているライカは、カリーナに手を引かれながら登場する。

 そんな何気ない日常を見て、ノートはこれが美しいものなのかと、考えていた。


「はいライカ。紅茶よ」

「ありがとうございますですぅ」


 ルーナに紅茶を渡されるライカ。

 それから少し遅れてシドが起きてきて、五人で朝食をとる事となった。


「(なんか、こういうワイワイした食卓も、悪くないな)」


 人と人が笑顔で囲む食卓。

 それがノートの心を優しく温めてくれた。

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