キモート
漠の騒動の最中ではあるが、もうすぐ、キモート祭が行われる。
昼も近付くやや暑い時刻。
4、5人いる夢の売人たちは、しばらく進むと小さな飲み屋のテーブルに付き、それについて話し合い始めていた。
人だかりの増えるキモートにおいて、
夢を売らない手は無いので、是非、キモートの目玉であるアイチャンと言われるマーケットで即売会を開こうというのだ。すでにあちこちにキモートの貼り紙がしてあった。
みんなは、店に入らずに窓の向こうからこっそり様子をうかがう。
「なるべくいい夢を買いたいものだね」
大柄の男が言う。女が「あぁ……さすがです……お兄様……もう一度その声で言ってください」と感涙の涙を流しながら拍手した。
「こほん、もう一度言う。なるべくいい夢を買いたいものだね」
「私はアールグレイの香りがする夢が良いですわ」
「去年は、いい茶葉が店頭にもならばなくて、予約すらできなかったからね」
「さすがお兄様です……なんて記憶力……」
女がお兄様の腰に絡み付く。
お兄様は余裕そうな表情で他の者に告げた。
「さて、これから。我々はキモート、の中のアイチャンにて、沢山の夢を売りさばきたい」
「キモートって何?」
ヌーナが呟くと、レンズはあぁ、と興味無さそうに答えた。
「キモートは、屋台が立ち並ぶ、商業イベントだよ。毎年賑やかなんだ」
「そっか、人が集まる場所で夢を売りさばくつもりなのね」
ランは、店内の男らが骨つき肉を平らげる様子を羨ましそうに見ている。
パールは、一人黙ったまま、別のことを考えていた。
ふとパールに目を止めたランが頭を足でガシガシと小さくかいて気まずそうに問う。距離感がわからない。
「あの、どうかしたのか」
「……いや、漠のことが、気になってな」
確かに、それは、ランも他の者も薄々気付いていたこと。
「夢の売人」やプロテストが居て、
漠のために良い夢を集めたり、自由に売り買いしているのなら、
街で暴れていたときいた漠の話はどうなるのかだ。
漠を、誰かがどこかに管理していると考えるのも自然だった。
「漠は自ら狩りに出たはずだ。
なのに今なぜ漠ではなく、ゲスな人間どもの方が多い?」
レンズが間から言う。
「漠の『姿』を見た者はいない。ってさっきから街のみんなが話してたけどさ」
先程、レンズはただだまっていただけではなく、聞き耳を立てて情報を集めていたらしい。
「夢を食べてしまうくらいだから、
きっとレー様たちに映る姿を、変えられるんじゃないかな」
「ふむ。この僕ならば、人間の姿をしてプロテストに紛れるな」
「なるほど、人間になれば、人間を内側から操作して夢を集めやすいわね」
ぎゅる………
ランの胃が空腹を訴えた。
「あ……」
「お昼にしましょうか」
ヌーナが代表して提案した。
202007282310
ある日、レンズが「家」に帰宅したとき、部屋は荒れ果て研究資料や書物があちこちに散乱していた。
呆然としているのは何もその部屋の荒れようのためではない。
部屋の中心に紙束を拾い集める老人の姿を認めたからだった。
「師匠……そこで、何をしているのですか」
レンズは恐る恐る問いかける。
レンズたちのいた『学校』には魔術研究においては優れた先生の弟子になることがよくあったので、この男も先生であり師匠だった。
しかしその師匠と言われた年老いた男は今、目を血走らせてレンズの借りていた研究室を一心不乱になんらかの目的を持って荒らしていた。
いや、聞く必要などは無い。
聞かずともわかる。けれど聞かなくてはならない。
彼はそのことでは名の知れた魔術学問の第一人者。聡明なレンズもいつかその隣に立つことになりそうだった。
「師匠と一緒に隣で研究をする」ことはレンズの憧れだ。一人前になって隣に並ぶのを楽しみにしていた。
とはいえ近頃、彼は新しい発見に長いこと恵まれないでいたが、やがてはまた元気になってくれるはずだった。
レンズが研究室に寝泊りして卒業論文を組み立てていた同時期になぜか急に再び脚光を浴び、業績を上げ始めていた。
「若い者がいると良い刺激になる」と語っていたのをレンズは信用していたのだが、森に素材となりそうな木の実を取りに行った帰りに事が起こった。
師匠は取り乱しながら、レンズのレポートに灯をつけたり、腰につけた籠のなかにめぼしい資料をかき集めて収めていた。
あまりに集中していて、彼女のことは見えていない様子だ。
「レンズよ、お前がいかんのだ。お前に隣に立たれたら、私は職を失う!」
師匠にとってレンズが隣に立たれることが酷く不快で、苦痛で、屈辱でしかなく嫌なことだったのだが、制度上仕方ないので面倒を見てやっていた。
「お前は、私のものだ……」
師匠ははぁはぁと息を乱して、怒っているような笑っているような不気味な奇声を発した。
「お前は、ここでのたれ死ぬがいい……お前が、すべての責任だ」
勝ったぞ、とうとう、勝ってやったぞ!
誇る男の背中は酷く悲しいものだった。
レンズはしばらくそれを眺めていたが、特になにか言うことも無かった。
なので黙ってドアを閉めた
(手伝いたかったのに、師匠は地位や職を失うことを、それのみを気にしているなんて)
それはまだ幼いレンズには衝撃的なことだったが、大人の世界とはそういうものである。
同時に、家が無くなったこととこれからの研究をどうすれば良いのかということに改めて考えを寄せることとなった。
宛ても無く森を進んでいた、そんなとき――
「どうかしたの、レンズさん」
ヌーナに声をかけられて、レンズははっとする。現在は物陰で近くのバザーで買った果物や肉を並べての食事中だ。
周りからは変わらずにぎやかな声が聞こえて来る。
「ちょっとね、師匠のことを思い出していたんだ」
レンズはけらけらと陽気に笑った。
「あぁ、森であったっていう偏屈な魔女さん?」
「そうそう、師匠ってば、変な薬とか変な薬とか変な薬ばっかり作るんだから」
「でも、楽しそうね」
「まぁー、ね。面倒なのは。肉焼く係とかさせられてたくらいで、良い師匠だったかな」
ランは、肉という言葉に耳を逆立てる。
くしにささった肉を口に放り、咀嚼しながら呟く。
「森で会ったとか言ったか」
「そうだけど、ランと同じ種族の人ではなかったよ、獣の耳じゃないし」
冗談や軽口のつもりではないらしい。
彼は真剣な眼差しを変えなかった。
「そうか……いや、まさかな」
なにか含みのある言い方だったが、ランがそれ以降は、肉を食べる方に集中し始めたので、ほかのみんなも何も言えなかった。
パールは、それには関わらず、漠にあった後、大陸に着くまでに何日くらいかかるだろうかと、ぼんやり思考してみた。
みんなは食事をしながらも、店を見張れる位置についている。
なのでやがて夢の売人が店から動きそうなのを察知するとすばやく荷物を畳み、体勢を戻した。
「あとは、ハルさんとこですか」
女が一人、手馴れた様子で呟く。
今日の巡回はそれでおしまいらしい。
「プロテストの研究所、先に連絡を入れておくか?」
男が聞く。別の女がそうしましょうかと、胸から鳥をだした。
この鳥がハルのところに向かうことで、これから行くよと言う合図になる。
ランは物陰からそれを見て、置いてきた『犬鳥』を思い出す。元気にしているのだろうか。
パールが険しい顔をした。
「プロテストの、研究所……か」
「なにか知ってるの?」
ヌーナが聞くと「知ってるというか」とやや濁しながら答える。
「この街の少し先は特に……それなりに治安が良くなくてね、金銭で買われる子どもも居る……とかなんとか本で読んだ」
レンズも、研究所にいいイメージが無いのだろう、なんだか悲しそうな目をしていたが、ランやヌーナがそちらをみたのではっとして笑った。
それからすぐに、また瞳を曇らせる。
「買われるだけじゃない。誘拐されて、研究にまわされる子どもが居る……んだ。
たぶん、プロテストの研究所ってのも、そういう非合法なところだと思う」
ヌーナは水を飲みながら憤った。
「酷い」
「そういうところはなんでもやる。
戦争に勝つため、儲けるため。漠に襲われないように子どもを餌に差し出したりしてるかもしれない」
レンズは俯いたままで言った。
「漠の餌は夢だ。となると、子どもの夢を研究して与えているのかな……」
パールは考えてみる。夢が生まれるたびに、漠に与えられることで、人体に何が起きるのか……
夢を持つことは人間の感情や記憶の整理をしていると考えられていたので、きっと、それが乱れてしまうのかもしれないと思った。
グガナイヤが言っていた、好意を理解できなくなるというのもそういった弊害だろう。
感情を整理する時間すらなければ、ただ向かってくるものが恐怖でしかないことは簡単に察しがついた。
「でも、その、研究に協力すると、給料くらいは出るんだろ?」
ランは果物をかじりながら聞いてみる。
仕事になっているならいいのではとも思った。
レンズは大きく横に首を振った。
「ケチな性格だから子どもをさらって自分の身代わりにしているのに、給料なんて出すわけがないよ」
これにはパールも賛同する。
「確かにそんな短絡的な方法で、自分の才能だとか、自分の権力だとか言う見栄だけ張る連中が、下々に対して何か配慮する方が不審だ。なぜなら手下に目をかけたことで自分の立場が上のはずなのに手間が強いられることに腹が立つ。
彼らは自分に自分に無いものを補ってるのに、あげるわけがないってことだ」
「ただの犯罪だな」
無給で、存在だけ存在させられて、だけど「子どもだから」「責任ある立場の人ではないから」と強引なボランティアを募っていたのだろうか。
「ボランティアは、志願兵、そんな戦場に志願はしてないだろうけど……」
パールは誰にとも無く、ぼそりと呟いた。
話していると売人がぞろぞろ動き出したので、みんなはこっそりと後をつけたまま、進みだした。
202007300016
プロテストの会議場のすぐ隣の研究所。
そこの食堂で昼をとった後、ハルは来月以降の予定を確認しようと個室のカレンダーをみた。
「ここ最近、ずっと働きづめだわ……」
今日も今朝から夢を解析するのに使っているツールがメンテナンス中のため、別のツールを使うのに時間をかけ、さらに教えるのにも時間がかかった。
しかもお昼の準備もしなければならず、なかなか忙しかった。来月からツールをもっと優良版にする話もあり、変化についていけるか不安だ。
「それに……」
昨夜。
漠の実験体が一人自殺したことで、また出勤する数の制限をしなければならない。
あ、新しいノーネームとなる予定の人についての案内をしなくては。
「明日と来月の予定は上司に一任するとして……えーと」
夢の量産化もハルの課題のひとつだ。
ノーネームが一人いれば配線をいくらでも足してみんなにシェアできる装置の研究もしようと思っている。
考え込みながら廊下を歩いていると研究員のキタさんがにっこり笑って、手にしたレポートの束を彼女に見せた。
「なかなか朝から面白そうなものを見させてもらったよ」
「もう、上がりですか」
「いんや、今は、パートさんの計画書のアイデアを出して欲しいと言われたので何となく文言を考えながら帰っているところで……これがなかなか難しい。
うちの部署は午前中から上司がいなかったからね。希望に来た人は午後からにしてもらって、パートさんのサポートやら……あぁ、
研究の画期的な発想の助力を仰ごうと社長への連絡もあったか」
キタさんもハルと同じでばたばたしているらしい。
ハルはそういえば後で地下の見回りも行こうと思いつつ、曲がり角にさしかかったところにある一室を開けた。そこでは最近人気である『録音』によって、他人の声が保管されて、音楽のかわりにまるで人が話しているかのようにひたすらに流れている。
――あのね、今日の夢は 闘技場の試合を見るというもの。思わずガンバとカルタが声を張り上げてしまうほど面白い試合だったんだ。
途中まで自分がプレーしていた様なそんな感覚もあった
――私はガラスが割れるぐらい硬い新聞の夢!それで書いてある記事が、私の人生の今までの振り返りでビックリ。
子どもたちの無邪気な夢。漠のえさとなり無かったことになるだけのゴミだ。
あの子らに、尊厳など必要ないのだし。
――あら、ご機嫌よう。
子どもの声の間に、対話をしていたマリネさんの声が入る。
――ねぇねぇ、朝ごはん目玉焼きがいいなー
この部屋は、子どもたちが生きた証。
夢があったことを記録した部屋。
純度だけを測られたあとのゴミが、処分されたあとのせめてもの残骸を格納している。
何かあったときの検証のために保管されているらしいが正直ハルはそれがどうしたのか、と思っていたし、これからもそのつもり。
けれど、一人自殺したことだし、となんとなく、感傷のようなものに浸ってみることができないだろうかと考えた。
欠けたピースは元に戻らない。 けれど新しいピースを開拓する力を みんな持ち合わせている。 そんなものだと、ハルはいつも思っている。だからどう踏みにじっても叩き壊しても生きてさえいれば夢はまた見られるのだ。
けれど……いつだったか、マリさんが彼女を心配したことがある。
あなたはとても残酷。
笑顔すら忘れた他人の幸せを嫌味のように願える。
踏みにじり、苦痛や苦悩を全否定するかのように、自分の価値観を重ね合わせて、強引に前向きな言葉を吐かせる。
「そうかしら」
飢えた人に一時の施しを与えるように、
一時笑わせるところで、全人生が幸せになるわけではない。すべてを代表するかのように、個人でしゃしゃり出ただけで他人に笑顔を押し付けるのは悲惨だというのだ。
心配してくれてありがとう、という気持ちにはなった。
「そんなこと、ないわね。次のノーネームはどれにしよう。ヒマリ辺りかしら」
ヒマリは便宜上つけられている部屋の名前。
昨日他の部署の人とも話していたが、
普通、実験体といえど一旦、飼育してわずかでも縮まった距離を離すことというのは難しいことのようだ。ハルにはそのような心は無い。
ただただ念じるだけだった。
頑張るしかないの。
難しいけれどやるしかない。
202007301702
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