お石

202009020125


女は歩いていた。

 まだ授業時間だが、学校から抜けてきたところだ。


彼女の家は貧しい家だったし、家庭環境もよくなかったので、彼女は家族を持つことが夢だった。

中退しても良い。

家族を作り、家族には自分のように寂しい思いをさせたくない。

勉強より何よりも、それは大事な夢に思え、そのために、まず相手を見付けなくてはならなかった。


 やはり、学校などに居る場合ではない。

相手を探してあせるたびに、やはりそう感じる。


彼女のような者はこの辺りでは珍しくはなく、勉強よりも家庭というものへの憧れや平穏が何よりも必要だった。

中退し子どもを育てる同級生も多い。

そういった境遇の子どもたちのいくらかは、家族、家庭への憧れを優先してしまうらしい。と、先生が言っていた。

『あ~誰か、いないかな』


背は小さいし、顔もふつうだし…………とか言いながら癖でいつものように石を拾っては『お石』と名付けて持ち帰る。



漠がいそうなルートを歩くのがマイブームだ。もしかしたら出会いがあって、誰かが守りにくるかもしれない。

彼女は出会いに必死だった。


「あっ」

目を離した隙に、お石様がゴロゴロゴロゴロ転がって、ルートを外れさせる。

 そんなわけでしばらく道を降り、お石様を追いかけて走って走って走って…………

彼女はやがて一軒の家に辿り着いた。


「どこまで行くの、お石様、待って!」


石は、ぽーん、と窓を割り、家の中に侵入する。窓が割れていたのでその家の窓の中が覗けた。

中でちょっと太めの男が、ぐったりと倒れている。



「大変!」


運命的な出会いよりも先に、石が窓を割ったことを思って心配になる。

それに…………


「どうしましたかー? あの、大丈夫ですか」


一応中に入ると、薄暗く電気のつかない狭い部屋を進み、男が寄りかかる壁まで行って話しかけた。


「……ゆ、め…………ゆめが…………ゆめが」


男は掠れた声で言う。


お天気のように変わりやすい性格の彼女は、ちょっと彼にむっとした。

勝手に入っておいてなんだが、今の気分はお天気でいうと曇りだ。


「あまりイケメンじゃないな、残念」



「そ、この……お天気娘さん……」


「は、はい」



お天気でいうと、彼女の曇りがさらに曇りになっていた。


「自分は、どう、なって………………」


確かめるように腕を掴まれ、救いを求めるように男のあまり端正と言いがたい不健康な顔がずいっと彼女の鼻先に近付く。


「私のお天気、土砂降り……」


お天気を操りながら必死に笑顔を作る。そして、腕を振り払った。


「あっ、なんでも無いです」



「美しい…………なんて美しいんだろう…………僕の心が、雲が晴れ、光がさしたかのようです……君はお天気を操る力があるのか…………」


彼女は慌てた。

こんな口説き文句は初めてだった。


「僕の心のお天気をコントロールしてくれるのが得意なお天気娘さん…………この辺りは、漠が現れる。君はまだ夢を持っているね…………危ないから、はやく」


漠のことは、うっすらだが聞いている。夢を食べてしまう怪物らしい。


「夢を、食べられたんですか?」


「いや、僅かに、残っているようだ。

君の目を見てわかったよ。

この心のお天気を操るのは真っ先に駆け付けた君だと。

君が得意なのはこの自分にも幸せを与えること」


 これからもずっとこの『お天気』をコントロールしてほしい、と彼は目を輝かせる。

彼女は慌ててお石様を拾い、では私はこれで、と退散することにした。

得意なものがあの男のお天気をコントロールすることだと言われて、嫌でもないが、なんだかむず痒い。

そそくさと帰ろうとしていると、また腕を掴まれる。




「行くな。夢を……見付けたんだ」



低い声が、唸る。

彼の目はギラギラと血走って輝いていた。



「もう離さない。この夢」




「いやぁあ!!」



女は悲鳴を上げた。漠をちょっと恐れていれば良いはずだった。

けれども、そうではなかったのだ。


「僕はついている。


みんな、夢が無い。

夢が無くては、バク・カンパニー経由で売人から買わないといけない……」


ずる、ずる、と部屋の中に引摺り込まれる。強い力だった。


「だけど、いいなと思う人のことを取り込んだら、きっと楽になるよ……君はお天気コントロールが得意だ……僕のお天気をコントロール出来る稀有な存在なんだ!」


逃げられないようにだろう、腹を強く蹴られる。腹部は人間の急所だ。

彼女は思わず踞った。


「……いたぁ……っ」


なかなか起きがれないまま、薄く暗い部屋のなかを見渡す。

割れた鏡。食事の気配のなくほこりをかぶったテーブル。散乱するごみ。

無数の包帯。血のついた布。彼の腕はいくつもの自傷により傷付いている。

散乱する衣類。

あまり家具の無い部屋が、散らかっていることで、更に何も無いように見えた。


「漠に夢を喰われたとき、ほとんど希望を失いかけていた! だけどこんな風にいいこともあるらしいな、じつに運が良い」

倒れた彼女に馬乗りになって、男は幸せそうに呟く。夢を失くした人間は、夢を探して理性を失う。それはまさしく漠ではないのか。



――――他人を取り込んだら楽になるよ






202009020910


数日後。


民家からはケタケタと気味の笑い二人ぶんの声が聞こえるようになった。

 他人を取り込んで楽になった彼と他人に取り込まれて楽になった彼女は、不気味に笑い転げながら、楽しく暮らしていた。

彼女の夢はとにかく学校や勉強から抜け出してはやく家庭を持ち寂しくない生活をすることだったし、彼の夢は彼女にこれからも自分のお天気をコントロールしてもらうことだったので最終的に利害が一致している。


「夢、叶っちゃったぁ」


「僕もだよー。アハハハ」


ガラスにテープを貼り、カーテンをつけて、どうにか外の視線を遮りながら、彼らは仲良く夢を叶えた。


「お石様は、流石だねぇー」


彼女は、手にした石を撫でながらケタケタと笑い続ける。毎日が幸せで、笑いが止まらなかった。漠に恐れる人の多い世界で彼女の夢は食べられずに叶った。なんと奇跡的なことだろう。

 これが宇宙に行きたいなどだったら、あっと言うまに漠の餌食になったかもしれない。


 夢が叶った二人をとめるものなど、世界に何一つ無いように思えた。

そこで「愛し合えばどうにかなります」というチラシを作り夢のない町に配ったり、恋愛の素晴らしさを説くことにした。

お天気娘と男のように、夢は叶えられるのだ。


朝起きて軽く食事を終えるなり、二人は分担してことに取りかかる。


彼女はさっそくチラシを作り始めたが、彼は得意で無いからと外へ出掛けた。

そして、行く先々で、自分の教えを説いた。


漠を恐れずとも、誰かを愛せばいいのだ。夢は無限に広がるだろう。

人を好きになる努力もしないでいるのは甘えであり、怠惰なこと。

それはこの夢のない社会でも、赦されないことである。

みんな支えあい、誰かを好きになろう。


しかし何故か、彼に飛んでくるのはほとんど石だった。

二人を出会わせたお石様のように思えたので、彼は甘んじて受けたり避けたりした。



「人を好きになることと、夢を同列に語るやつが、この世で一番ムカつくんだよ!」


「お前に語ることなんかねーよ!」


そうだそうだと、逆に人々は団結していた。皮肉にもこの他人を愛する素晴らしさは、憂さ晴らしに皆が叩くには恰好の的だった。飛んでくる石を見ても「やつらには恋する気持ちが足りないんだな」と彼は哀れに思って、教えを説くのをやめることはなかった。


「恋は、素晴らしい夢です! 恋を否定できるものなどこの世にあるでしょうか?」


「あるわ!」


「気持ち悪いことを言うなよ!」


「羨ましいとも思わんわ」


「そういう気楽なところ、すごくお似合いだと思うよ! でも他人にお前になれってのは気色悪すぎる。なりたくないもん」


「見てて恥ずかしい」



「そんなに恋が語りたきゃもういっぺん漠に食われてこいよ!」


誰かが叫んだそれが、ドッとウケた。


「わかる!」「そうだよ!他人に説く程有り余ってんだろ」「ぐったりしたの見たい」「みんな死にそうな目をしてるのに、いきいきと愛し合うこと語ってんのはっきり言ってキモいんだわ」

通行人が集まって、彼を指差しては大爆笑が巻き起こる。

ある意味、希望を与えていた。



すうっと大きく息を吸い込むと、彼は叫んだ。



「ほんっとーの、恋を!!!!! 知らないから!!!!!!です!!!」





皆はしばらく黙った。

それはこいつどこまでも気持ち悪いなと感じたり、または、もう関わらない方が懸命かもしれないと口にせずそれぞれの胸の内に決心させる間であったが、彼は皆の心に届いたにちがいないと思った。


やがて、少しの間を置いて、場は炎上を加速させた。


「偽物か本物かなんて、お前が考えるな!」

「失せろクズ」


「家庭に夢なんかねーよ!」


「偽物だと、なんか問題なの?」


「本当に失礼なやつだな」




 狙いとは別だが、皆この場に置いてはいきいきとしていた。

恋と夢を語る人たちを叩くことはそれはそれで、共通の攻撃目標が出来、より皆の団結を強くするのかもしれない。



彼はしゃがみこみ、眩暈をこらえる。が、すぐに気を取り戻した。


「あぁ……なんとまあ愛が足りない人たち……お可哀想に……! では聞いてください、私と彼女の出会いを!」





「帰れー!!!」



皆は叫んだ。


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