第八話:朝食を作ろう

 夢を見る。

 ノートが地球にいた頃の、断片的な記憶の夢だ。

 舞台はコンクリートとガラスで囲まれた部屋に、沢山の机と椅子が並んでいる。

 学校だろうか。


 何十人もいる生徒の中に一人、ノートと同じ姿の生徒がいる。


「(前世の俺なのかな?)」


 断言できる訳ではないが、恐らくそう。

 誰とも話さず、一人座って本を読んでいる。


「(陰気なもんだな……俺なんだけど)」


 誰も話しかけてこない。

 まるで初めから居ないような扱い。

 だがそれでよかった気がする。

 他の生徒の事を思い出そうとすると、頭が痛むのだ。


「(きっと碌な事がなかったんだろうな)」


 夢の場面が変わる。

 自宅だろうか。

 ノートは変わらず一人で過ごしている。


「(俺、本当に独りだったんだな……あれ?)」


 ふと違和感を覚える。

 本当に自分は一人ぼっちだったのだろうか。

 何かが引っかかる。

 何か重要な存在を忘れている気がする。


「(家族じゃない。学校関係? でも誰だ)」


 場面が変わる。

 再び教室へ。

 そこから先の映像は、砂嵐にまみれていた。

 見えない、思い出せない。

 否、思い出したくないのかもしれない。


「(怖い……怖い……怖い)」


 正体不明の恐怖心がノートを襲う。

 浮かんでくる言葉は「力」と「裏切り」。

 自分に何があったのか知りたい気持ちはあるが、それを恐怖心が勝ってしまう。


 長い長い砂嵐が終わり、再び場面が変わる。

 次の舞台はコンクリートの床と金網。そして曇天の空だ。

 どこかの屋上だろうか。


「結局、俺は何が怖かったんだろう」


 思い出そうとしても、頭が痛むばかり。

 ノートにとって、自分の前世とはこういうものだ。

 虫食いだらけで、役立たずな記憶の集まり。

 異世界転生しても、大して役に立たないものばかりだ。


「それより、ここ何処だ」


 がむしゃらに夢を進めて、辿り着いたのは人気のない屋上。

 その中央でノートはただ立つばかり。


 この場面を、ノートは何となく理解していた。

 前世の夢は、いつもこの屋上で終わる。

 つまりここは……終わりの場所。


「ここで終わって、俺は異世界転生したんだ」


 ならさっさと夢から覚めよう。

 そう思ってノートが一歩前に出た、その瞬間だった。


『力を受け入れろ』


 何処からか、聞きなれない声が響き渡る。


『力と向き合え』


 不安を覚えたノートは辺りを見回す。

 だが周りには誰もいない。

 屋上にはノート一人だ。


 声は同じ文言を何度も繰り返す。


「なんだよさっきから。力力って」

『力を受け入れろ。ノート!』


 一際大きな声が響いた瞬間、ノートの影が大きく変化し始めた。

 平面だった影が立体的になり、一つの像を創り出していく。

 像は黒く不定形。だが何故か、ノートにはそれが『岩』と『巨人』だと認識できた。


「な、なんだよお前!」

『力と、向き合え!』


 像が巨大な腕を振り上げる。

 すると屋上が崩壊し始め、ノートは立っていられなくなった。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 深い闇の中へと頭から落下していくノート。

 その最中、黒い像の声が微かに聞こえた気がした。


『我は、お前の――』





「わぁッ!?」


 目覚める。

 汗にまみれた嫌な目覚めだった。


「夢?」


 前世の夢は今までも何度か見た。

 だが今回の夢は、今までとは少し違った。


「力と向き合えって、なんだよ」


 とりあえずノートは深呼吸をして、落ち着きを取り戻す。

 そして周囲を見回した。

 見慣れぬ部屋。


「そっか、俺昨日『戦乙女の焔フレア・ヴァルキリー』に入れて貰ったんだ」


 ようやく昨日の顛末を思い出す。


「まぁ正式に入れて貰ったわけじゃ無さそうだけどなぁ。入団試験とか言ってたし」


 今日の昼にはマルクとの模擬戦がある。

 それを思い出したノートは少し憂鬱な気分になった。


 窓の外を見る。

 朝とはいえ、まだ日が昇ってすぐだった。


「朝の五時くらいかな」


 二度寝してもいいかもしれない。

 ノートは一瞬そう考えるが、先程のような夢をもう一度見るのは心底嫌だった。


「……起きるか」


 もしかしたら下の階に誰かいるかもしれない。

 ノートは重い目をこすって、部屋を後にした。


 万が一誰かが寝ていても大丈夫なように、扉はそっと閉める。

 足音も立てないように、抜き足差し足。

 ゆっくりと階段を降りて、ノートは食堂へとやって来た。


「あっ、ノート君。おはようございますなのです」

「ライカ。おはよう」


 早速人に会えた。

 誰もいないよりは百倍ラッキーな状況である。


「早起きなんだね」

「今日は私が朝食当番なのです。だから早起きしました」

「当番制なんだ」

「はい。ノート君はどうしたんですか?」

「俺は目が冴えちゃっただけ」

「そうですよね~。今日はマルクさんと模擬戦するんですよね」


 他者に現実を突きつけられて、ノートは少し胃が痛くなる。


「じゃあ今日は。ノート君が頑張れるように頑張ってご飯作りますね!」

「あっ、俺も朝食作るの手伝うよ」

「そんな悪いですよ」

「いいからいいから。どうせ今俺暇なんだし」


 恐縮するライカを押して、ノートはキッチンへと案内して貰った。


「おぉ……すげー豪華なキッチン」

「はい。ドミニクさんが無駄にこだわったので、豪華仕様なのです」


 心なしか「無駄に」が強調されていた気がしたが、ノートはあえて突っ込まなかった。

 キッチンは本当に豪華なものだった。

 前のパーティーにいた時に、一度物資搬入に訪れた事があるレストランのそれを思い出す。


「じゃあ私はパンを焼くのです。ノート君は何を作れますか?」

「とりあえず何があるのか確認させて」


 ノートはキッチンに置かれている物を確認し始める。


「野菜は……人参に玉葱、セロリとニンニク。トマトもたっぷりある」


 棚を見れば瓶詰の豆がある。

 鍋などの調理器具も当然完備。


「お次はこれか……うぉッ!?」


 キッチンで一際存在感を放っていたクローゼットのような物を開けると、中から凄まじい冷気が漏れ出てきた。


「これ冷蔵庫じゃんか!」

「はい。カリーナさんがドミニクさんを言い包めて買ったのです」

「流石Sランクパーティー。金持ちだな」


 冷蔵庫とは言っても、地球のように電気で動いている訳ではない。

 役割こそ同じだが、こちらは魔力で動いている魔道具だ。それもかなりの高級品。

 ノートは冷蔵庫を買えるパーティーの財力に驚きつつ、中身を確認する。

 中には赤々とした大量の肉が詰まっていた。というか肉しかない。


「なぁライカ、この肉ってもしかして」

「昨日のデビルボアですね。マルクさんが解体したです」

「やっぱり」


 モンスター肉、それも正体を知っているだけに少し気が引けるノート。

 だがここにあるという事は毒はないのだろう。

 ノートはぐっと堪えて、冷蔵庫内を物色する。


「おっ、骨もあるな」


 僅かに肉がついたデビルボアの骨を確認したノートは、頭の中でメニューを構築する。


「(トマトに豆、香味野菜になる物もあった。そして朝食で出すなら……)」


 持てる知識を総動員してメニューを決めるノート。

 異世界チートができるような知識は持っていないが、前世の趣味か、料理の心得はそれなりにあった。


 早速ノートは朝食作りに取り掛かる。


「まずはデビルボアの骨を鍋に入る大きさに切る」


 クレバーナイフがあったので、それで骨を断ち切る。

 切った骨は水に漬けて、余分な脂を落とす。

 それを終えたら新しい水で、ひたすら骨を洗う。


「次に鍋と野菜の準備だ」


 大鍋に水を張る。

 そして人参、玉葱、セロリを切って準備する。

 ニンニクの皮むきも忘れずに。


「洗った骨を鍋に入れて、火にかける」


 すると灰汁が出てくるので、玉杓子を使って丁寧にそれを取り除く。

 水の量が減ったら適時つぎ足す。

 一通りの灰汁を取り除き終えたら、カットした香味野菜を投入する。


「更に豆を入れてじっくり煮込む。その間にトマトだ」


 トマトを潰して大量のペーストを作る。

 作ったペーストはボウルに移して待機。


 そして待つ事一時間と少々。

 鍋から美味を予感させる香りが漂い始めた。


「ふわぁ、いい香りなのです~」

「自分でもちょっとビックリしてる」


 頃合いを見て、ノートはスープの味見をする。


「よし。デビルボアの臭み抜き成功」


 鍋に沈んでいるデビルボアの骨を取り出し、次は仕上げだ。

 待機させておいたトマトペーストを鍋に投入して、塩で味を整える。

 そして味が馴染むようにゆっくりとかき混ぜる事数分。


「できた! デビルボアのトマトブイヨンスープだ!」

「こっちもパンが焼けたですよ~」

「パンとスープの朝食。もう最高だな」


 パンの甘い香りも重なって、食欲が叫び声を上げる。

 そんな素晴らしい香りに釣られてか、他のパーティーメンバーも続々と食堂に集まって来た。


「さぁノート君。みんなで朝ご飯なのです!」


 ライカと協力して、スープとパンをテーブルに並べていく。

 「気に入ってくれるだろうか」とノートは心配するが、すぐにそれが杞憂だという事が証明された。


――ガツガツガツガツガツガツガツガツガツ!――


「……すっげぇ食いっぷり」


 思わずスープを掬う手が止まってしまう。

 皆の食いっぷりはそれ程までにすさまじかった。


「オイオイオイ、このスープめっちゃ美味いな」

「ヒャッハー! そっすねリーダーァ!」

「本当に美味しいわねこのスープ。ライカが作ったの?」

「いいえ。スープ全部ノート君が作ったのです」


 タイスにスープの製作者を教えるライカ。

 次の瞬間、カリーナの目がギラリと輝いた。


「ドミニク。このスープだけでもノート君を仲間にした価値はあるわよ!」

「正直俺もそう思う。模擬戦やめようかな」

「オイオイリーダーァ、そりゃダメだゼェ!」

「わーってる。冗談だ」

「安心してノート君。ドミニクとマルクが反対しても、アタシが面倒みるから」

「はぁ、どうも……あっ、パン美味しい」


 カリーナのあまりの勢いに、少々たじろいでしまうノート。

 どうにもむず痒いものから逃げたくて、無心にパンを齧った。


「でもノート君が作ったスープ、本当に美味しいです」

「ならよかった。ライカが作ったパンも美味しいよ」

「そうですか?」

「そうだよ。俺こんな柔らかいパン初めて食べたかも」


 異世界転生してから十四年、ノートが食べて来たのは固いパンばかりだった。

 何度も柔らかいパンを作ろうと考えた事もあったが、イースト菌が手に入らず全て断念。そんな苦い思い出もある。


「パンを柔らかく作る秘訣は干しブドウなのです」

「干しブドウ?」

「はい、干しブドウを漬け込んだ水をパン生地に練り込むのです」

「あっそうか。天然酵母」

「てんねんこーぼ?」

「いや気にしないで、こっちの話だから」


 必死に誤魔化すノート。

 異世界転生者でることはあまり明かしたくないのだ。


「ノート君、おかわり! おかわりある」

「あっ、俺も」

「ヒャーハー! 俺っちもだァ!」


 スープを入れていた皿は、あっという間に空になっていた。


「はい。おかわりはいっぱいありますよ」


 ノートは皿を受け取って、キッチンへと向かう。

 その心は、どこか晴れやかなものであった。


「(なんか初めて、地球の知識が役立ったかも)」


 小さな事でも、転生者らしい事ができた喜び。

 そして誰かを笑顔にできた喜びが、ノートの心を温めていた。

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