最終話:その日は突然に
それから約一年後の冬。
その日は突然やってきた。
聖也はいつも、ロゼが出社する頃には会社に居るが、その日は珍しく不在だった。
「あれ、聖くん今日は休みですか?珍しい」
ロゼの問いには、誰も答えない。社内には、異様な空気が漂っていた。
「……聞いてないの?二階堂くん。一ノ瀬くんは——」
「……えっ」
聖也はその日、通勤途中に交通事故に遭っていた。即死ではなく、すぐに病院に運ばれたが、意識は回復せず、その日のうちに死亡した。
なんの前触れもない、突然の死。
死の概念がないロゼには、突然すぎて理解が追いつかなかった。
「……よう。ロゼ。来てくれたんだな」
後日。葬式の会場に行くと、そこには死んだはずの聖也が居た。身体は透けて、宙に浮いている。その姿を見てロゼはようやく、彼の死が事実であることを実感した。
「……話しかけないでくれ。普通の人間にはもう、君の姿は見えないんだから」
「……あぁ、悪魔のお前には見えるのか」
「……あぁ。ばっちり見えてるよ」
ふっとロゼは悲しげに笑う。
「……吸ってないのか。精気」
「……食欲なくて」
「流石に幽霊からは精気吸えないよな?」
「空っぽだからね。無理だよ。てか、そもそも俺に触れることさえ出来ないから」
「……そうだよな」
「……二階堂くん……大丈夫?」
ロゼ以外には、霊体となった聖也の姿は見えない。聖也と会話をする彼は、周りから見れば独り言を言っているようにしか見えなかった。
「……すみません。俺、お葬式始めてで。まだ……彼が亡くなった実感無くて……」
「そりゃ無いよな。見えてるんだもんな。てか、俺も無いんだわ。なぁロゼ、俺はマジで死んだのか?」
(死んだよ。君は)
ロゼは霊体となった彼を見上げ、言葉を声に出すのをやめてテレパシーで返事をする。
「すげぇ。脳内に直接声が響いてくる。テレパシーってやつ?」
(普通に会話すると不自然だから。これやると結構疲れちゃうんだけど、君はどうしても俺と話したいみたいだから)
「……ありがとう。なぁ、色々聞いていいか?」
(良いよ)
「死んだら、どこ行くんだ?」
(そのうち天の使いが迎えに来る)
「天国みたいなところがあんの?」
(あぁ。そこで君は次の人生を与えられる)
「……生まれ変わるってこと?」
(そう)
「……生まれ変わったら、ロゼは、分かるの?俺だって」
(分かるよ。生まれ変わった君には、俺のことは分からんだろうけどね。記憶は残らないから)
「……たまに前世の記憶持つ人っているじゃん?」
(生まれ変わったばかりなら、まだ覚えてるかもね。けど、ほとんどの人は次第に忘れる。稀に何かのきっかけで思い出す人もいるけど)
「……そっか。……迎えって、いつ来るの?」
(一週間後)
「意外と遅いんだな。あ、もしかしてそれが初七日ってやつ?」
(そういうこと。にしても……君は、死んだってのに淡々としてるなぁ)
「実感ねぇんだって。……お前ともこうやって話せちゃってるし」
(迎えが来たらもう話せないから、言いたいことがあるなら今のうちに言っていいよ。聞いてあげる)
「……愛してた。ロゼのこと」
(それはもう何度も聞いた)
「……今日からは……ゲロ甘生活に戻るの?」
(……そうだね。前にみたいにその辺の女捕まえるよ)
「やだ……」
(……ごめんね)
「謝んなよ……なんで謝まるんだよ……」
(……俺には君の気持ちが理解できなかった。最後まで。理解したかった。恋とか愛とかいう感情に振り回されて散った彼の気持ちも)
「……人間と一緒に死んだ友達のことか?」
(そう。……俺は恋や愛というものを知りたかったんだ。君を通して、彼の気持ちを知れる気がした。けど、無理だった。俺は今、君が死んで悲しい。凄く悲しい。けど……耐えられない程ではない。明日からはきっと普通に、君と出会う前の生活に戻れる。俺は君が好きだった。けど、人間達が恋と呼ぶ感情とは多分違う)
「……最期に、わがまま言っていいか?」
(一生吸精するなってお願いは聞かないよ)
「一生とは言わん。……一週間で良い。俺が天に召されるまでは……頼む。最期の最期まで、側にいさせて」
(一週間の断食かぁ……)
「それ以降は好きにしろ。俺はもうこの世にはいないんだろ?」
(俺が他の人間から吸精してるところ見たくないからってさぁ……勝手だね)
「とか言いながらなんでわがまま聞いてくれんだよ」
(……なんでだろうね。君のわがままは、聞いてあげたくなるんだ。この感情は何?君なら分かる?)
「……教えてやるよ。人はそれを愛っていうんだぜ」
(愛……これが?)
「自分で言うのは恥ずかしいけど、お前は、俺のこと愛してくれてたんだと思うよ」
(ちょっと待って。じゃあなんでセックスしなかったの)
「嫌だから」
(えぇ?なんで?俺が君を愛してたことは知ってたのに?)
「……俺はお前に、俺じゃなきゃ駄目なくらい、堕ちてほしかった。お前は……吸精させてくれるなら、俺じゃなくていいんだろ」
(うーん……まぁ……そうだね。君が嫌だって言うから吸わなかっただけで)
「……俺を求めてほしかった。俺だけを求めてほしかった。……お前は俺を愛してくれてはいたけど、恋してくれてはいなかったんだよ。それが、嫌だった」
(……なるほど。愛と恋は違うのか。全く分からん)
「分からんだろうな。お前には。……いいよ。理解しなくて。人間でも恋という感情を理解できないやつはいるから。……お前も、そういう悪魔なんだろ」
(……というか悪魔の場合は恋をする方が珍しいんだけどね)
「いいじゃん。悪魔らしくて。てか、恋を理解したところで俺の気持ちはわからんよ。俺とお前は別の人格を持ってるんだから。だから諦めろ」
(……分かった)
「って。諦めよすぎだろ」
(……俺、ずっと吸精してないから……頭……働かないんだよ。難しいこと考えられな——)
その時、ロゼを激しい目眩が襲った。聖也は咄嗟に彼を抱き止めようとするが、その身体はすり抜け、近くにいた葬儀の参列者がロゼを抱きとめた。
「だ、大丈夫ですか?」
「……はい」
「二階堂。……しばらく休め」
顔色の悪いロゼを見て、上司が言う。
「いや、大丈夫ですよ。明日からはちゃんと仕事——「そんな状態でこられても迷惑だ。仕事の邪魔になる。休め」……はい。ありがとうございます」
上司の言葉に甘え、ロゼは聖也が天に召されるまで、仕事を休んだ。その間ロゼは彼と約束した通り誰からも精気を吸わなかったが、弱っていくロゼを、聖也は見ていられなかった。
「……もう良いよ。ロゼ。……吸ってきて」
「……あと三日あるけど」
「良いから。……そんな弱ってるお前を見てる方が辛い」
「吸うなとか吸えとか……ほんと自分勝手。君の方がよっぽど悪魔だよ」
「うるせぇ。はやく吸ってこい」
「……はぁい。ちょっと行ってくるー……」
街に出て、適当な女性に声をかけ、催眠をかけて彼女を連れて家に戻ってきた。
「なんで帰ってくるんだよ」
「外で吸ってたらバレるリスク高いじゃん。嫌なら見なければ良いでしょー。霊体なんだから、壁すり抜けて簡単に外出れるだろ?」
「……分かったよ。俺が出て行く」
ため息を吐き、聖也は壁をすり抜けて部屋を出て行った。部屋にはロゼと女性の二人が残される。
「……はーい。じゃあ俺の指舐めてくださーい」
ロゼが嫌々女性に指を差し出すと、女性はその指を咥えて舐め始める。
「うぇぇ……やっぱまずい……」
「んっ……んっ……」
「はぁ……も、もう良い……もう良いから……」
「ん……」
ちゅぽんっ、と音を立てて、女性の唇がロゼの指から離れる。しかめっ面で、唾液で濡れた指を洗いながら、女性を操って部屋の外に追い出した。
女性が家から出て行くのを確認して、聖也はロゼの元へ戻る。
「どうよ久しぶりの女の精気は」
「ゲロマズ」
「はははっ」
「笑いごとじゃないんだよ!もー!聖くんの味知ったせいで余計不味く感じたわ……」
「俺のせいかよ」
「はぁ……二度と女は食いたくねぇ……」
「大変だな」
「もー!他人事だと思って……」
「はははっ」
それから三日後。聖也は天に召された。
彼が居なくなった静かな部屋で、彼とはもう二度と会えない事実を痛感した瞬間、ロゼの瞳からぽろぽろと涙が溢れた。
その日彼は愛する人を失う痛みを知った。吸精することを忘れて、一晩中泣いた。
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